「賤の苧環」研究
H24/5/23
石井俊雄
今日で鎌倉同窓会から1週間が経った。早いものです。
今、その時訪れた鎌倉を思うとき、八幡宮の若宮堂でで踊った静御前のことが鎌倉創成期の最中に起こった悲劇として思いだされます。
中でも先のレポートでも触れた和歌、
しづやしづ賤(しず)のをだまきくり返し昔を今になすよしもがな
のことが頭を過ります。
それで、その和歌について聊かの研究をしてみたのでその結果をレポートします。
この和歌の単語の意味を調べたところ、次のとおりでした。主に「広辞苑」から摂りました。
- 倭文(しず:古くはしつ)は、唐から輸入された「綾」に対して、日本古来の織物の一つ。麻などの緯糸(よこいと)を青や赤に染めて乱れ模様に織ったもの。
- 賤(しず)は、いやしいこと。
- 苧(お)は、麻の古名。
- 環(たまき)は、古代の腕飾り。
- 苧環(おだまき)は、麻糸を丸い糸束の環にしたもののこと。(写真参照)
- 由(よし)は、手段、方法
(1)以上から歌意は?
倭文(しず)を織る麻糸を、つむいで巻き取った糸環を巻き戻すように、時を巻き戻し賤しい倭文を織った頃の昔に戻れたらよいのに。
というもの。
(2)何故頼朝は怒ったか?
更に、静御前の名前の「静(しず)」に、「倭文(しず)」を掛けていますので、
義経様が「静や静」と呼んでくれたそんな昔に戻れたらよいのに
となるのです。
兄の頼朝は、それを聴いて頭に来たのは、自分が犯した政治的粛清についてある程度の罪悪感を持っていた所為かも知れません。
或いは、自分を将軍職にまで押し上げた関東武士団、特に北条家への遠慮だったかも?・・・となれば保身のため怒ったとも考えられる。
かくて、頼朝が鎌倉幕府内でどの程度実力を持っていたかは疑問。
何故なら、彼は幼くして伊豆に流された者。従って、股肱の臣や親衛隊的なものを持っていたとは考えにくい。
それに、実朝亡き後の北条執権家の台頭を思えば、単に、祭り上げられていた可能性の方が高い。
だが、頼朝傀儡説は小生の憶測の域を出ないことを告白しておきます。
(3)3つの発見は、この和歌には本歌があったこと。
それは、伊勢物語32段にあるので、32段を紹介します。
昔、物いひける女に、年ごろありて、
「いにしへの しづのをだまき 繰りかへし昔を今になすよしもがな」
といへりけれど、何とも思はずやありけむ。
凄く短い文章ですよね。伊勢物語はこのように物語のエッセンスだけを簡明に記した文体のものなのです。
現代語訳すると、
昔、親しく語らい関係をもったことのあった女に、何年か過ぎて男が、
「昔の織物の麻糸をつむいで巻き取った糸巻きのように時を巻き戻し、楽しかった日々にする方法があればよいのに。」
と言ったけれども、女は何とも思わなかったのか、何の返事もしなかった。
となります。
これでは、著作料はゲットできないでしょう。
だけど、簡明なだけに色々な場面に当て嵌めることが出来、小説家の種本にピッタシかも知れません。
(4)4つ目は、女性は現実派・男性はロマン派説の魁の発見
この32段についてネットの中で面白い解釈に出会いました。
それを紹介して終わりにします。
男がかつて愛した女に、別れてから何年か後になって歌を送りました。
男には、女との仲を取り戻そうというような下心はありません。
ただ、男は、昔を思って歌を詠んでしまったのです。
それに対して、女の方は、何とも思わなかったのも当然でしょう。
女の人は、いつでもそのときの現実で手一杯なので、男の感傷的な回想には、見向きもしないのです。
歌を詠んで送ってしまった男は、過剰な想いを持て余してしまったのです。
このように解釈すれば伊勢物語第32段は、女性は現実派・男性はロマン派説の魁ということになります。
そして、小生、何となく思い当たちゃっいました。「成る程、よくぞ言ってくれました!」という感じですね。
普段なら、こんな研究などしないけど、同窓会で鎌倉を訪れたことで、少し調べる気になりました。
これも、同窓会の効用ですね。
また、大いに頑張りましょう!
また逢う日まで・・・達者でなっ!
少し追記します。それは、「賤の苧環」ではなく「庭の苧環」のこと。
先日、旧宅で隣の奥さんと塀越しに雑談をしたとき、実はブロック塀は消防法の関係で高さが制限されているとかで、
元の高さから半分のブロック6個分までカットしたものだから、塀越しに会話可能なのですが、その奥さんが塀越しにこちらを見て、
「あれっ、これ苧環じゃないの!」と言われたのです。
私はそれまで、苧環という花があることすら知らなかったので、「へぇー」とか言って済ませちゃいましたが、今回のことでネットで調べて見ました。
ネットで調べた結果も葉の形から苧環のようなので、その写真を掲げます。葉の先が幾つかに割れたようなのが苧環。
写っている紫の花は名も知らぬ別の花です。
あなたの家にも、雑草の陰に苧環が倨居(うつい)してるかも知れませんね。
倨居するとは、膝を立てて地面に座る座り方を言います。胡坐では不遜、倨居なら控えて座るという感じでしょうか。
この言葉、シューマンの「流浪の民」に出てきます。
流浪の民とはジプシーのこと。そのジプシーたちが「木の葉しきて倨居(うつい)する」というように歌われています。
聴いてみますか?聴いてみたい方はここをクリックしてください。
・・・余り上手くないが仕方ないですね、他の日本語歌詞のも聴いてみたけどこれが一番でしたので。
テンポはいいけどソプラノのソロがイマイチ、残念ですね。だけどそれを除けばいい線行ってると思います。・・・言葉がしっかり聴き取れるから。
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写真中央の葉の先が幾つかに割れたようなのが苧環。紫の花は別の花のものです。
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