開戦80年の懐古と反省とアドバイス

石井ト
今日は太平洋戦争開戦の日から80年目の日だ。 その日は、小生3歳と8か月の日に当たる。随分昔の話だが、記憶に残ったことを書いてみよう。
一つは、当時、日峯さんの前に「松本屋」という旅館があったが、小生がその前を通ったら、玄関に大きな垂れ幕と日章旗が輝いていたのを憶えている。 そして、当時、「紀元二千六百年」という歌が流行っていた。 私は、紀元二千六百年という言葉の意味は解らなかったが、何かいいことが起っているようだと感じていた。
もう一つは、「ハワイ・マレー沖海戦」という映画をみたこと。 映画館は「世界館」というところである。当時、1階は全て椅子席だったが、2階は後方は椅子席だが前方は桟敷席で畳敷きだった。 小生、そこで寝転がって観たものだ。何回かリピートしたと思う。当時、家が近かった所為で、顔パスが利いた。 チケット嬢も、餓鬼じゃ仕様がないと見逃したのだろうと思う。 戦闘シーンは本物と思っていた。今ほど世間ずれしてなかったのだ。信じられないだろうが。そんなときもあったのだ。
懐古の証として、当時の音楽にリンク張っておくので聴いてみて下さい。 「紀元二千六百年」はここをクリックのこと
この曲が書かれたのは昭和15年、紀元二千六百年は昭和15年のことだ。聴けば曲調が明るい。今とは大違いの明るさだ。当時の世相を映していると思う。 思えば、このまま自省的かつ進歩的に行っていれば、固有の領土も保全されていただろうにと悔まれる。。 ここで、自省的とは理性的にということ、進歩的とは知性的にということ。そうすれば情緒的な博打は打たなくなることが期待でた。
思うに、日本人の悪癖は情緒的ということ。まあまあで済ますということでもある。だが一番の欠点は、いいときはいいがそれが長続きしないこと。 結果として、先人の業績は時間とともにガラパゴス化し時代遅れとなるのである。そうしたら又努力するがまた遅れるの繰り返しとなり、 サステナブルな国家運営は出来なくなる。
ではどうすればいいかとなると、少し飛躍するが、国民全体の知性を底上げしなければならないとなり、そのためには、 国語教育を情緒国語から論理国語に変えなければならないとなると思う。 別の表現をすれば、徒然草や源氏物語から論文文体へ教育の仕方を変えることだ。 そうすれば、物事を情緒的に捉えることから、総合的、即ち理性的且つ知性的に捉える礎になるだろう。
この論理国語思考の下、憲法を見直せば、基本と末枝の間に筋の通った憲法を頂点とした法体系が構築出来るはず。 現憲法にはそれがない。どうしてそうなったかと言えば国民の思考法が情緒的だからだ。 論理文体としては欠陥だらけでも、まあまあで放置する神経には正直愚かしさを感じる。
以上、開戦80年の懐古と反省とアドバイスを述べてみた。言いたいことを一言で言えば「論理的になれ!」だな。別な言葉で言えば「理屈っぽくなれ!」。 村社会的な世界で通じる情緒的思考は現代では通じない。世界性を持った思考に開眼することこそ本開戦ミスの代償となるだろう。
以上、ご意見いただければ嬉しい。
 
 
 
コメントはこちらへメールして下さい。その際、文中冒頭に「HPコメント」と記して下さい。 メールはHP管理者へメールしてください。
 

<コメント欄>   当欄は上記のメールをコメントとして掲示するものです。