皇居乾通り一般公開(後半)

石井俊雄
乾通りから、来た道を振り返ったもの。
結構多いでしょう!
乾門と私。
左手が指してる方向に、大きな「榧」の木がありました。 囲碁や将棋盤でお馴染みの木ですが、お馴染みと言っても、言葉としてという意味で、決して、 使い慣れたという意味ではありません。 理由は、高価だから。柾目なんて言ったら、今では数千万で買えるかどうか、でしょう。 だから、左手の先にある「榧」の木、恐らく、由緒抜きで数億以上でしょう。 日本にはもう殆ど無いそうですから。もう立派な天然記念物です。
アドバイスですが、裏山に空き地のある人は今、植えておけば、数十代先の子孫は、感謝すること請け合いです。
緑葉を抱えた木が「榧」です。
赤いのは背景に「いろはもみじ」らしいのがある所為です。
乾門です。時刻は14:14分。
門を出た先に見えるのは、「北の丸公園」です。
「北桔橋門」(きたはねばしもん)です。木偏に吉のつくりで「はね」と読むとはしりませんでした。 普通、言偏のを「つめ」と読むことから、「きたずめ」かな?と思ったりしますよね。 でも、「北桔橋門」の門衛に確かめましたので、(きたはねばしもん)です。
「北桔橋門」から「皇居東御苑」に入りました。その中の江戸城天守閣の土台の石垣です。
この曲線、美しいですね。 美しいだけに、この曲線を出すため、石工が払った努力が偲ばれます。
この曲線を出すために、角の石が一段毎に横長の石がありますが、その石の高さを調整したのでしょう。 外端の高さに対し内側の端の高さを僅かに高く削れば、あの曲線が出るはずですね。 削るに要する作業量は、増えると思うけど、出来上がった曲線の美しさを見れば、そんなもの目じゃないですよね。 力学的にも優れた構造となるだろうし。・・・当時の石工集団と注文主である施主との息のあった関係まで偲ばれます。
大手門から出るために進んでいたら、勤労奉仕の奉仕現場に出会いました。
訊いたら、大阪、新潟、もう一箇所どこかわすれましたが、そんなところからの奉仕団とのこと。
大手門から出て(時刻は14:29分)、日本橋の洋食老舗、「たいめいけん」で食事をとりました。
時刻は、14:47分でしたが、運動疲れで早目の夕食にしました。 メニューは「オムライス」です。「ボルシチ」と「コールスロー」を付けたもの。 味は、甘くてイマイチでした。「ボルシチ」もぬるかったし。でも、「コールスロー」はまあまあでした。 「コールスロー」って初めて聞く名前ですが、中身がキャベツの漬物、と考えれば当たらずと言えども遠からじ、 でしょう。 ・・・前から楽しみにしていた店だから、がっくり。 また、どこか見つけないといけません。
この後、家内は三越へ。小生は、別件の用事を済ませて帰宅しました。 家内はデパート大好きだから、私がいなくてもいいのです。
帰宅後、家内が呟きました、「今日は思いもかけずいいことがあった」と。
・・・小生、???。・・・そんな思わず口に出すほどもあったかな、と思いました。
女性は分かりませんね、思わぬスピードで料理や後片付けなどの仕事をこなすこともあるかと思うと、 あまり面白くもないテレビ番組を見てたりするし。
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  • アップデート:26/12/4    [Return]