懐かしいメロディ「乙女の祈り」

石井ト
昨夜のNHKEテレの夜10時からの番組「らららクラシック」で昔懐かしい曲「乙女の祈り」を聴いた。
まともにこの曲を聴くのは、そそらく30年振り。何しろ、題名をきいただけではメロディが浮かばなかったくらいだったから。 でも、聴いてみると、本当にいい曲であることが再認識された。
番組によると、作曲者のバダジェフスカは、本国ポーランドでは忘れられた存在で、日本への留学生が、わが国での評判を聞き、 本国ポーランドに伝えることで、現在、再評価に繋がりつつあるとのことである。
その辺の事情は、ウイキペディアから引用したので、次を参照ください。
  1. 人物・来歴
    バダジェフスカはワルシャワから北北西に100Km離れた町ムワヴァの生まれで、 生年を1834年とする説と1838年とする説がある。彼女は本格的な音楽教育は受けていなかったが、 サロンでのピアノ演奏家として活躍し自ら作曲も行っていた。
    1856年、18歳あるいは22歳ごろの時に作曲した『乙女の祈り』 がパリの音楽ニュース雑誌に掲載され、その名が広く知られるところとなった。
    この曲を作曲したのち、J・バラノフスキと結婚し5人の子供をもうけたとされる。 この曲を含め小品を35曲ほど作曲したが、1861年に病弱のためにワルシャワにて23歳あるいは27歳ほどで夭折。
    彼女に関する作品や資料については第二次世界大戦等により大半が消失したため、現在では『乙女の祈り』以外はほとんど知られておらず、 特に本国ポーランドでは認知度が低い。 これは「祈り」という言葉が、共産圏の影響下にあったポーランドで不適切とみなされたためとの見方のほか、 音楽に高い芸術性を求められた時代、音楽教育を受けていないこの『少女』に対して、 「浅薄な素人くささを超えられなかった」と、19世紀の音楽事典が酷評したことからも、当時の「偏見」の存在を理由とする見方もある。
  2. 再評価
    近年、日本に留学したポーランド人などによりバダジェフスカの存在が「再発見」され、 母国ポーランドにおいて彼女の業績を広く知ってもらうための彼らの活動が実を結び、ポーランドでも少しずつ再評価がなされてきている。
  3. ウイキペディア
    ウイキペディアの原文は、ここをクリックして下さい
本題の発信源、NHKEテレの「らららクラシック」は、ここをクリックしてください
最後になっちゃったけど、曲を聴きたい人は、ここをクリックして下さい
このサイト、楽譜が表示され、音に同期してマーカーが動くようになってます。 これ、多分、MIDI音楽だと思う。人が弾いてるのではなくパソコン上のアプリが絵と音を出しているのだ。 MIDI演奏でも感動することができるとの証左だと思うが如何かな。・・・でも仮令感動したとしても、その感動の主因は曲の良さにあるのであって、 演奏にあるのではないと言えるだろう。
だが、だからと言って、MIDI音楽のようなロボット音源やAI音源を否定するものではない。 段々、人間に近づくといっても、人間のように自身の感性でプレイするわけではないので、自ずから限度はあるだろう。人を超えられないという限度が。
MIDI音源やAI音源が人間を超えるのは、ミスしない、という点だろう。 だが、リストの難曲も無事熟したとしても感動を呼び起こすことは無いだろう。・・・面白くないのはその辺かな。 でも、その超絶技巧域を超えた音楽世界を開く可能性が期待できる。だが作曲は人間がするだろう。AIは自前の感性を持たないだろうからだ。 ディープラーニングで、感性を持ったとしても、それは自前の感性ではなく、万人の感性の平均値に過ぎないだろうから、そこに天才は現れない、となる。
若しかしてその平均値で作られた曲を聴かされたら適わないよね。考えただけでぞーっとする。おそらく可もなく不可もなしでいつの間にか終わりになってる、というものだろう。 どこかのドラマのように。
彼女の写真と彼女の作曲だということが明らかなもう一つの曲にリンク張っておきます。それは「マズルカ〜甘い夢」。 ここをクリックし、 少し下の方へスクロールしたら出てくる画面のスタートマーク(三角マークのこと)をクリックしてください。これも軽快な中々の曲ですよね。 一見ショパン風というのは誰しも感じるのではないのかな。マズルカの所為かも知れないが。
もう一曲、彼女の作曲になる曲にリンク張っておきます。それは「歌うナイチンゲール」という曲。 ここをクリックして下さい。 木管と弦楽器の合奏曲ですよね。多分ピアノ曲から編曲したものだろうと思うが、素晴らしい。春めいた長閑な田舎の風景という感じだろうか。 ピアニシモなのもいい。
所感を書きます。
  1. とにかくいい曲だということが一番。このメロディを発想するところにバダジェフスカの才能を感じる。中々浮かばないと思うよ、並みの作曲家では。 特に終曲のフレーズ、秀逸だと思う。と同時に、このフレーズを中間でも使うという編成も魅力的な気がするがどうだろうか。 編曲には改変の余地を感じるということだ。だが、彼女の才能には感動する。上手く育てればもっといい曲書いただろうと思うと残念だ。
  2. それにしても酷いね、19世紀の音楽事典の酷評。このメロディを酷評する一連の人たちの気が知れない。 おそらくどこか肝心なところでマインド上に欠陥があったのではないだろうか。物事を直視しないとかの。
  3. でも、今でもクラシック界ってポップス界を見下しているところがあるよね。 「乙女の祈り」は当時のポップスに当たると思うと、今のわが国で起こっても不思議はない。
  4. でもいいものはいいものだから必ず復活すると信じよう。楽天家らしく。
  5. MIDI音源について所感を書こう。
    作曲家が音楽を創作しそれを形にしたのが楽譜だとしたら、それを忠実に音にしたMIDI音源は、 作曲家の意図を正確に再現したものと考えていいのではないだろうか。 そういう意味で、プレイヤーの解釈とかテクニックとかが介在しない分、作曲家に忠実なMIDI音源は名演奏家であると言えるかもしれない。
    問題は楽譜が正しく作曲家の意図を記録できるだけの機能があるかどうかである。言わば楽譜の解像度というようなものが問題になる。
    だが、この解像度の問題は、技術的進歩が期待できるであろうから、早晩解決可能ではないだろうか。
    となると、将来的には、作曲家はその意図を100%楽譜に写し、AIの演奏はその楽譜を100%再現したものとして頂点に達するだろう。
    だが、作曲家の意図を再現すれば十分かと言えば疑問が残る。 それを超えた演奏ってあり得るのではないだろうか。・・・それは多分編曲。矢張りその点で作曲家の意図を超えた世界はあり得ると思う。 編曲とは、アレンジ、音の質、演出、などである。
    その世界では、人・AIどう絡むのかな?・・・分りません。 だが、AI作曲、アレンジ、演奏、演出の音楽では、感動は無いだろう。 だから、AIは道具、創作は人、の棲み分けとなると思う。
  6. AIについて少し書き足そう。
    最近、囲碁や将棋の世界で、AIがプロに勝つという現象が起きている。 そうであれば、音楽界においてもAI化が進み、作曲も人間に勝るものを作る事態になるのではないかと思われるかもしれない。 だが、碁将棋でのAIと、作曲でのAIでは基本的な点で相違がある。 それは、碁将棋AIでは、打つ手の評価が勝ち負けという尺度で数値化できるのに対し、 作曲AIでは、音符を幾つか並べても、それを評価する尺度が無い、という点である。
    そのように評価尺度という観点からみると、碁将棋と作曲では、各段の違いがあるのである。 前者は勝ち負けという明確な尺度があるが、音楽の場合、尺度が人間の感性であるから、それを数値化するのは困難だろう。 ・・・その原因は、AIは死なない、というところにあるのではないのかな。人間の感性の基本は生存と死の相剋にあると想はれるので、 死なないAIに人間並みの感性は生まれないだろう。
    それを証明するサイトにリンクを張っておきます。ここをクリックして下さい
    この場面、生の喜びを謳歌してるように感じられ、それが素晴らしい。と同時に、時の移ろいも音にしているように感じられる。 だから、こんな曲が書けるはずがない、となるだろう。死を知らないAIにだ。死を知らないとは生も知らないからである。 更に死を知らないということは時間を理解できないということだろうから、「時の踊り」のような曲が書けるはずがないとなる。
    更に更に、時間のない世界に「別れ」という概念が存在するだろうか。時間の無いところに運動は存在しない。「別れ」とは運動の一形態であるから、 時間のない世界に「別れ」という概念が存在しない、となる。・・・そうなると、ショパンの「別れの曲」も書けないとなる。 ここをクリックすれば、失われるものの大きさが分かるというもの。 ・・・それにしても、このMIDIシーケンサー、上手く弾いているよね。
    将来、AIと人が共存する世界では、AIの心の中を解き明かす「AI心理学」が生まれるかもだな。
おまけ : MIDIとは何か
「Musical Instruments Digital Interfaceの略で、1981年に策定された電子楽器同士を接続するためのデジタル規格です。」というのが答えです。 だがこれでは具体的なイメージがわきませんよね。それで、ざっくり言うとすれば、次のようになります。
音を記号で表しそれを音楽の進行順に並べたデータ、即ちデジタルデータを電子楽器に読ませて記号から音へ変換し聴き手に聴かすのが電子音楽だが、 その電子データや電子楽器間のつなぎ目を規格化したのがMIDIというわけです。
電子楽器間を流れる信号はデジタルデータですから、これをコンピュータに記憶させることが可能です。 勿論、パソコンにインストールしたアプリ(一般的には「MIDIシーケンサー」と呼ぶ。)で、電子楽器を鳴らしたり、 パソコンから電子楽器にデジタルデータを送り電子楽器で音にすることもできます。
上記の「乙女の祈り」は、ブラウザー(「HPの閲覧ソフト」のこと。)がウエブサーバーからデジタルデータをダウンロードし、 ブラウザー中のMIDIシーケンサーが再生している、となります。
このシーケンサーは、楽譜がマーカー付きで表示されるので、楽譜の読み方が分かっていいですね。
 
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