昔の想い出

大野弘雄
随分昔の話だが、私が大学二年生の頃だと思う。
文理学部の三年先輩に熊谷さんというジャズのギター弾きがおり、卒業して大阪に就職したが仕事が面白くないからとさっさと会社を辞めて佐賀へ帰って来た。 丁度夏休みだったと思うが私の所へ来て、ベースを弾いて欲しい、手伝ってくれと言うのだ。 私は渋ったが夏の間だけの約束ならと承諾して付いて行った。手伝いは多久市にあるダンスホールでの謂わばバンドマンである。
行ってみてダンスホールの経営は街で幅を利かしている山下組というヤクザだということを知った。 ホールには下働きの男がいて昼間は床の掃除などを手伝っているようだったが、辞めて堅気になりたいと何時も私に漏らしていた。 一緒に年増の女が2、3人踊り子として雇われ住んでいた。寝泊まりはホールの隣の大広間で雑魚寝して過ごした。 山下組の親分は滅多に顔を出すことはなかったが、ナンバー2と言われるガッチリした男がカルタの賭け事などを仕切っていた。いわゆる博徒である。 晒しの腹巻きの下には何時もドス(匕首とも言う)を忍ばせていたが、側にいて怖い感じはしなかった。
俺の後ろで見てろと言うが、私には全くインチキを見分けることが出来なかった。 山下組は世間に煙たがれている存在だが一宿一飯、いや1ヶ月ヤクザに飯を食わせて貰った恩を感じて悪いとの思いはなかった。 食事は朝晩二食で白飯に、たくあん、味噌汁で贅沢をしているなという感じだった。内緒で長期間家を空けていたが、親に心配掛けているなんて気持ちはなかった。 そろそろ二学期の授業が始まるので自然と其処を辞めたような気がする。
その後のことは何も知らない。
 
 
 
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