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絵を見て孫に訊いた。
「これ誰だ?」
と。
応えは、真ん中のがお爺で、左のがお婆だそうだ。
真ん中のは鼻が高くて良く描けてるが、両方とも髪の毛が描いてない。
「髪の毛が描いてないね! 髪の毛、描かないのか?」
と訊いた。
今の絵には、髪の毛が一本だけ描いてあるが、貰ったときは何も描いてなく、つるっ禿げだったのだ。
孫は、言った、ぽつりと。
「髪、描けない」
小生、始めは「えっ?」とか思ったが、何故そんな言葉が孫の口から出るかを考える内、確かに、孫の応えは正解だと思うようになった。
何故なら、髪の毛って何本もあって、それを描くのは至難の業だから。
小生は、子供って無垢だから、既成概念に囚われず、言葉通り受け取るのだと思った。足し算も引き算もなしだ。
髪の毛を描くとは、髪の毛一本一本を描くことだと思っているらしい。
思えば、写真なら兎も角、絵画って究極のフェイク(偽もの)だよね。
浮世絵は未だしも、西洋の油絵は当に「それらしく見せる」ように描くという意味でフェイクだ。
ルノアールだゴッホだと騒ぐが、そんな目で見ると阿呆臭い。
・・・持ってないから言うのだが。
若し、そのような誤魔化しテクニックを使わないとすれば、髪の毛が描けないという主張は、至極尤もなことと言わねばならない。
小生、成る程と孫に脱帽の心境だった。
孫は孫で、小生の指摘を受け、確かに描いてないと思ったのだろう、勝手知りたるお爺とお婆の家だ、自分でクレヨンを探してきて、やおら描き加えたのが、
今の絵にある黒々とした一本の線。・・・当に「髪の毛」だ。
子供の目って面白い。真実を直視しているとも言える。まるで科学者のように。
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