「皇帝」と「ハルモニーレーレ」

石井ト
昨日の21日(日)の夜の9時からNHKEテレで「クラシック音楽館」という番組をやっていた。 演目は、ベートーベンのピアノ協奏曲5番「皇帝」変ホ長調とジョン・アダムスの管弦楽曲「ハルモニーレーレ」である。 弾き手は、ロナルド・ブラウティハムだ。 指揮はエド・デ・ワールト、オランダの指揮者である。
始めに指揮者のエド・デ・ワールトのコメントが紹介されていた。 曰く、「変ホ長調というのはベートーベンにとって特別な調で、「皇帝」や交響曲第3番「英雄」など多くの作品で用いられている。 理由は、苦難を乗り越えた歓びを表すのに適しているからだそうだ。
調の特性について解説がある。参考までにリンク張っておくので参照ください。 ここをクリックして下さい
それから、もう一つ面白い指摘があった。
それは、「皇帝」の後の演目に採り上げられた「ハルモニーレーレ」(ドイツ語で和声学のこと) を書いたアメリカの現代音楽作曲家ジョン・アダムスへの評価が気になった。 それよると、彼は、ベートーベンに匹敵する才能の持ち主とのこと。 理由は、ベートーベンも当時、新進の頃は評価が低かったが、それを乗り超えて新境地を開いたのに似て、革新的だからとのこと。 なお、この曲の初演は1985年、指揮者は今回の指揮者エド・デ・ワールトだったそうである。
ジョン・アダムスは、同じ音程を繰り返すミニマル・ミュージックの手法を用いることでも知られているそうだが、詳しくは、 ここをクリックして下さい
このような指揮者のコメントを聴いて、特に気になったのがベートーベンに匹敵する作曲家との言。 聞き捨てならない気がしたのでチョットの間、聴いてみようと聴き始めたが、気に入ってしまい最後まで聞いてしまった。
その結果、「皇帝」の方は素晴らしかった。N響も音が澄んできたなという感じだし、ロナルド・ブラウティハムのピアノもオーケストラと音が合って、 全体として明朗な演奏だったと思う。梅雨空を吹き飛ばすという感じと言えばいいのかもしれない。
ロナルド・ブラウティハムは、淡々と弾くのがいい。楽器の演奏で、仇でもとるかのように脂汗を流さんばかりに弾かれては面白くない。 そりゃ、一所懸命なのはいいが、見栄えということを意識して振る舞うのが、見られる者の作法ではないかと思うからだ。 その点、ブラウティハムは合格だった。手練れのプロだったというわけだ。
2曲目の「ハルモニーレーレ」は、3楽章から成る管弦楽曲だが、第1楽章は斬新でよかったが第2、第3楽章は、 私のような素人には理解不可なもので、ベートーベンには及ばないと思った。・・・がっくり!
・・・思うに、メロディーレスということは、才能の無さの顕れではないだろうか。 メロディーがあれば音そのものの美しさを阻害するという考えもあるかも知れないが、そんなはずが無い。 書いてれば音、テンポ、ハーモニー、メロディーが一体となって浮かぶはず。・・・それが浮かばないだけだろう。 料理でいえば、無塩のおかずのようなものかもだ。
そんなところだが、少しだけ音をサンプリングするので、私の言ったことを偲んで欲しい。 「皇帝」は、ここをクリックして下さい。 「ハルモニーレーレ」は、ここをクリックして下さい。 中々、ハーモニーが澄んでるという感じは受けますよね。風のない静かな湖の湖面に広がる波紋を連想します。 ・・・この和声と云うことに関しては、西洋人の耳は敏感ということなのではないか?・・・と思います。
日本人は和声には極めて鈍感。理由は、発声に喉を使うから。喉を使えば音が詰まったようになり音程が振動する。 つまり、一定の音が長く連続しないのだ。従って、複数の音源があったとしても、和声の発生は一瞬であり、持続しない。 だから、長く気付かず、終に明治期の文明開化まで、気付かず終いだった、というわけだ。
では何故喉を使うかは、多分、環境学的、人体物理学的、言語学的なものを反映した結果だろうから、知らない。 だから善悪とか優劣とかの話ではない。だが、日本人のコーラスって、音が濁ってるよね。 ちゃんとした和声のコーラス隊って見たことも聞いたこともない。我々八期会のコーラス隊を除けばだが。
 
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