NHKテレビ「ガッテン!」

「これが世界の最先端認知症予防法SP」から抜萃

石井ト
 
昨日のNHKテレビ「ガッテン!」で、標記の番組をやっていた。
我々にとっても認知症は、真に、今、「そこにある危機」であるから、標記番組からの抜粋を掲載し、皆さんの健康生活に資したい。
ご覧になった面々も多いと思うが、若しかして見逃された方がおられたら、ご一読いただき、参考に供されんことを願っています。
  1. 脳のゴミ
    人は考え事をするとゴミが出る。それは脳のゴミで、老廃物である。
  2. アルツハイマー病とは
    脳のゴミが集まる→固まる→脳が縮む。この状態になることを医学用語で「アルツハイマー病」という。
  3. 脳のゴミの影響
    脳のゴミが集まると周りの神経細胞を傷つけて死なせてしまう。 その証拠がゴミで、顕微鏡で見るとシミのようになって見える。
  4. アミロイドβの影響
    東京都健康長寿医療センター 神経画像研究チーム 部長石井賢二氏によると、
    • ゴミの正体はアミロイドβというたんぱく質である。
    • アミロイドβの蓄積を老人斑という。
    • それがアルツハイマー病の引き金になる。
    • この蓄積を抑えることが鍵なのだ。
  5. アルツハイマー病になる人とならない人の境目は何か?
    アメリカ セントルイス ワシントン大学 医学部神経学教授 ジョン・モリス氏は、アルツハイマー病発症のメカニズムを研究した。
    どうしたらアミロイドβの蓄積を抑えることが出来るのか。 辿り着いた結論は、「アルツハイマー病は予防できる。」である。
    研究結果として、アルツハイマー病を発症した人の、発症年齢と、アミロイドβ蓄積量、との関係を示すグラフが表示された。
    • 発症から25年程度前から蓄積が始まり年齢と共に蓄積量が増えること
    • 発症から5年程度前から軽度認知障害となること
    • 発症から0年でアルツハイマー病を発症
    また、次のようにも語った。
    • 健常者はアミロイドβの産出と排出の量は同じであること。
    • アミロイドβの排出の低下がアルツハイマー病発症の原因であること。
  6. アミロイドβを排出する方法の研究
    オランダ ラドバウド大学 ジャーゲン・クラッセン准教授は、 40代〜60代の26人を2つに分け、1つは普通に寝る組、もう1つは徹夜する組、で実験を行った。
    翌朝、アミロイドβの量を計ると、徹夜組はアミロイドβの量が増え、普通組はアミロイドβの量が減っていた。
    こんな短い時間で結果が出て驚いた、というのがクラッセン准教授の率直な感想だ。 要するに、睡眠がアミロイドβの蓄積を抑える方法なのである。
  7. 睡眠の質の研究
    ワシントン大学 神経学教授 ディビット・ホルツマンは、145人の人の睡眠を調べた。 睡眠中、動きの多い人の睡眠は睡眠の質を悪いとし、動きが少ない人の睡眠の質は良とした実験をした。 その結果、アミロイドβを排出できる確実な予防法の1つが睡眠であり、認知症のリスクを減らしたり、遅らせたりできると考えた。
  8. アミロイドβが流れて行く瞬間の映像
    オレゴン健康科学大学 医学部 准教授ジェフェリー・アイリフは、血管周りをアミロイドβが流れて行く瞬間の映像を捉えた。 起きているときより、寝ているときの方が、激しく流れていた。
    睡眠中、脳は、細胞の間に隙間を作っていたし、その脇にできた道を通ってアミロイドβなどの物質を流し易くしていた。 今まで誰も見たことのないものが目の前に現れたのでもう大興奮さ!とのこと。
  9. 纏め:アルツハイマー病予防の方法
    鳥取大学医学部教授 浦上克哉氏によると、アルツハイマー病予防の方法は次の通りだとし、これにより、アルツハイマー病発症のリスクを5分の1に減らすことが出来るとした。
    1. 脳のゴミを排出すること
      • 睡眠
        • 6〜8時間の睡眠
        • 昼寝30分未満
    2. 脳神経を活性化させること
      • 有酸素運動
      • コミュニケーション
      • 知的活動
  10. 食事の影響
    国立循環器病研究センター脳神経外科医師斉藤 聡氏は次のように語った
    • マインド食とはバランスのよい食事ということである。
    • 日本人が今、気をつけなければならない食事は、減塩である。
    • 脳の血管を丈夫にする食事が肝要。
    • アミロイドβの排出には脳の血管も関係している。
    • 脳の動脈の拍動が大事。
    • 血管をしなやかに維持することがアミロイドβの排出の鍵。
  11. リンク設定
    マインド食については、ここをクリックすること
  12. 所感
    以上が抜萃だが、ここで少しだけ所感を書きます。
    小生にとって睡眠は、まあまあかな、というところだが、食事は要注意領域だ。 特に塩。それから、お菓子。・・・減塩の味噌汁で、減塩の醤油で、減塩の鮭、減塩の梅干し、これでは食がすすまないと思う。 一度、アミロイドβの量、調べてもらおうかな。その量から、発症までの時間が判ると思うので、それを参考にどうするか決めたい。 アミロイドβの量が0近傍なら、25年ほどあるから、今のままで大丈夫だろうし、5年なら即実行しなきゃいけないし、10年なら、迷うところかな。
    小生、常日頃、人体の健康は血管を正常に保つこととイクオールだとの考えから、毎晩、風呂上りに乾布摩擦をしている。 何故なら、皮膚を摩擦すればその部分の血流が増えると以前テレビで放送しているのを聴いたからだ。 脳については、耳の後ろを左右夫々5回摩擦する、という方法を行っている。 だが今回ゲットした情報から、脳の血流促進のため10回に増やそうと決心をした。 血流が増えれば血管も丈夫になるにちがいない。
    血流促進という課題を、少ない負担で毎日定期的に人間がやれることはそんなに多くない。 精々実行可能なのは、小生がテレビで聴いた皮膚を摩擦するということくらいだろう。 乾布摩擦は綿のタオルが一枚あればできるから簡単だ、やる気があればだが。
    脳の血流促進のため人間がやれることが、もう一つある。それは寝る前の歯噛みだ。この方法は、江戸時代の初期の福岡藩士にして儒学者・本草学者貝原益軒の養生訓にある。
    彼に関して面白いのはその号だ。我々が学校で習ったのは益軒だが、それは晩年のこと。初めは損軒と号していた。
    もう一つは、彼の名言として次の言葉を残しているが、これが本稿の最先端認知症予防法の「コミュニケーション」に反することだ。 彼は、儒学者ではあっても実証主義を以て諸説を主張したそうだが、この場合は、儒学者が表に出たのだろう。 そも儒学と実証は縁遠い存在だと思う。とても一緒になれるものではないだろう。なっても直ぐ離縁かな。
    • 言語を慎んで 無用の言葉をはぶき 言葉数を少なくしなさい。
    • 喋れば喋るほど、 気を減らし、 また気が高ぶる。
    • 大きく元気を 損なってしまう。
    • 言語をつつしむ事も 徳を養い、 身を養う道である。
    寡黙に高い価値をおくという感性は頷けない。 それを我々に納得させるだけの根拠も示されていない。 また、単語の意味も曖昧なまま使っている。 真に儒学者である。 実証主義を奉ずるなら、こんな駄言を発するとは意外である。
    この寡黙という価値観がいかに多くの害を齎した、また、齎し続けているか、解っているのだろうか。 この価値観が通じたのは、江戸時代という社会で、武士という指導階級がしっかり機能していた社会に於いてである。 今は民主主義という指導階級が無節操な社会。 そんな中で、寡黙はないだろう。 我々はそのことを理解すべきである。
    私が言いたいのは、もっとオープンになれ!ということだ。 「少しおしゃべりな方がいい、偉そうにしてない方がいい!」である。 これ、なかにし礼作詞の「北酒場」の替え歌だ。 オープンになることの狙いは、大衆教化だろう。もっと言えば、大衆の知性化である。個々人の知性が知性的になることが重要だ。 その知性が、節操のある指導者を選ぶようになるはずだ。段々、少しづつ、100年程かけて。
    だが、そんなする内に、AIの時代が始まりそう。そうなると各人はAIに訊くだろう。どうしたらいいの?と。 ・・・問題は、AIの出した解の正否判断が人間にできるかどうか、である。 初めの頃は可能でも、段々お任せになるのではないだろうか。それはAI支配社会そのものである。 AIは神様、AI技術者は神官だ。・・・人間は進歩していないのかも知れない。
    人間の幸せって何だろう?
    小生思うに恐らく、退屈しない、ということだと思う。 人間が最も恐れるのは「孤独」だろうが、これ、言い直せば「退屈」と言うことだ。定義にも因るが、孤独を脳の退屈と考えれば、合っているだろう。 人間は、孤立を恐れる。それも、畢竟、退屈だからだ。 退屈は老人には厳しいものがある、逃れる術が少ないから。
    人間の一生は、誕生の瞬間から足し算の生活が始まり、壮年を過ぎるころ蓄積のピークを迎え、その後は引き算の時代となる。 日頃から慣れ親しんできた者たちが次々と去って行くのだ。 自らの能力も同じ傾向を辿る。 増えるのは脳に溜まるアミロイドβだけ。・・・寂しい現実だ。
    でも、哲学書「人生論ノート」を書いた三木清は言うだろう、そのようなのは幸福ではなく、幸福感だと。 理由は量的だからだ。退屈しなかった時間と退屈した時間、というように計量化が可能だから。 確かのそうだよね、退屈するしないは、状態を表しているのだから。
    三木清は、 「“幸福”とは、各人にとって“オリジナルなもの”。 成功は“量的”なもの、幸福は“質的”なもの。誰もが真似できないオリジナルな幸福を持っているはず。」 とも言っている。
    では、質的な幸福、または、オリジナルな幸福って何だろう。 それはおそらく、「自立自尊の自覚」ということではないだろうか、他者のではなく。 他者は誤魔化せても自分自身は騙せない。本人にとって自覚は正真正銘の真実でありオリジナルそのものであるから、そこに幸福が在り得る、と言えると思う。 そも自覚とは知性的だよね。知性という判断システムの出力(アウトプット)だから。
    健康が重要なのは、自立自尊の自立を脅かすからと考えれば辻褄が合う。
    寡黙とアカウンタビリティについて
    寡黙の罪としてアカウンタビリティ能力の発達を阻害したことが挙げられる。
    アカウンタビリティとは日本では説明責任性と訳されるが、企業や学校は常に自らの業務について説明責任性が求められる。 アカウンタビリティとは神学用語である。神の前での最後の審判において、人間が天国行きの最終決定を受けるための、自分の人生についてのアカウンタビリティである。 神の前に人生を説明して見せるのである。神はそれに基づいて判断するのであるが、人間にとっては、この時に神の前で言えないようなことは自分の人生の中で、 さまざまな決断の際しないことになるので、まさに人間の行動の倫理的な規範になる。(この段、5月21日付け毎日新聞朝刊の「プロテスタンティズム」書評欄より引用)
    寡黙では、その重要な場面での説明において、後れをとる可能性が大である。 上手く説明すれば天国行だが、下手なら地獄行、これは不条理というもの。
    日本では、閻魔大王が裁判官を務め、ほぼ同じような進行で裁判をする。 だが、日本では、その際、説明の重要性についての認識はそれほどなかったのではないだろうか。 キリスト教では人間が主体的に自己の人生について説明をする、ということだが、一方の日本では、閻魔大王が人間の行いについて質問し、人間が答える、という構造となっている。 要約すると、前者は人間の方から神に対して説明し、後者は訊かれたことに答える、となり、前者が能動的なのに対し、後者は受身であり、人間の立場が根本的に違っている。 そこのところが面白い。同じ人間の宗教観でも能動と受動という立場の差ができるのはどうしてだろう? 若しかして日本人って受身な国民性なのかも知れない。農耕の民だから。
    我々に弁証法が育たなかった原因が、寡黙を善とした結果アカウンタビリティ能力の発達が阻害されたことにある、ということだろう。 それが今も続いている。
    話別だが、小池百合子氏が、豊洲新市場で引き起こした一連の見直し活動、あれはアカウンタビリティの観点から素晴らしい業績だと思う。 忖度忖度と都民にはわからないものを一部の村社会的人間だけが決めて行くやり方、もうお仕舞にしたいもの。 今度の都議選では、アカウンタビリティの観点から投票するつもりだ。
    知らしむべし、痴らしむべからず
    寡黙の罪として「由らしむべし、知らしむべからず」が挙げられる。
    NHKで報じていたが我が国の自衛隊が、南スーダンで果たしていたPKO活動から、昨日、完全撤退した。 今日、夜の9時の放送、「NHKスペシャル 変貌するPKO 現場からの報告」で、その実態を報じていた。
    番組では、自衛隊に取材を申し込んだが断られたと報じていたが、これには驚いた。何故、自衛隊は取材拒否するのか。国民にその実態を知ってもらうチャンスなのにだ。
    行政の基本的態度は、論語が巾を利かすかつての封建社会ではないが、今でもその基本的態度は、「由らしむべし、知らしむべからず」だと推測される。
    封建社会なら知らず、今は民主社会という大衆が主権者の社会だ。 この民主社会の弱点は、ポピュリズムの横行にある。 だから、ポピュリズムに陥らないためには、大衆の知性を上げるしかない。
    ローマ帝国滅亡の原因は「パンとサーカス」と言われた大衆迎合政治にある。 権力者から無償で与えられる「パン(食糧)」と「サーカス(娯楽:コロシアムでの格闘技などの見世物のこと)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれたことを指している。
    民主政治体制の弱点は大衆迎合政治にあるのである。 そうならないようにするには、国民の知性教育に力を入れる以外にない。 それには、事実を説明するしかないのである。隠してつんぼ桟敷に置いていても、進化はない。 それを意識することが知性ある治世というもので、「知らしむべし、痴らしむべからず」である。
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