言葉が変

2021/03/31 石井ト
去る3月28日(日)、Yahooニュースに、「世の中『させていただく』だらけ 敬意のインフレをどう捉えるべきなのか」との記事が載った。
この他にも、最近変な言葉が多い。その中から、「させていただく」、「・・・たらいいな」、「・・・みたいな」の三点について思うことを記してみます。
  1. 「させていただく」
    この節では、「させていただく」ブームの背景について、『「させていただく」の語用論 人はなぜ使いたくなるのか』 (ひつじ書房)の著者である法政大学の椎名美智教授に話を聞いたYahooニュース記事から、幾つか抜粋して紹介することにする。
    • 質問1.
      • 記者
        「させていただく」は現在、誰かに敬意を払うというより、使っておけば丁寧で問題ない、みたいな感じで使われるケースも多いように感じます。
        そもそも「させていただく」はどのような言葉なのでしょうか?
      • 椎名
        分解すると、「させて」と、“もらう”の敬語である「いただく」から成る言葉です。
        意味を見ていくと、「させて」で、人から何らかの「許可」をもらい、「いただく」で、人から何らかの「恩恵」を受ける。 つまり本来は、許可や恩恵をもらう「他者=あなた」を前提とした言葉です。
        「あなたの許可を得て、ありがたいことに〜をいただく」ということです。
        しかし現在では、ついに相手を必要としなくなったというか、他者がいなくても使われるようになってきています。
        同時に、本来は自発的に行う行為に対しても、「させていただく」が使われるようになっています。それが先ほど挙げた、 「努力させていただく」ですね。もはやどんな動詞にも付けられる助動詞になっていますよね。
    • 質問2.
      • 記者
        「させていただく」は、あなたに触れることなく(遠隔化)、あなたとのつながりを創出(近接化)する言葉であると本に書かれていて、面白いなと思いました。
      • 椎名
        そうやって遠近の距離感を調節しているという点で、絶妙な言葉だと思います。
        「させていただく」は、失礼のないように遠いところから、でも相手に手を伸ばしているようなイメージの言葉だといえますよね。
    • 質問3.
      • 記者
        「させていただく」の流行から、他者と直接つながったり、直接的な接触を回避する方向に向かっていることに懸念を示されています。
      • 椎名
        「させていただく」を使いすぎると、その人の「顔」が見えにくくなります。
        今、「させていただく」は「私は丁寧でちゃんとした人です」ということを示すマーカーのようになっていて、皆がマーカーを掲げて、 安全な「させていただく」シェルターの中に入ってしまう。
        喋っている人の顔が見えなくなるくらい奥深く入り込んでいるように感じますね。
    • 質問4.
      • 記者
        なぜそんなにも丁寧であろうとするのか?
      • 椎名
        学生たちと接していると、人に優しく、配慮が行き届いている一方で、人を傷つけること、怒られることを恐れる傾向が強いなと感じます。傷つけたり傷つくのが怖い、 だから丁寧にしていようってことではないでしょうかね。
     
  2. 「・・・たらいいな」
    この言葉、テレビで頻発している。
    強い決意を表すというより、願望を表す無責任な句として常套句化したのではないかと思えてくる。 オウム返しの結語のようで、積極的な意味がない空疎な言葉使いなのが気にかかる。
    だが、この言葉は面白い。何故なら、この言葉は未来を語っているように見えるからだ。 日本語には未来構文は存在しないそうだ。であれば、この「・・・たらいいな」は未来構文化する可能性を秘めてる、と推えるからだ。 ちょっと餓鬼っぽいのが気に掛かるがが、その内慣れるだろうし、楽しみではある。
     
  3. 「・・・みたいな」
    この言葉も、テレビで頻発している。
    断定しないのが味噌のようだ。
    断定を避けて逃げ場を残すのに最適な言葉として使われているようだ。椎名美智教授の回答の中にもそれがある。
    問題は、若い人の話に頻発すること。これも、逃げ場を求めて使うのだろう。 それだけ、人は、気を使ってる、ということだろう。
最後に所感を書いてみます。
  1. 言葉は人間の考えを固定(fixation)したもの
    例えば、
    コロナみたいなものに 感染力がなかったらいいなと 念じさせていただいております。
    一見、言葉はしっかりしてるようだが。何言ってるのか分からない文章ですよね。
    昔、「言語明瞭、意味不明」と評された総理大臣がいたことを思い出した。このことを情報理論によると、データ量は多いが情報量はゼロ、となる。 我々も、データ量より情報量を大事にしたいと思うが如何だろうか。
    言葉って、人間の考えを固定したもの。だから、言葉は大事。考えを正確に固定するよう心がけねばならないと思う。 この場合、「固定」とは、高校の化学の時間で習った「空中窒素固定」(Aerial nitrogen fixation)の「固定」(fixation)の意味で使ったもの。 空気中の窒素を固定して窒素肥料として利用できるようにするのと同じように、人間の頭の中に在る考えを固定して利用可能にするのが言葉である。 若し、考えが固定されないと、考えはその人だけの限定品となるが、考えが言葉として固定されると、皆が同じように利用できるようになる。 だから、言葉ってとても大事だと思う。
    それを、わざわざぼかしたり曖昧にしたりするのは基本的には邪道だと思う。 ・・・人間の直面する現実の過酷さには例外的応用動作も必要だろうが、それは必要悪の類であることを自覚しなければならない。本筋は正確に事実を固定化すべし、である。
  2. 人間の理性の出力が言葉なら、感性の出力は何か?
    少し追加しよう。それは、人間が外部に発する出力は言葉だけか、それともそれ以外の出力があるか?との疑問を解くこと。
    人間が考えたことを言葉に固定化する能力を理性と呼び、 更に、五感で感じる能力を持っていて、それを感性と呼ぶ。 結果、理性の出力が言葉なら、感性の出力は何か?という疑問にぶっつかる。
    小生、感性の出力(体外に出る出力の意)は、音、動作、だと思う。花に感じて涙を流すのは動作だ。痛みに感じて唸り声を発するのは音声。 この音声の人工物(アート)が音楽だろう。その際、言葉の影響を取り除いて成立しているのが、無言歌と呼ばれる音楽ジャンル。 無言歌は器楽曲ともいう。言葉が無いのがその特徴。
    だから、感性の出力は、言葉ではない唸り声、泣声、口笛、無言歌(和太鼓含む)などの言葉ではない音と動作となる。
    無言歌はメンデルスゾーンの発見になる音楽ジャンルだ。 その中から、メンデルスゾーンの「春の歌」を聴こう。 ここをクリックのこと
    確かに、感性が表されていることが分かるよね。言葉なしでも。
    なお、言葉による感性の出力は詩(ポエム)。音楽では歌曲となる。
    以上から、人間の外部への出力は、言葉、音、動作となる。
  3. 「たらいいな」考察
    最近聞く言葉に「たらいいな」がある。この言葉を時制という観点から考察してみた。
    この言葉、聴いた感じでは、未来に起こることを仮定して、「〜であればいいな」と断定しているフレーズだが、未来構文のある英語の場合とどう違うか、調べてみた。
    ネットでの関係サイトによると、未来に起こることを次の4つに分類している。このサイトは、ここをクリックのこと
    1. 未来の決定済の予定を表す構文
      例えば、I’m going to buy a new car.(私は新しい車を買う予定だ)・・・英語は構文レベルで未来の予定うを表現できるが、日本語は構文レベルでは示せないので、 文中に「予定」という言葉を入れて未来を表している。
    2. 未来の現状からの予測を表す構文
      例えば、There are a lot of black clouds in the sky. It’s going to rain soon.(空に黒い雲がいっぱいある。すぐに雨が降るだろう)
    3. 未来の予想を表す構文 例えば、Don’t worry about the exam. You will pass.(試験のことは心配するな。あなたは受かるよ)
    4. 未来の意思を表す構文 例えば、The phone is ringing. ? I will take it.(電話がなっている ? 私が取るよ)
    問題は、この4つの分類に、「たらいいな」という未来に起こることを仮定した場合の項番が無いこと。
    未来の於ける事象として、英語世界では、上の項目から、未来について、「予定」、「現状からの予測」、「予想」、「意思」があるが、 「仮定」があっても可笑しくないのに、このサイトでは抜けている。・・・サイトが見逃したのか、私のミスか、不明。
    だが、ここでは、「仮定」は在るはずだとして考えよう。
    そうなると、「たらいいな」という言葉は、未来の仮定を言う言葉となる。 日本語には、未来構文がない。その代わり、未来の仮定で未来を語っているとなるわけだ。 それって、自然だよね。無い方が不自然だから。未来を語る言葉の芽生えと言えるだろう。新大和言葉の一つである。
    このように、未来構文の芽生えは、日本語の進化と言えそう。だから、決まり文句で耳障りなどと毛嫌いしないよう心がけようとおもう。
 
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