受動意識仮説
2020/9/15 石井ト
私たちは、日々、喜んだり悲しんだり、一喜一憂の人生を歩んでます。
その、一喜一憂という意識ですが、面倒だからと意識を消す方法はあるでしょうか。・・・できる方法は睡眠か死ぬかしかありません。
だから、意識出来るとは、活きてる証拠でもあるのです。即ち、意識があってこそ人なのです。
だから、その意識という存在、その実体を知りたい!となりますよね。
今回、その意識を扱った仮説に出会ったので、多分、面白いと思われると思って、紹介してみます。
- イントロ
普通、我々は、「脳の中の『意識』の働きで、知情意が生まれる」と理解するが、本仮説は、その考えを否定し、
「脳の中の『意識』が先ではなく、『無意識』が先」と説く。この非常識とも思える考えを紹介します。
既に、ご存じの方も居られると思うが、ご容赦の上、ご意見など頂ければ有難い。
- この仮説を見つけた経緯
去る8月8日(土)の毎日新聞朝刊の「今週の本棚」欄に載った「クオリアと人工意識」(茂木健一郎著)を読み、
図書館から見つけたのが「脳とクオリア」」(茂木健一郎著)。
この本を一読したが、肝心の脳の仕組みを構成する素子や回路についての説明が少しでもあるのかなと思っていたが、
それがなくがっかりしていた。そんな時、ネットで見つけたのがこの仮説。
仮説だから、未証明の話ではあるが、ユニークなので、ネットで動画(実物は下の5項を参照のこと。)を見付け調べてみた。
その結果、今のところ、変なとこや、無理筋・こじつけは無い。技術的関門はあるにしても有力な仮説だと思う。
よって、皆さんに紹介しようと思った次第です。コロナ禍の中、暇つぶしになるから。
- 受動意識仮説
- 発見者
前野 隆司(1962年−)、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。
- 仮説
意識は、無意識下の自律分散的情報処理結果に受動的に注意を向け、あたかも自らが行ったかのように幻想体験し、
エピソード記憶するための(無意識に対して受動的な)存在。
(註:石井ト)要するに、意識は無意識に促されて生まれると言ってるわけです。なお、無意識は意識されることはありません。だから無意識の中身は知りえないのです。
ただ、無意識が意識させようと決心したら、意識が生まれ、人は意識できるとなります。この無意識から意識への橋渡しのメカニズムの類のことを、
脳の専門家は「結びつけ問題」と呼んでいます。
この無意識の決心のメカニズム、即ち結びつけ問題がキーだと思いますが、発見者はそのメカニズムまでは言及してません。
ただ、無意識を構成するニューロンの発火状況をみて・・・と言ってるだけです。
多分、これが技術的関門の重要な一つでしょう。眞に言うは易く行うは難しです。これが人文科学の分野、例えば哲学とか、なら適当に言い抜けられるが、
自然科学ではそうは行きません。実証実験をしますから。そこが面白みでもあり苦しみでもあるのです。だが、結果がでれば、面白みはずば抜けてるでしょう。
何しろ、真実を発見したのだから。その真実は、多数派だけの真実というようなものではなく、全人類にとっての真実を意味します。
余談ですが、あの、多数派だけの真実に立脚するのが民主主義と呼ばれるもの。だからあれは、全人類にとっての真実を意味しません。強いて言えば統計的真実でしょうか。
- 仮説の中の言葉の説明
- 自律分散的情報処理:
たとえ話でいえば、「脳内には小人たちが大勢いて、その小人たちが夫々別々に自分の分担の情報分を処理をする」というイメージ。
小人は脳内のニューロン(脳神経)回路の喩え。
- エピソード記憶:
エピソードは事件のこと。エピソード記憶は事件記憶という意味の言葉。前野氏の造語らしい。
なお、ほ乳類や鳥類はエピソード記憶が出来、昆虫は出来ないそうだ。エピソード記憶するのが「意識」。
例えば、朝食に何を食べたか、などがエピソード記憶。その記憶をもとに、昼食には朝食べてないうどんにしようというような意識が生まれ得る。
- 意識は、無意識下の自律分散的情報処理結果に受動的:
意識は小人たちの決定に従って動くということ。逆に言えば、意識は自らは動かないということ。
従来は、意識が他を動かす、即ち、意識が他を起動するというのが常識だった。この仮説ではそれが逆になっている。・・・ちょっと実感とは違うが、それについても、
この仮説は違わないことを説明している。それが、仮説が云う「あたかも自らが行ったかのように幻想体験し・・・」の部分である。
なお、意識起動型を前野氏はサーチライトモデルと呼んでいる。意識が脳内を次々と調べて(サーチライトを当てて)必要と判断したら起動を掛ける
・・・というイメージでそう呼んだようだ。
- ビデオ
- 所感
- よいアイデァだと思う。意識が受動的なら、能動型に比べると格段に研究がし易いはず。
ただ、受動の仕掛けの解明が難問だろう。
- 神経発火が盛んなところをピックアップするのが「意識」:
言葉で言うのは簡単だが、発火現象を捉える仕掛けの実体を突き止めるのは難しそう。
何しろミクロの世界で、しかも相手が生身のニューロンかシナプス(筋繊維)と結合したニューラルネットワークなのだから。
How shall we sing the load's song? の心境だ。
- 外界をモデリングするのが脳なら、脳をモデリングするのが「無意識」:
確かにそうだよね。外界を認識するのが脳で、その脳を認識するのが無意識となるよね。
面白い!・・・外界と脳と無意識の三層構造は、ロシア人形のマトルーシュカを思わせる。
認識のマトルーシュカだ。更に、無意識の下部に更なる構造物があるのかないのか?となる。あれば、無意識の中の小人たちかも。
なお、「モデリング」とは、広義の意味での模型(モデル)を組み立てる事を言う(ウイキペディアより)。
従って、「外界をモデリングする」とは、我々一人一人が、夫々独自に、外界の模型(モデル)を作り、
それを脳が外界と認識していることとなる。従って、夫々の人の認識は大概一致するだろうが、細部まで一致するとは限らない。
所謂、個性発生の原因の一つと思われるものがそこにある。
- 例示
「一目見た時好きになったのよ!」という歌があるが、それは先ず無意識が合点し、好きという意識を産んだとなるわけです。
続く歌詞では、「何が何だかわからないのよ!」だから、無意識の決定事項だから、意識では決定の理由が分からない!となるわけで、辻褄あってます!
なお、「一目見た時好きにならなかった!」という人の場合は、好きになった人の外界モデリングとの間に差があったとなる。
モデリングが全員同一ではないことの例である。
この辺りのモデリングの差を「痘痕も靨」と言ったりする。
- おまけ
例示した音楽は、「愛して頂戴ね」の歌。昭和4年発売の佐藤千代子の歌だが、今回は、藤圭子のにリンク張っておきます。
ここをクリックのこと。
コメントはこちらへメールして下さい。その際、文中冒頭に「HPコメント」と記して下さい。
メールはHP管理者へメールしてください。
<コメント欄> 当欄は上記のメールをコメントとして掲示するものです。