奥様お手をどうぞ

H28/7/2
石井俊雄
昔、我々が餓鬼のころ、戦中から戦後間もないころの話だが、その頃、ディック・ミネが大活躍していた。
私は、彼の歌が好きで、「h28墓参り」でも書いたが、「黒い瞳」、 「上海ブルース」、 「奥様お手をどうぞ」などの曲が記憶に残っている。
この中の、3番目の「奥様お手をどうぞ」については、過去たびたび触れて来たことだから、ご存知のことと思う。 でも、実際、音として取り上げたのは、菅原洋一のそれであり、ディック・ミネのは音源に行き当たらず、 自分が餓鬼の頃聴いた歌詞での「奥様お手をどうぞ」については、殆ど諦めていたのである。
だが、今回、YouTubeの中から、その旧歌詞の音源を発見した。 そのことがトピックである。関心があるのは私だけかも知れないが、多分、皆さんも聞き覚えのある音だろうと思うから、 そのサイトにリンクを張って、ご報告した次第である。
ディック・ミネの 「奥様お手をどうぞ」へのリンクである。 よかったら、聴いてみてください。
何故、餓鬼の頃聴いた音にこだわるかと言えば、多分、昔に帰りたい願望の顕れだろう。 死ぬまでに、もう一度、昔の感動を味わって・・・、というのもあるかも知れない。 また、餓鬼の頃の大人の世界への憧れを懐かしがっているのかも知れない。 昔は、今ほど音楽再生が自由にできなかったので、その分のロスを取り戻したいという強欲の顕れかもだ。 でも、多分、餓鬼のころの皆に守られ何のこだわりもない自由な生き方へのノスタルジーが一番だと思う。 もう、ぼちぼち先が見えてきた今、旧き良き時代への懐旧は深まるばかりである。
この曲は、1928年(昭和3年)マレーネ・ディートリッヒ主演で映画化された映画の主題歌である。 ディック・ミネがこの曲を吹き込んだのがいつかは不明だ。恐らく、映画が封切られて間もない昭和一桁のころだろう。 歌詞が私が記憶している歌詞と同じだからYouTubeの書き込みにある昭和25年ということはないだろう。 もっと早い時期に発売された音盤があるはずである。 そうでないと、私の幼いころの記憶が今に残るはずがない。
真白きか腕よ我に給え
夢の国にマダム頬を寄せて
君を懐きマダム共に語らむ
我は待つよ君の口づけを
やるせなる思い 我は待つよ
ご覧のように、歌詞が文語体ですよね。 餓鬼の頃は、最初の出だしの意味がよく分からず、音として聴いてましたが、 この歳になれば、流石に、最初の一行のような漢字仮名混り文に起こすことができました。 それに、歌詞の中の「マダム」のところ、餓鬼の知識にはそんな語彙はありませんし、 歌声からは、「ム」の音が聴こえて来ないし、私は「また(又の意)」と思いこんでいました。
一方、菅原洋一の歌詞は、口語体です。
匂う花よマダム
その姿は 私の心を
夢に誘う
流れる調べは 軽いタンゴ
心酔わす踊りのリズムよ
踊りましょうマダム
お手をどうぞ
となります。どちらが好きかは人夫々ですね。私は、断然、旧歌詞だが。 ディック・ミネのボーカルもさることながら、バックのタンゴオーケストラがいい。 だが、それが「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」の演奏だとは、知らなかった。すばらしいと思う。 いかにも、日本人好みのタンゴアレンジに仕上がってると思う。 なお、早川真平は、タンゴの女王と呼ばれた藤沢蘭子の夫である。
この曲は、ビング・クロスビーとジョーン・フォンテーンが主演した映画『皇帝円舞曲』(昭和28年) の挿入歌にも使用されました。勿論ボーカルはビング・クロスビーです。 ネットで検索すれば聴けるでしょう、多分。
藤沢蘭子の名前が出たので、久しぶりに彼女の声を聴きたくなった。 タンゴの名曲「ジーラジーラ」 を聴こう。
・・・素敵な声だよね。3年前の8月22日、亡くなられた。88歳で。
歌詞の内容は、ネットによると、 「すべては嘘、愛なんてないものだ。世界は何にも知らぬ顔、ジーラ・ジーラ(ただただ回る)。 人生に破れても、苦しみに噛まれても、人の助けを当てにするな、人の手も、人の恩も」 というもののようだ。
ジーラ・ジーラとは行ったり来たりすること、と憶えている。 ・・・街の女という意味らしい。
藤沢蘭子の声、いいですね。これ、天性のものだよね。それに、この頃の歌い手には品があって大人だった。 いま時のは餓鬼ばかりで品がない。・・・時代おくれになった証拠かもしれない、そう思うのは。
もう一曲聴こう。それは、 「ママ、恋人がほしいの」だ。・・・文句なしだよね!
ディック・ミネのに戻って、もう一曲、行ってみましょうか。それは、 「黒い瞳」
原曲はロシア民謡「黒い瞳」だ。 アルフレッド・ハウゼ楽団の演奏で世界的にヒットしたが、その中から前奏部分を削ってメインメロディに 、邦訳の詞を乗せたのだ。
その訳詞を書いたのが、歌手ディック・ミネ。 歌の才能も最高だが、こんな訳詞を書けるとは本当に驚きである。
オリジナルレコードは、昭和9年頃らしい。 アルフレッド・ハウゼ楽団のも聴いてみたけど、前奏が長くて半分ほどもあり、 その後やおらメインメロディのお出ましとなる。 その前奏を省いたアレンジで、SPシングル盤丁度の曲に仕上がっている。 そのアレンジだが、誰がやったか知らないが、素晴らしい出来だと思う。
黒き汝(な)が瞳 なやましや
夢路やよ覚むるな 君がひとみよ
もゆる想いをば 胸に秘め
いとしき なつかし 君が瞳

泪にうるみて かがやくは
去りにしまぼろしに うつる瞳よ
想い出も去りて 今はただ
冷たく ほほえむ 君が瞳
もう一曲、行ってみましょうか。それは、 「チャイナ・タンゴ」
この曲の作曲は服部良一、作詞藤浦洸だ。
藤浦洸について私の記憶は、昔、NHKテレビで連想ゲームというのがあったが、 それにレギュラーで出演していた、というくらいのもの。確か、金語楼も出ていたと思う。 それくらい昔の話である。
だが、昨日、YouTubeで何気なく昔の曲を聴いていたところ、「チャイナ・タンゴ」に行き当たったのだ。
この曲、メロディと歌詞の断片を憶えていて、懐かしかった。 この曲をちゃんと聴いたのは何十年振りだろう。空では思い出さない曲だったと思う。
だが、改めて聴いてみると、服部良一の才能があふれ出ている名曲だということが分かる。 藤浦洸の歌詞も素晴らしい。 諸兄諸姉も聴けば、そんな曲もあったな〜!と懐かしんでくれるかもだ。
今日は、どんよりした梅雨の空、素敵な音楽でも聴いて、憂さを忘れるのもまたよいのではないだろうか。
服部良一の曲はどこかバタ臭い。いい意味で言ってるのだが。 どこか楽天的というか、自虐的な惨めっぽさもなく恨みがましくもなく、 物事を明るく捉えているようなところがあると思う。 古賀正男は、自分にはこのような曲は書けないと言ったそうだが、分かるような気がする。
憶えていた歌詞を書いておこう。1番だけだが。
チャイナ・タンゴ 夢の唄
紅の提灯 ゆらゆらと

風にゆれ 唄にゆれ
ゆれてくれゆく 夢の街
チャイナ・タウン 月の夜
チャイナ・タンゴ 夢ほのぼのと
チャルメラも 消えてゆく
遠い赤い灯 青い灯も
クーニャンの 前髪の
やるせなくなく 夜は更ける
鮮明に憶えていた個所にアンダーラインを付しておいた。多分、印象的な部分と言えるだろうから。
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