サイクリングの写真

H24/10/17
石井俊雄
昨日、天気もよかったし風もなかったのでサイクリングしました。 行程は、青梅の自宅から三鷹市井の頭まで往復です。合計70km程の行程です。
ちょっと過酷なサイクリングでしたがやる気満々でした。 NHKの「ためして合点」でアルツハイマー防止には運動が不可欠で、運動すると頭が活性化すると言ってましたから。
そのときの写真を掲載します。 よかったらご覧ください。
 
 
東青梅の自宅から5kmほど行ったところにある羽村取水堰から、多摩川沿いの東京湾の河口までつづくサイクリング道に入ります。 道は、写真のように土手の上にコンクリーを打った道路です。 車は来ないし、安全で排気ガスも吸わなくてよく、周りの景色も広々と開けていて、走っていると爽快な感じがします。 特に、下り方向は微かな下り勾配ですので楽です。・・・ルンルン気分というのでしょうか、兎に角、いい気分です。
写っている橋は「睦橋」です。川上から川下方面を見ています。 その橋を左方向に行けば1km程で拝島駅に出ます。 右へ行くと、大分先ですが武蔵五日市駅へ出ます。
 
 
 
7〜8分程行くと水鳥公園というところに出ましたが、そこで小学生の遠足に出会いました。 愛想のいい子たちで、向こうか「こんにちは」と声を掛けてくれたので、「元気だな!」と言って写真を撮らせてもらいました。 勿論、先生にお許しをいただきましたが。
 
 
 
更に10分ほど進むと、小学生の一団に出会いました。 どうやら先生に引率されて自然研究の授業のようでした。
すれ違いざま、こちらは立ち止まって万に一つの事故もないようにしましたが、 こちらが「元気だな!」と言いながら片手を挙げてハイタッチの素振りをすると、殆どの子供がそれに応じてくれました。 中には、一本指だけのもありましたが、力いっぱい振ってくる男の子もいてなかなか元気もよくて、 末頼もしい気がするとともに、こちらも元気を貰ったことでした。
 
 
 
立川駅に通じる「立日橋」を過ぎて2km程のところで、サイクリング道と別れ、南武線の「矢川駅」の前を通って、 東八道の西の端の出ました。
そこからは、東八道を東進すれば三鷹に出ます。
その途中、白バイが8台程群れをなした場面に遭遇しました。 何やら乗用車の違反キップを切っているところのようでした。
威力業務執行というところでしょうか。弱いものにそこまでしなくてもよさそうなものを、・・・という感じでした。
自転車を停めてワンショットしました。 手前にチラット見えるのが小生のチャリです。
 
 
 
井の頭まで来たら、いつの間にか近所の家がとりこわされ、新築工事が始まっていました。
寝耳に水という感じです。「世の中はちょっと見ぬ間の桜かな」ですね。
この写真の中央奥にテレビのアンテナの立ってる赤い屋根が見えますが、それが小生宅です。
 
 
 
最後は、コスモスの写真で終りにします。
サイクリングはいいですよ。 何故なら体を使うから。それにこんな綺麗な花も見られるし。 頭が活性化することは間違いないです。 お薦めです。
I recommend cycling for your healthcare.
白状するけど、この記事を書くのに一番時間を使ったのはこの1行の英文です。
コスモスは風に揺れていました。片時もじっとしてないので、このワンショット結構時間かかったのです。 英文1行ほどではなかったけど。 心の中で思ったことは、
ちょっとだけ じっとしてくれ コスモスの花
でした。
それとも、文語調で、
暫しとて 気を付けしろや コスモスの花
かな。
 
 
コスモスを見ていると「庭の千草」という童謡を思い出す。 この曲の原曲は、アイルランド民謡「夏の名残のバラ」(The Last Rose of Summer)だそうだ。 この原曲についてはウイキペディアの記事を引用しておくので見て欲しい。
The Last Rose of Summer is a poem by Irish poet Thomas Moore, who was a friend of Byron and Shelley. Moore wrote it in 1805 while at Jenkinstown Park in County Kilkenny, Ireland. Sir John Stevenson set the poem to its widely-known melody, and this was published in a collection of Moore's work called Irish Melodies (1807-34). In Ireland, it is claimed that the melody was composed by George Alexander Osborne, a composer from Limerick City.
同じく歌詞についてもウイキペディアのを引用しよう。
'Tis the last rose of summer,
Left blooming alone;
All her lovely companions
Are faded and gone;
No flower of her kindred,
No rosebud is nigh,
To reflect back her blushes,
Or give sigh for sigh.

I'll not leave thee, thou lone one!
To pine on the stem;
Since the lovely are sleeping,
Go, sleep thou with them.
Thus kindly I scatter,
Thy leaves o'er the bed,
Where thy mates of the garden
Lie scentless and dead.

So soon may I follow,
When friendships decay,
And from Love's shining circle
The gems drop away.
When true hearts lie withered,
And fond ones are flown,
Oh! who would inhabit
This bleak world alone?
曲をケルティック・ウーマンのヴァージョンで聴いてみよう。
もう一つ派手な編成のを聴いてみよう。曲がいいからきっといいだろう。
"Kerkrade"というのは、オランダの都市で人口は約4万8千人(2008年)だそうだ。 そこで行われる「ケルクラーデ音楽祭」は世界的に有名な音楽祭らしい。 だが、この「ケルクラーデ」という名称が、ケルト人の「ケルト」と関係があるのかどうかは、小生には分からない。
ケルト人(ケルトじん、Celt, Kelt)は、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車) を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。 現在のケルトという言葉は言語・文化の区分を示すための近現代になってから作られた用語であり、 古代〜中世において「ケルト人」として一体的な民族意識を持っていたとは考えられていない。 そのため歴史学などでは「ケルト人(Celts)」という言葉は使わず、「ケルト系(Celtic)」という言葉を便宜的に使っている。 (この段ウイキペディアより抜粋)
だけど、ケルト人の血を引くアイルランド地方の人たちは、古くから純正三度の音感覚を民衆の間で伝承するなど、 優れた音楽感性を保持し続けたのだから、 その感性が世界的な音楽祭を維持し続けることに繋がっているのではないだろうか。
もう一曲、今度は「庭の千草」を聴こう。 1934年のレコードから関屋敏子という方のものだ。 偶々、YouTubeに在ったものを拾ってみた。関屋敏子という人全然知らない。 何だか藤原義江のような歌い方だがいけてると思う。
鮫島有美子のも聴いてみたけど、編曲がこちらのがいいと思って、鮫島有美子のは止めにした。 だけど、彼女、結構うまくなっているように思った。昔聴いたときはイマイチだったけど。 素人ながらアドバイスすることが許されるなら、オケの編曲を少し控えめのものにした方がいいと思う。
一段落した後、関屋敏子について調べてみたらそうそうたる経歴の持ち主であることが分かって吃驚した。 知りたい方はここを参照されたい
関屋敏子の「庭の千草」、いいですね! 昨日から何回も聴いているけど飽きない。この動画の投稿者、誰かは知らないが感謝だ。 昭和の初めころ、こんな素敵なソプラノ歌手がいたことを教えてくれたから。 (この段追記 10/20 9:10)
ケルクラーデの"The Last Rose of Summer "、これも逸品ですね。 その中で主楽器として使われている笛は、ティン・ホイッスル(ペニー・ホイッスル)というアイルランド発祥と言われる笛だ。 もともとブリキを丸めて溶接しただけの単純な造りのため値段も安く、その素朴な音色は広く親しまれているそうだ。 そのもともとはおもちゃのような笛が効果的に使われていると思う。 3人の女性歌手もいい。 何よりも聴衆の自然体で楽しんでる姿がいい。 日本で言えば民謡大会であろうか。これに似た聴衆に出会えるのは。(この段追記 10/20 9:50)
しかし、よく考えてみると、日本の民謡大会では、ハーモニーは存在しない。 あるのは、パチパチと単音を発する三味線や太鼓の音。それに連続音としての笛、尺八など。 それらが、所謂、単音を発するわけだ。モノポリーというらしいが。 それに対し、洋楽は多重音がベースのハーモニーを発する。所謂、ポリフォニーと呼ばれるもの。
どうしてこんなに違うのだろう? 小生の、昔からの疑問だ。 音楽環境の違い、言語由来、発達過程の時間差由来、遺伝子レベルの音楽感性の違い、遺伝子レベルのハードウェアの違い・・・? (この段追記 10/21 9:43)
ケルクラーデ音楽祭をみていると、伝統とか文化とかが醸し出す何とも言えない会場全体の雰囲気に私は圧倒される。 演奏技術をいかに磨いても追いつかないなにものかがあることに気付くからだ。 反対に、洋楽以外、例えば能樂の場合は、逆に西洋人がいくら上手くやっても何か違和感が付き纏うだろう。 伝統とか文化の醸成には時間が必要ということか! 環境、言語、歴史、遺伝子等、多くの違いの為せる業だろうから。 (この段追記 10/24 21:00)
 
 
 
 
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