西欧における音律発達史抜書き

 
石井俊雄
楽器が何も無いところで、どうやったらド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの音を出す弦楽器を作ることが出来るだろう。
ピアノがあれば、ピアノの音に合わせて弦の張り具合を調整すればよいが、そのような基準になるような楽器が無いところで、どうしたら楽器が作れるだろう。 絶対音感を持った人がいて、その人にド・・・とか言ってもらって弦の張り具合を調整するというのはある。 だけど、昔昔の楽器が未だ無い世界では、絶対音感はありえない。 何故なら、絶対音感は3歳くらいまでにド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの音を聴かせることで可能となる感覚だから。
そんなわけで、少し音律発達の歴史を調べてみた。
参考にしたのは「響きの考古学」。その中から目に留まったことを抜書きします。
 
  1. 古代の音律
    古代エジプトでは、純正五度、純正四度と言う音程に基づく調律を実施していた。 では、どうやって音程を獲っていたのだろう。 方法は、ハープなどの弦楽器の場合も、笛などの管楽器の場合も、楽器の出す音の振動数が、弦楽器なら弦の長さに、管楽器なら管の長さに、 反比例することを使って音程を決めていたのだ。 その方法は、前者が「上下反復原理」、後者は「等間隔分割の原理」に依っている。
    ハープ :上下反復原理に拠った。下にその応用例を挙げる。なお、下の(1)式は現代の表現方法での記述だが、当時も自然法則は現在と同じだった。
    f=av/l・・・・(1)
    f:振動数
    a:係数
    v:弦を伝わる波の速さ
    l(アルファベットのエル):弦の長さ
    • 長さl(エル)の弦の音をCとするとする。
    • 長さl(エル)の弦の長さを半分にすると、(1)式より振動数は2倍になる → ということは、オクターブ上がった音を得ることが出来る。
    • 長さl(エル)の弦の長さを3分の1短くすると、(1)式より振動数は1.5倍になる → ということは、Gの音を得ることが出来る。
    • G音の弦の長さを3分の1短くすると、(1)式より振動数は1.5倍になる → ということは、オクターブ高いDの音を得ることが出来る。
    • オクターブ高いDの音を出す弦の長さを2分の1短くすると、オクターブ下がったDの音を得ることが出来る。
    • 再び、長さl(エル)の弦の長さを4分の1短くすると、(1)式より振動数は4/3倍になる → ということは、Fの音を得ることが出来る。
    笛 :等間隔分割の原理
    f=av/l・・・・(2)
    f:振動数
    a:係数
    v:管伝わる波の速さ、即ち音速
    l(アルファベットのエル):管の長さ
    笛の場合は、(2)式に基づきCとGの音を出す指孔の位置を決め、CとGの指孔間を等分に分けて残り2音の位置を決めた。
     
  2. ピタゴラス音律
    ピタゴラス(紀元前582年 - 紀元前496年)は二十歳の頃エジプトに留学して、天文学、哲学、数理学などを学んだ。 ピタゴラスとは「ピタゴラスの定理」で有名なあのピタゴラスである。
    数の秩序を音の世界に適用する試みをした。 その結果、編み出したのがピタゴラス音律である。
    ピタゴラス音律は、下表に示すとおりである。
    表中、「主音に対する周波数比率」欄は、主音を例えばC(ド)にした場合、その音を出す弦の長さを3分の1短くすると、上の(1)式により、 弦の振動数は弦の長さに反比例するので振動数は3/2(1.5)倍になってG(ソ)の音程となる。
    また、主音のC(ド)を出す弦の長さを2分の1に短くすると、上の(1)式により、 弦の振動数は弦の長さに反比例するので振動数は2/1(2)倍になってオクターブ上のC(ド)の音程となる。
    ピタゴラスは同様の操作で下表を得たのである。
    ピタゴラス音律によるCを主音とする全音階
    音程C(ド)
    主音に対する周波数比率1/19/881/644/33/227/16243/1282/1
    問題点
    • (1)協和性が弱い三度
    • (2)ピタゴラス・コンマの存在:五度圏の環の閉じないこと
     
  3. テトラコード
    古代ギリシャでは、「テトラコード」と呼ばれる音階があった。テトラとはギリシャ語の「4」という意味である。 テトラコードとは、四度関係の二つの音を固定しておき、その間に二つの音を挟み込んだ四音の音列のこと。 その挟み込む二つの音の音程大きさの違いによって、ディアトニック、クロマティック、エンハーモニックの三種類のテトラコードに分類される。
    プトレマイオス( 83年頃 - 168年頃)は比率を駆使して様々なテトラコード生み出すことに没頭した。 その成果と、同時代の研究者たちが考案したものも加えて、テトラコードのリストを残している。 その中の一つを掲げよう。
    プトレマイオスの「インデンス・ディアトニック」という音律によるCを主音とする全音階
    音程C(ド)
    主音に対する周波数比率1/19/85/44/33/25/315/82/1
     
  4. 西欧の音律
    半音と全音だけから構成されるディアトニックは、微分音程(今でいう4分の1音)や感覚の広い音程を持つクロマティックやエンハーモニックに比べると、 なだらかな音程が配列されている。
    古代ギリシャの文明を引き継いだローマ人たちは、テトラコードの中の音程のなだらかなディアトニックをこのんだといわれている。 クロマティックやエンハーモニックの中の微細な音程は、ローマ人にとっては好ましいものではなかった。 音程的な感覚や好みは、民族や地域、また、時代によって大きく異なり、このような感覚の違いが音律の理論化や楽器の調律、作曲スタイルに大きな影響を与えている。 そして、ディアトニックを好んだローマ人たちの音感覚が、中世以降の音律を方向ずけたともいえよう。
    中世において、ピタゴラスによる音律の方法が基盤となったが、そのピタゴラスの理論を中世に伝えたのがボエティウスであった。 ボエティウスが著わした五巻からなる「音楽教程」は、中世以降の西洋音楽の基礎となった。
     
  5. グレゴリオ聖歌の音律
    中世において、キリスト教が西欧社会に浸透していくうえで、音楽が担った役割は非常に大きい。 音楽を通して、神の存在が具体的なイメージとして浮かび上がり、 信仰心がより強められる。教会の指導者たちは、このような音楽の持つ力を最大限に活用した。
    八世紀の教皇グレゴリウス二世の時代に、それまでヨーロッパ各地に点在していたキリスト教の典礼音楽がグレゴリオ聖歌として編纂されたと伝えられている。
    それ以降、グレゴリオ聖歌が西欧社会に浸透していくにつれ、キリスト教の信仰の領域も拡大していった。
    男声のみによって唱えられるグレゴリオ聖歌は、現代人の耳にも新鮮に響く。 厳粛でありながら伸びやかな声が唱える単旋律に耳を傾けていくと、次第に心が安らいでくる。 グレゴリオ聖歌は、なぜ、時代を超えて多くの人の心にしみ込むのであろうか。そこには確かに宗教的な力も働いていることは事実だが、音律の存在も忘れてはならない。 グレゴリオ聖歌はピタゴラス音律によって唱えられる。
    修道士たちは、モノコードを使ってピタゴラス音律による秩序立てられた音程感をしっかり耳に刻み込み、グレゴリオ聖歌を唱えていたのであろう。 ピタゴラス音律は、秩序が生み出す荘厳で崇高なる調和の美しさをグレゴリオ聖歌に与えていたのである。
     
  6. モノフォニーからポリフォニーへ
    グレゴリオ聖歌の中におさめらてた単旋律には、その後、新たな旋律の要素が付け加えられていく。 それは聖歌をより華やかに唱えようとする欲求が引き起こしたものである。
    トロープスとは、新たな旋律の要素がもとの単旋律に挟み込まれたものをいい、また、同時に重ね合わされたものをオルガヌムという。 このように水平的に、あるいは垂直的に新たな旋律の要素が付け加えられることによって、グレゴリオ聖歌は豊かに変容していった。
    五度や四度の音程で平行した声部が重ねられたオルガヌムの手法によって、 グレゴリオ聖歌のようなひとつの旋律が主体となったモノフォニー(単声音楽)と呼ばれるスタイルから、 異なる声部が同時に進行するポリフォニー(多声音楽)というスタイルに移行していった。
    ピタゴラス音律は、ポリフォニーのスタイルになっても、その力を更に発揮する。 つまり、声部が重ね合わされることによって、旋律に味わいのある抑揚をあたえるだけではなく、ピタゴラス音律の中の純正五度や四度が、豊かな音響を生み出したのである。
    ピタゴラス音律は、中世の教会音楽や世俗音楽などのあらゆる領域に深く浸透し、十六世紀に至るまでの西欧の音楽の基盤となった。
     
  7. ケルト人の音感覚
    人間の感覚は、いつも同じ刺激だと飽きてします。 そして、たえず新鮮な刺激を追い求める習性があるのかも知れない。 ピタゴラス音律が支配していた中世において、八度と五度、四度の三つだけが協和音程とみなされ、他の音程は経過的に使用されるだけであった。 特に、ピタゴラス音律の三度は、81/64という高次の比率となり、不協和音程として扱われていた。
    ところが、ピタゴラス音律が支配的であったこの時代でも、この音律の制約を受けず、より感覚的な音程を保持していた地域があった。 アイルランド地方では、フランスやドイツなどの大陸とは異なった傾向の音楽が展開されていた。 その大きな違いを生み出したのが、三度に対するアイルランド地方の人たちの好みなのである。 彼らの好んだ三度は、ピタゴラス音律による不協和なものではなく、純正に協和する状態(すなわち、5/4の比率)のものであった。 何故、このような純正三度に対する感覚をアイルランドの人たちがもっていたかについては定かではないが、恐らく、 この地方に移り住んだといわれるケルト人と関係があるように思われる。
    ケルト人は、紀元前よりヨーロッパの広範にわたる地域で高い文明を誇っていたが、ローマ帝国の台頭によって、アイルランド地方などの極西に追いやられていった。 そして、古来からの土着の宗教や文明を保持しながら、ローマ・キリスト教と融合した独特のケルト文化を築き上げていったのである。 恐らく純正三度に対する好みも、ケルト人のなかで長いあいだ育まれてきた音感覚だったのではないだろうか。 つまり、ローマ・キリスト教が広がった大陸では、グレゴリオ聖歌にみられるピタゴラス音律の音程感が支配した。 ところが、土着の文化を守り続けたケルト人の血を引くアイルランド地方の人たちは、古くから純正三度の音感覚を民衆の間で伝承して行ったように思われる。
     
  8. 甘美な純正三度
    アイルランド地方の民衆の中で培われた純正三度は、「イギリス風ディスカント」という独特の歌唱法を生み出した。 この歌唱法では、もとの旋律に対して、新たな旋律が三度や六度の平行音程によってなぞるのである。 すると、ピタゴラス音律で得られない豊かで甘美な響きが生み出される。
    イギリス風ディスカントに見られるこのような三度音程に対する感覚は、ピタゴラス音律が支配した大陸にはみられないこの地方独自のものであった。 十四世紀から十五世紀にかけて、この三度によるイギリス独自のスタイルは、イギリスを代表する作曲家ジョン・ダンスタブルによって、大陸へ伝えられたといわれている。 この結果、純正三度の響きが大陸の音楽のなかに次第に浸透していった。
    それに伴って、ピタゴラス音律によるそれまでのポリフォニーの響きが一変させられたのである。 純正三度の登場。それは、純正五度に基づくピタゴラス音律の支配を終らせ、純正調の新しい時代の到来を告げるものであった。
     
  9. 純正調の到来
    十五世紀、スペインのバルイトロメー・ラモスは、ピタゴラス音律を批判しながら、純正三度の5/4の比率が含まれるような音律を考案した。
    以下がCを主音とする純正調による全音階である。
    音程C(ド)
    主音に対する周波数比率1/19/85/44/33/25/315/82/1
    純正調が生まれる背景には、ルネッサンスという時代が関わっていた。 ルネッサンスという時代を生み出すひとつの引き金となったのが、十字軍の遠征であった。
    この十字軍の経験を通して、アラブなど東方の文化が入り込むことによって、それまでの中世社会の考え方や価値観が次第に崩壊していった。
    この十字軍は様々な異教の文化や考え方を西欧に伝えるきっかけとなったが、実は、古代ギリシャの文化もその一つであった。 アラブ語訳だった古代ギリシャの音楽書が、西欧に翻訳されて紹介されるまでに多くに時間を要したが、その内容が明らかになるにしたがって、 ピタゴラス音律だけが唯一の理論ではないという考えが、次第に明らかになった。
    そして、十六世紀になって、作曲家で理論家のザルリーノは、発掘されたプトレマイオスの「和声論」の中に記載されている「インデンス(硬い)・ディアトニック」というテトラコードに出会い、 このテトラコードを構成する音程の比率が、ラモスの考案した音律と同じであることを発見した。 それは、純正調の正当性を確信させるものであった。
    当に、プトレマイオスの再発見は、純正調の方向を決定づけたのである。
     
  10. 純正調の限界
    純正調の音階では、大全音、小全音と呼ばれる二つのサイズの全音が含まれる。 つまり、移調や転調を行うと、音階上の音程の配列が変化してしまうのである。
    声楽曲の場合、曲の途中で転調したとしても、声は音程を微妙に調整できるので問題は起こらない。 ところが、チャンバロやオルガンのような鍵盤楽器では、予め弦やパイプの音高を固定して調律を行うため、声のような音程の微調整が出来なくなる。 十六世紀になって、和声的なスタイルが更に進展し、また、声楽曲から鍵盤楽器を中心とした器楽曲に移っていく状況になってくると、移調や転調、 更には和声の扱いに対して純正調が適用できなくなってしまった。
     
  11. ウエル・テンペラメント
    かくして、純正調の流れをくむ純正三度を基盤としたミーントーン(純正三度を保つために、純正五度の音程を少しだけ狭くした音律)と、 純正五度を基盤としたピタゴラス音律の特徴を併せ持つ音律として、数多くのウェル・テンペラメントの種類が生みだされたのである。
    テンペラメント(temperament)という言葉は、「調整する」とか「和らげる」、あるいは「妥協する」といった意味が込められているが、しばしば「チューニング」と混同される。 「チューニング」は一般に「調律」と訳される。
    テンペラメントは、「音程を調整する」という意味を込めて、「整律」と呼ぶ方が好ましいように思える。 十九世紀は様々なウエル・テンペラメントが共存した時代であった。当時の作曲家は、好みのウエル・テンペラメントを選んで作曲していたようだ。 また、ショパンも演奏会で四台くらいのピアノをステージに並べて、曲ごとに弾き分けたと伝えられるが、一晩のプログラムを構成するために、 音律の異なるゆんだいのピアノが必要になったのである。
    なお、この時代に活躍したバッハが作曲した、「平均律クラヴィーア曲集」(ドイツ語で"Das wohltemperierte Clavier"、英語で"The Well Tempered Clavier")は、 現在の「平均律音律」に依って作曲されたものではなく、「気持ちよい調律法」により作曲されたものであり、 曲名の「平均律」は現在の「平均律音律」を指すものではない。誤訳だったのである。よって、混同しないようにしなければならないのだ。
     
  12. 平均律の誕生
    平均律は、1オクターブを十二の均等な音程で分割することによって生み出される。
    十九世紀半ばになって、平均律が必要とされたかと言えば、それは、音楽的な要請と言うよりも、楽器の生産という産業システムからの要請だった。 1850年代に、ピアノの大量生産が開始された。
    つまり、産業革命の波が楽器生産にも及んだのである。
    それに伴って、大量の同質なピアノに対して、一律に適用する音律として平均律が導入された。 そこには、機能性と効率性を優先させた近代的な考え方が色濃く反映されている。 そして、この平均律は、こんにちまで続く近代的な西欧音楽を方向付けたのである。
     
  13. あとがき
    平均律は必ずしも完成された音律ではない。それは、この記事の原本の著者である藤森 守氏が、「あとがきにかえて」で述べていることである。 それを紹介しよう。
    「私は純正調を使うことで、安らかで、人の心を満たすことの出来る音楽を作ろうと思っています。 平均律では、どの音も微妙に濁っているので、安らかな気持ちになれません。 音がつねに、何処か他の調に移動しようとしていて落ち着けないのです。 もちろん平均律は調性が変化する音楽には向いているのです。 けれども、平均律だけが音楽の可能性ではないのです。 私は他の可能性を純正調に見つけだしました。」
    音律については、小学校以来、ドレミファソラシドと教えられ、それが在って当然のように思っていたが、 ある時、振動数の計測器も無い昔に、どうやって楽器に音を刻んだのだろう?との疑問を抱き、幾つかの本を読んだり、ネットで調べたりしてみた。 結果わかったことは、振動数の計測器も無い昔から、多くの人たちが音律という概念のものに取り組み、営々努力の結果として現在、 馴染みの平均律があることを知った。 そして、未だ完成形ではなく発展する可能性が大きいとの感触も得た。 将来、どんな風に発展するか見守りたい。
    最後に、ケルト人の音楽を聴いてみよう。素晴しいから。 この曲が平均律に依っているか、それとも、ケルト伝統の音律に依っているかは、私には分からない。 だけど、凡そどんな音楽かは分かると思う。特に、第2楽章は素晴しい。 ではここをクリックしてくれ給え
    我々は、明治維新のとき、西洋から「平均律」を仕入れたが、そのとき、他にも多様な音律があることを見落とし現在に至ってる。 だけど、歴史を振り返ると見落としていたのは我々だけではない。ヨーロッパも同じなのである。中世ヨーロッパはギリシャ文明を引き継いだが、 音楽では、ピタゴラス音律だけが伝わり、他の多様なテトラコードなどは伝わることがなかった。 そして、十字軍の遠征、ギリシャ文献のアラブ語訳を通して十六世紀になって、作曲家で理論家のザルリーノによって発掘された プトレマイオスの「和声論」によりピタゴラス音律以外の多様な音律の存在を知ったのである。 歴史は繰り返すのだ。これからどんな展開があるか知りたいものである。
     
     
     
     
     
    この記事は、藤森 守著平凡社ライブラリ出版の「響きの考古学」から抜粋しました。
    藤森 守氏は、1955年広島うまれの作曲家。現在、九州大学大学院芸術工学院教授です。
     
     
     
     
     
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