古代日本と神話の迷い道

H26年4月吉日  山下 永二
人は年を重ねると自ずと過去を振り返るのが習わしのように思える。
高校時代に日本史を学び、日本はどのようにして誕生したかという疑問は持っていてもそれを深く追求するまでにはいかなかったが、頭の中に微かに残っていた。現役を引退して時間的余裕ができ、過去を振り返ることが多くなった年齢に到ったのだろう。山陰旅行に行くことになって、古代日本史をかじってみた。
山陰と言えば「出雲」を思い浮かべる。出雲の世界を知るには、どうしても古事記や日本書紀に出てくる神話、特に高天原と天孫降臨、大国主命の国造り、国譲りの古代出雲の神話、これに関連する神武天皇と東征、卑弥呼とヤマト朝廷などを学ばなければ、分からない。
数冊の本を読んでいるうちに、古代日本と神話の世界の謎にぶつかった。神話は「絵空事」なのか?神話は歴史の一部なのか?伊勢神宮では、アマテラス大御神を祭り、出雲大社ではオオクニヌシ命を祭神としているのは、単なる信仰とは言い切れない。神話の世界が歴史的事象として採り込まれ、現実に存在しており、神話は仮想事実ではないかと思うとミステリーな謎にはまってしまった。
神話の中に古代史を解くヒントがあることは確かなようだ。
江戸時代の国学者 本居宣長は、天孫降臨を史実と認め、天皇を神の末裔とし天皇に絶対的権威を見出して人々を説いたという。
この考えは、幕末の尊皇攘夷の思想にも影響を与えた。中国の朱子学の尊王斥覇の思想と第九代水戸藩主 徳川斉昭が天皇を絶対的権力と認め、忠誠を尽す徳川幕府政権の正統性を理論づけた水戸学の勤皇思想と結びついて「尊皇攘夷」思想が生まれた。これがもとで幕末の日本を二分して闘争が展開され、結末は公武合体から王政復古へ帰結し、大政を天皇に奉還して明治維新という革命が行われた。そして天皇を現人神と崇め天皇主権とする明治憲法を創った。
明治時代後期から、小学生の教科書では、天照大御神を天皇の皇祖神として教え現在も受け継がれている。当然これに反対する学者がいた。
当時 早稲田大学教授だった津田左右吉博士は、これまでの皇国史観を批判し「神話は創作だ」と主張して、有罪判決を受けたという。(津田事件)
話が横道に反れたが、古代日本誕生を探るには、古事記にしろ日本書紀にしろ、歴史的資料が極めて少ないため、古人は分からないことや不明な部分は、神話を取り入れて物語風に創作して編纂したのではないだろうか。神話は何処の国にも存在し古代では自然な成り行きだっただろう。
古代日本と神話について、後世の色々な識者が推理し多様な意見を述べているため、謎解きパズルが出来上がったのではないか。
にわか勉強で浅はかな知識のせいか、その迷い道に入ってしまったと観念した。
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