善と悪の戦い:
ユヴァル・ノア・ハラリ著の「サピエンス全史」によれば、
多神教は一神教だけではなく、二元論の宗教も産んだ。二元論の宗教は、善と悪という、二つの対立する力の存在を認めている。
二元論では、悪の力は独立した力であり、善き神に創造されたものでも、善き神に従属するものでもないと信じられている。
二元論では、全宇宙はこれら二つの力の戦場で、世界で起こることはすべてその争いの一部だと説明される。
(二元論とは、2つの基準が並走する状態のこと。「ダブルスタンダード」という意味だ。1つは善の神、もう1つは悪の神である。
この2神が並び立つ世界のことをいう。:引用者註)
とあり、
無数のキリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒が強力な悪の力の存在を信じている。そうした力は、独自に振舞い、善き神と戦い、神の許しなしに猛威を振るう。
と記している。即ち、戦争放棄は神の国でもあり得ないのである。「まして況や俗界をや」である。
私は、第二次世界大戦の敗戦国ドイツが、日本と違って、戦後、戦争放棄を憲法化しなかった理由が知りたかったが、これで納得することが出来た。
信仰する宗教が戦争を認めているのであるから、戦争放棄を発想する下地は無かったのだろうと理解したわけである。
それに対して、
仏教や儒教、道教、インドのジャイナ教の教義は、神々は人間や動植物同様、
自然の諸法則に支配されていた。
とするから、二元論は存在しない。神は至上ではないからだ。
従って、神々の戦は無いのである。我々が戦争放棄を発想する所以であろう。