髪の毛

石井俊雄
私と家内で、ここ4年近く孫(もう直ぐ4歳)の面倒をみている。 毎日ではなく、ほぼ土曜日の午後いっぱいだ。 先週の土曜日も、1時半ころ母親が連れてきた。
来るやいなや孫がプレゼントをくれた。幼稚園で描いたお絵描きの絵だ。お爺とお婆が描いてある。
その絵(下図)、とても面白かったので掲載して短文を添えてみます。良かったらご覧ください。
 
 
絵を見て孫に訊いた。
「これ誰だ?」
と。
応えは、真ん中のがお爺で、左のがお婆だそうだ。 真ん中のは鼻が高くて良く描けてるが、両方とも髪の毛が描いてない。
「髪の毛が描いてないね! 髪の毛、描かないのか?」
と訊いた。
今の絵には、髪の毛が一本だけ描いてあるが、貰ったときは何も描いてなく、つるっ禿げだったのだ。
孫は、言った、ぽつりと。
「髪、描けない」
小生、始めは「えっ?」とか思ったが、何故そんな言葉が孫の口から出るかを考える内、確かに、孫の応えは正解だと思うようになった。 何故なら、髪の毛って何本もあって、それを描くのは至難の業だから。
小生は、子供って無垢だから、既成概念に囚われず、言葉通り受け取るのだと思った。足し算も引き算もなしだ。 髪の毛を描くとは、髪の毛一本一本を描くことだと思っているらしい。
思えば、写真なら兎も角、絵画って究極のフェイク(偽もの)だよね。 浮世絵は未だしも、西洋の油絵は当に「それらしく見せる」ように描くという意味でフェイクだ。 ルノアールだゴッホだと騒ぐが、そんな目で見ると阿呆臭い。 ・・・持ってないから言うのだが。
若し、そのような誤魔化しテクニックを使わないとすれば、髪の毛が描けないという主張は、至極尤もなことと言わねばならない。 小生、成る程と孫に脱帽の心境だった。
孫は孫で、小生の指摘を受け、確かに描いてないと思ったのだろう、勝手知りたるお爺とお婆の家だ、自分でクレヨンを探してきて、やおら描き加えたのが、 今の絵にある黒々とした一本の線。・・・当に「髪の毛」だ。
子供の目って面白い。真実を直視しているとも言える。まるで科学者のように。
 
 
孫を見てというか、小さな子供を見て思うことは、その無垢な心で空高く翔んで欲しいということ。 とんびのように、・・・大きく。
小生、絵もさることながら、希望を貰ったようだ。髪の毛のアリバイ(存在証明)が録れたのだから。
 
 
 
 
 
 
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