[最近描いた絵]  神野公園隔林亭

徳永 博
3月21日、妹の結婚式出席のために佐賀に帰った。 朝早く駅前のホテルから多布施川の土手道まで歩き、神野公園に行ってみた。佐高生の頃よく通った 「神野の茶屋詣で」である。
土手を降りた公園入口には、四角な池が造られていて、小学生がオニヤンマの孵化から脱皮までを観察出来るよう、橋が架けられていた。その奥の藁葺きの茶屋は昔のままだったが、池の真ん中に新しい茶室が造られていて、池に突き出した土台に、藁葺きの小屋は、遠くから眺めるとまるで池に浮いているかのような風情があった。
この茶室は、実は江戸時代末期、佐賀藩主鍋島直正(閑叟)公が「神野の茶屋」の真中に造営した「隔林亭」が、明治期になって解体撤去されていたのを、再建したものらしい。どうりで、昭和期の我々の幼少期には見たこともなく、ただ広い池があるだけだったのだ。
池の周りの道を歩き、西側からスケッチを始めたら、東の空が茜色に輝いて、林の梢の向うに太陽が顔を出し、茶屋は池の表に浮いているようなシルエットを、浮かび上がらせていた。この瀟洒な「フローティング・テンプル」が、いくらかでも画面に移すことができたかどうか。
しかしこの茶屋の名前「隔林亭」は、漢学の素養豊かな閑叟公にしては、即物的でいただけない。確かに池の周りの樹林からは隔てられてはいるが、もっと洒落た名前はなかったのか。後世の「貫通道路」と同じ、乏しい発想でしかないのでは。京の雅を心得ておられた花山院先生なら、もっとましな名前を付けられたに違いないと思いつつ、神野公園を後にした。
 
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