初詣、寒山寺、蘇州夜曲

石井俊雄
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
今日、正月2日、初詣をしようと思い青梅の自宅からそれほど遠くないところを探したところ、青梅線の「沢井駅」から徒歩10分くらいのところに「大日本寒山寺」というお寺があることが分かり、そこに行ってみました。 写真はそのお寺の写真です。
よかったらご覧ください。
 
 
青梅線「沢井駅」で下りて、有名な「ままごとや」の脇を抜けて多摩川の向かい側に出ると川縁のすぐ側に「大日本寒山寺」はありました。 人気はほとんで無く閑散としていました。勿論、初詣歓迎の幟なども全くありません。 立札に依ると、中国蘇州寒山寺より寄贈された仏像が安置されているとか。
 
 
鐘は結構大きくて参道のすぐ側の鐘楼にあり、誰でも突くことができるように開放してあります。 棕櫚の木製の鐘突き棒をいけるとこまで目一杯に引いて、力いっぱい鐘にぶっつけます。 ごーん〜と柔らかくて荘重な音が辺り一杯に広がっていきます。 私が一突き、家内が一突き。それはそれは素敵な音でした。
その後、そこを離れて暫くしたら誰か他の人が突いたのか、鐘の音が聴こえてきました。 暫くしたら又別の音が、・・・・次々と。どうやら、鐘の音に釣られて人々が集まってきたみたいでした。
 
 
寒山寺は、中唐の詩人で政治家でもあった張継の七言絶句「楓橋夜泊」によって広く知られています。 この詩は都落ちした旅人が、蘇州西郊の楓江にかけられた楓橋の辺りで船中に泊まった際、旅愁のために眠れぬまま寒山寺の鐘の音を聞いたという様子を詠ったものでです。
ちょっと書いてみましょう。
月(つき)落(お)ち烏(からす)啼(な)きて霜(しも)天(てん)に満(み)つ
江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対(たい)す
姑蘇(こそ)城外(じょうがい)の寒山寺(かんざんじ)
夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る
学生の頃以来だけど、昔を思い出すかたも多いのではないでしょうか。
昔を思い出すというなら、「蘇州夜曲」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
それで、いろいろ探してみたところ、素敵な音源を発見しました。 李香蘭の歌う「蘇州夜曲」です。 この曲、西条八十作詩 / 服部良一作曲ですが、詩も曲もいいですね。とても素敵です。蘇州という舞台にピッタシと嵌っています。
先ず聴いてみてください。
この音源は、昭和15年の日本映画「支那の夜」からとったもの。「蘇州夜曲」はこの映画の挿入歌なのです。 相手役は長谷川一夫。李香蘭は桂蘭という中国娘を演じています。
このラブシーン、素敵ですよね。余り接近しないところがいい。 恐らく世界のラブシーンの中でも五指に入るのではないでしょうか。 二人の相愛の気持ちがよく出ていると思います。 李香蘭もいいですね。とても素敵です。常盤貴子よりいいかも。
この映画のことを調べてみました。
ストーリーは、船員長谷哲夫(長谷川一夫)と山下仙吉は、上海の雑踏で中年日本人男性と口論になっていた桂蘭という中国娘を救う。 実は桂蘭は抗日の中国人でした。
ある夜、桂蘭が、かつて属していた抗日組織に誘拐される。 目的は長谷から軍需物資の輸送計画を聞き出すことだったが、呼び出された長谷は断固として応じない。 長谷が撃たれようとしたその時、桂蘭の機転で事態は一転し、駆けつけた警察によって長谷は救出される。このことで長谷と桂蘭の仲は一気に深まり、二人は結婚することになる。
結婚式の夜、長谷に軍需物資の輸送の指揮をとれという命令が下り、長谷は新婚の妻を置いて出動する。 果たして輸送船は抗日組織の攻撃を受ける。帰りを待つ桂蘭のもとに、長谷が亡くなったという知らせが届く。 桂蘭はかつて二人で楽しい時を過ごした蘇州に馬車を走らせ、虎丘で長谷を偲び泣き崩れ、やがて運河の辺で入水自殺を図る。 するとそこに実は助かっていた長谷が馬車で駆けつけ、長谷に気づいた桂蘭と運河に架かる石橋の上で抱き合うのであった。
そんなたわいも無いストーリーですが、何と言ってもハッピーエンドなのがいいですね。 ほのぼのとした気分で映画館を出ることができるから。
李香蘭は日本名をご存知のとおり「山口淑子」というのだよね。
調べたら、
1920年(大正9年)2月12日に、中華民國奉天省(現:中華人民共和国遼寧省)の炭坑の町、撫順で生まれた。 満鉄(南満州鉄道株式会社)で中国語を教えていた佐賀県出身の父・山口文雄と福岡県出身の母・アイ(旧姓石橋)の間に生まれ、「淑子」と名付けられる。 奉天(現:中華人民共和国遼寧省の省都・瀋陽市)と北平(現:北京市)で育った。本籍は、佐賀県北方町。
とありました。本籍:佐賀県北方町とのこと。我々と同郷とは嬉しい限りです。 そういえば、歌を聴いてるとイントネーションに佐賀人の響きを感じます。 何処かといえば、例えば、「夢の舟歌」と歌うところの「うたー」と延すところの音。
映画の中に出てくるシーンで最初のは、蘇州市にある虎丘(こきゅう)という名所で中国版ピサの斜塔(雲岩寺塔)があるところです。 写ってる文字の「剣池」という池があるところで、今もそのままあります。
「剣池」には呉王(闔閭『こうりょ、 紀元前496年/在位:紀元前514年 - 紀元前496年』は、中国春秋時代の呉の第6代の王)の遺体と共に3,000本の名剣が埋められたと伝えられており、 秦の始皇帝(紀元前259年 - 紀元前210年)や呉の孫権(紀元229−252)も探したが結局一本も見つからなかったという由緒のところです。
それから、池の中に立つ東屋風の建物、この建物は今でも観光用パンフレットには溢れるほど使われていますが、具体的にはどの公園にあるのか分かりませんでした。 知る人ぞ知る名所だと思うのですが、誰かご存知なら教えてください。
それから、塔が2回出てきますが、傾いているのが「雲岩寺塔」、真っ直ぐなのが、「北寺塔」で、今も現役の名所です。
今から思うと70年も前のシーンが今も現存しているという事実に中国5千年の悠久長大な歴史を感じます。 中国とは長い付き合いこそ相応しいとの思いを新たにする新年となりました。 色々多難な年でもあるでしょうが余り単眼視しないで中国を始め諸外国とよしみを通じて行きたいものです。
信を通じるとはどのようなことかと云えば、例えば「蘇州夜曲」のような名曲を創ることではないかな。 も少し拡げれば、人類共有の文化財の創生ということだと思います。 この外、科学的な面、技術的な面、医学的な面、文学・芸術の面、等々・・・となるとノーベル賞のような話になっちゃいますが・・・そんなところでしょう。 要するに、知的貢献と云うことです。・・・挨拶だけでは詰まらないし。矢張り実質的に感動させないと信を通じたとは云えないと思う。 それは、我々が中国文明から受けた感動、西洋文明の特に人文学から受けた感動、もっと身近な経験では高校生のころ聴いたアメリカンポップスの数々、 更に餓鬼の頃見た例えば「美女と野獣」などのフランス映画、ドイツ映画の傑作「未完成交響楽」、 窮め付けは「黄色いリボン」のようなハリウッド映画、 これ等を考えれば明らかだよね。 皆さん頑張って欲しいね!・・・私はウオッチャー(眺める人)に徹するけど。
だけど、今の餓鬼化の状況では余り期待できないかも。 映画も大声でわめくか泣くかのシーンばかり。朝ドラの「ひまわり」を見ても必ずわめくか泣くかしてるよね。 音楽も、売らんかなの曲ばかり。そんなのは一時的に流行っても直ぐ忘れられてしまう言わば消耗品だ。欲しいのはストックできる貯蔵品なのに。 紅白を見てそう思った。 しかし、その内、何か新しい展開があるに違いない。・・・もう始まっているが私が理解できないだけかも。そうであれば矢張り歳だね。 歳とって困ることは価値観の揺らぎ、こればかりは極め付きの想定外だ。
話戻るけど上の「未完成交響楽」では、「菩提樹」を歌う村の女たちの合唱で始まり、途中では子供達が歌う「野ばら」、 そして後半は、 "Schubert_Serenade" を歌うマルタ・エッゲルトとい女優さんのシーンとなります。この声素敵だよね。 有名なマリア・カラスとかエリザベート・シュワルツコッフとかのソプラノよりいいよね。断然!
複雑な話は置いて、蘇州夜曲を歌う李香蘭やこの歌声を聴いて年始としよう。 そしたら、皆さんにとってもいい年の一助となるでしょう。
 
 
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