おまけ2:
今、朝ドラの「エール」の主人公、古関裕而の作曲の「雨のオランダ坂」(昭和21年)を聴こう。
矢張り、渡辺はま子には遠く及ばないが、まあまあの線に至ってるのかな?だね。
渡辺はま子のも聴いてみたら、遠く及ばない事が分るというものだが、強弱やビブラート・息つぎなどの表情の情報を更に工夫することで、も少しよくなるだろう。
だが、それ以上は多分無理。何しろ感情が無いのだから限界があるというものだ。
古関裕而の曲、いいね!この外、「暁に祈る」(伊藤久雄)、「愛国の花」(渡辺はま子)など、素晴らしい!。
この歌詞を書いたのは菊田一夫。彼は昭和28年にラジオドラマ「君の名は」の原作者だが、この「雨のオランダ坂」の歌詞も素晴らしい。
昭和28年と言えば中学2年。あのころは分からなかったが、素晴らしい才能の人だったことが、今になって実感できた。
その歌詞の1番で、
小糠雨降る港の街の
青いガス燈のオランダ坂で
泣いて別れたマドロスさんは
縞のジャケツにオイルのコート
煙にむせてか泣いていた泣いていた
の中にある「オイルのコート」。
これが意味が分からず、長年疑問だったが、今回初めてその意味がわかった。
ネットによると、次の通りだ。
1894年、ジョン・バブアーによってイングランド北東部・サウスシールドで創業したBarbour(バブアー)。
北海の不純な天候の元で一心に働く水夫や漁師、港湾労働者のためにオイルドクロスと呼ばれる上質なコットンにオイルを染み込ませた布生地を
提供したのが始まりです。その革新的なオイルドクロス製の防水ジャケットは、非常に耐久性が高く、評判は瞬く間に広まっていきました。
上質なコットンにオイルを染み込ませた布生地、即ち、「オイルドクロス」("oiled cloth")から来ていたのだ。
何でコートとオイルがくっつくのかわからなかった。だから、オイルのコートのオイルが文字通り油だったとは思わなかったのだ。それが分ってよかったよ。
詳しくは、
ここをクリックのこと。
菊田一夫が歌詞にこの「オイルのコート」をいれたのは流石だね。マドロスとオイルコートの繋がりをよく知ってたということだから。
菊田一夫という人、我々より30年先輩の1908年生まれだが、幼少期、凄く苦労したようだ。
養子に出されたり、売られたり、転々としたようだ。だが、矢張り才能があったのだろう、自分だけの力で立ち上がり、劇作家、作詞家、東宝の経営者、など活躍したのだ。
日頃から言葉には注意していたのだろうが、意識してではなく、自然に記憶に残るというレベル、即ち天性の才能を持った人(ギフテッド)だったと思う。
それは、この「雨のオランダ坂」の一番の歌詞を見ただけで分かる。
66歳で亡くなられたそうだが、惜しい人だったと思う。