人生いろいろ

平成31年1月吉日  山下永二
私は、人口1万2千位の団地に住んでいます。その中に、約30人位の棋友会という囲碁クラブがあります。そのメンバーは、様々な経歴の持ち主の集まりであり、囲碁を通じて親交が深まり、社交の場になって一つのグループが出来上っている。その高齢化社会の一端を紹介したいと思います。
◎ 棋友会の状況
棋友会は、平成元年に創設され、水・木・土・日の週4日 午後から半日集会所で碁会を開いています。年齢は、若い人は65歳から最年長が85歳で平均年齢75歳だろうか。その中に女性が1人います。段級位は、七段から4級まで幅広く格差があり、初段を中心に215点として15点刻みで段級格差を付けた点数制を採用して対局しています。1勝すれば1点上がり、1敗すれば1点下がり、勝敗により点数が上下します。
年間行事は、期間4ケ月のリーグ戦を年3回の他、年3回の定期大会と春の湯河原と秋の秩父の温泉大会(一泊)を催しています。その他誰かが呼びかけて臨時に長距離旅行を行っている。
市内には、他に睦会、同好会の団体があり、毎年6月に三団体の合同大会が行われている。
アマの段級位は、一応日本棋院で認定審査はありますが、必ずしも全国統一されたものでなく地方によってそれぞれの団体や碁会所などで独自で決めているのが現状です。私達の段級位も市の合同大会の結果によって決められている。
◎ いろいろな人生経験者の集まり
@ S氏は、日比谷高校から東大法学部卒業後通産省中小企業金融公庫で勤務されたエリートでした。「ローマ人の物語」で有名な作家塩野七生氏は日比谷の後輩だそうです。彼は、棋友会を創設し、会長として10数年間運営・育成に尽力された。高校3年の時囲碁を憶え、職場や同僚と退職まで研鑚され七段格の棋力でした。
人格円満で、メンバーからも尊敬されていた。リーグ戦の膨大な勝敗をエクセルの関数を活用した成績管理は、素人ではなかなかできないものでした。
5年前に会長職を私に譲って、間もなく心筋梗塞から肺ガンを患い80歳で他界された。奥さんは、「今度 生まれ変わってもこの人と結ばれたい」と言っていました。
A I氏は、東京池袋生まれの江戸っ子で、「とらや」の羊羹屋で勤務していた。退職後囲碁を憶えて現在2段格の棋力です。幹事長の役割や調整・連絡等会長の補佐を積極的にやっている。
春秋の囲碁研修会(温泉大会)においても実行面でリードしている。口が悪く時には、独断的だったり、強引に運営したりする性格で嫌う人もいる。いわば「鬼軍曹」という人物評だろうか。彼は、愛飲家で囲碁後の反省会と称する懇親を毎回 居酒屋でやっており、酒が飲める6名位のメンバーを集めている。それが習慣となって棋友会の諸問題や解決策は居酒屋で話し合われるようになった感がある。
彼は、京都に5年間勤務したことがあって、5年前京都旅行を企画した。比叡山のほか京都の各所を案内したり、芸者や舞妓を呼んで宴席を賑わせたことがあった。こうゆう裏社会には長けているようだ。健康法は、20年来インドヨガを続けて柔軟な身体を維持している。80歳になった彼も老化には勝てないのか最近、白内障で両眼手術した。又大腸ガンの疑いで検査中である。
B U氏は、東京教育大出身で都内のある高校教師を勤めていた。大学1年の時60年安保闘争に参加し、刑務所に入ったことがあるという全学連のモサだったらしい。当時泣く子も黙ると云われた総評事務局長だった岩井章氏に連れられ北朝鮮側から板門店へ行ったという。今 彼は,多くを語らないが言葉の端々から過去 相当な左翼活動家だったようだ。生まれは北海道函館の北にある森町出身で、退職後その郊外に家を建てた。熊が時々現れるという。毎年4月から12月の半年 妻を団地に残し故郷 森町の家で孤独な生活を送っている。住所も本人だけこの町に移しているらしい。本人は妻に先立たれても困らないようにと言っているが、過去の償いをしているのか、古里の思いが離れないのか真相は分からない。聴くのも悪いと思って敢えて聞いていない。2年前、初秋反省会メンバーのうち5名が函館旅行を兼ねて森町囲碁倶楽部と交流対局をした。その時 彼の家で一泊してお世話になった。彼の棋力は5段格で粘り強い。彼の先祖は山形の尾花沢らしく、東北人特有の辛抱強い性格を受け継いでいる。彼は、会で一番の酒豪で反省会の常連である。5年位前肺に小さなガンが見つかり、治療して治ったら、大腸ガンが再発し検査治療中で、健康には気を使っている。 彼も白内障で両眼手術した。年齢は、間もなく80になる。
C MI氏は、大分舞鶴高校から九大法学部を出て、三井住友信託銀行へ入社し福岡から大阪、東京の各支店長を勤めた銀行マンである。奥さんは、福岡勤務中の社内結婚で佐賀の鍋島家の子孫らしい。そのためか頭が上がらない大の恐妻家で退職後の現在炊事洗濯等家事を一手に引き受けてやっている。自宅で酒を飲むことを禁じられているため、囲碁の後反省会に参加して飲んでいる。彼の飲み方は、独特で1年中、焼酎の水割りだけでつまみは一切食べない愛飲家である。彼の信条は、銀行マンらしくお金がすべてと云う。使うより貯めることが趣味だと言っている。従って、会の旅行や大会にはムダな金を使うので参加しない。銀行の習性からか 今でも株の売買をやっているようだが損得は分からない。対立話題を提供しいつも賑わせている。棋力は四段格だが、本人は大分の六段と公言している。年齢は常連の中では若く70余歳である。
D H氏は、湘南高校から日大を出て1級建築士になり、竹中工務店で勤務した。囲碁は、六段格だが、毎年世界アマ囲碁大会に参加しヨーロッパ各地へ出かけている。世界では二段格で打っているが苦戦しているようだ。酒は下戸だったがI氏に引っ張られて呑めるようになった。囲碁の他 マージャンが趣味で週一新橋で元の会社の仲間と囲っている。彼は、不眠症で睡眠薬を常薬としている。彼の健康を心配している。年齢は、丁度後期高齢者になった。
E MA氏は、東大出身で鹿島建設に入り各地の建設現場の責任者として勤めが長かったらしい。土建業界についてはうるさい。政治的な意見は保守派で時折苦言を呈することがある。競馬、マージャン、ゴルフ、カラオケ、囲碁と多趣味だ。囲碁は、七段格で一番強かったが、最近更に強い人が加わったため、NO2になった。彼も恐妻家で食後の洗いや洗濯もやらされているようだ。頭はツルツルの丸坊主で最長老に見えるが、齢は後期高齢者には至らない。不整脈が出て心筋梗塞を心配し、飲酒と食事に気を使っている。
F 最後に不肖私は、S氏の後任会長にはやり難いと思い躊躇していたが、世代交代までの中継ぎとして引き受けることにした。私は、大学1年の時囲碁を憶え、各地の勤務先で碁会所や知人と手合して、退職時日本棋院で四段の免状をもらった。その後は池袋の「石心」という碁会所に通いました。現在は、市の大会で六段格に指定されている。現女流本因坊 藤沢里菜(藤沢秀行名誉棋聖の孫18歳)さんが小学2年の時 私は2局対局して1勝1敗だったのが印象に残っている。彼女はその4年後にプロになった。健康状態は高血圧症で1ケ月半に1回定期検診を受けている。
◎ 主要なメンバーの生きざまの一端を紹介したが、それぞれ病を抱えながらあの世を見つめて、余生を楽しんでいる。日本の高齢化社会の縮図かもしれない。
 
 
 
 
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