きりぎりす越冬

石井俊雄
我が家では、ここ1月近く、このきりぎりすが、南面した引き戸の周りで散見されていたが、 このところの10日間ほどは、夜の間、戸袋の中で過ごし、朝日が当たる日中には、戸袋から出て、 日光浴、という生活スタイルを実践しているらしいことが解ってきた。
勿論、我が家では大歓迎だ。でも、雨戸を閉めるときとか、開けるときには、 潰さないかとヒヤヒヤしている。
でも、段々可愛くなるものだ。 今では、猫も飼ってないのだから、家内と二人、何とかこの冬を乗り切って、 春の空に羽ばたいてほしいと願いつつ見守っている。
物差しをそっと添えて体長を測ったら、凡そ5cmあった。
色も緑ではなく、茶色だし、巧くできているものだと感心する。 見た目でそうだから、体内でも、巧く越冬できる仕掛けがあるのだろうと、根拠はないが、 願望に縋る思いで眺めている。神が見捨てるはずがない、という奴だ。
凡そ頑強な無神論者でも、「神に縋る」という瞬間があるのではないだろうか。 このきりぎぎりすの健気な姿、それを見れば、誰しも、そうなるだろう。 「神」を見た瞬間だ。
カクタスときりぎりす。
花は、デンマークカクタス。2年前、花屋で買ったものだが、その後、株分けして、今や7鉢になった。
綺麗でしょう。
少し話を続けるが、昔、小生が小学校のころ、「アリとキリギリス」という童話を聞いたことがある。
その中では、キリギリスは、暖かな季節の間、惜しみなく春を謳歌するが、 冬になると、蓄えもなく、物乞いに身を落とす、となる。
一方、アリは、暖かい季節の間、せっせと働いて、食料備蓄に精を出す。 だから、冬になっても、悠々自適の生活ができる、というわけだ。
だから、小学生への教訓として、享楽は駄目よ!、せっせと働け!、となるわけだ。
その所為で、きりぎりすは、怠け者で越冬できず死に絶えると理解していたが、事実は違うようだ。
昔、「泣いた女がばかなのか、騙した男が悪いのか・・・」と歌う歌謡曲があった。 西田佐知子の「東京ブルース」だが、その曲を思い出してしまった。
小学生に教訓を垂れるために、きりぎりすの生態を犠牲にした話だからだ。 何も、きりぎりすに同情して言うのではないが、科学的事実を平気でねじ曲げる、 という態度には疑問を感じる。 数年前の話だが、円周率を3の整数として教えていた教科書があったのと同根の無神経さだと思う。
結論としては、きりぎりすを見直さないといけない。・・・健気な虫だよ!
西田佐知子の「東京ブルース」、聴いて慰めとしよう。
泣いた女がばかなのか、騙した男が悪いのか、分からないが、かくして浮かび上がるのは、 社会生活を送る上での一般的な決まりごとである「倫理」と、 全宇宙を支配する「科学的事実」との兼ね合いをどうとるか、という問題だ。 前者の有効範囲は人間社会、後者のは全宇宙。 どちらが優先されるべきだろうか?
「アリとキリギリス」の場合や「円周率」の場合は、明らかに前者が優先されている。 一方、後者が優先されてるケースとしては、何があるか考えてみたが、例えば、カレンダーとか時間とか、お天気とか。 これは、その例だろう。何故なら、泣いても笑っても、時間や天気はどうにもならないからだ。 「明日は、投票日だから、晴れるべきだ」なんてこと言ったら、阿呆かといわれる所以だ。
でも、微妙な問題について両者の折り合いをつけるのは、中々の難題。 民族や宗教によっても異なる結果となるだろう。 でも、小生のヤマカンでは、後者をとった民族や宗教、これが生き残るような気がする。 何故なら、後者の世界では、科学的実験や観測による証明が可能だからだ。 一方、前者の世界では、未証明な原理を根拠にした思弁論に終始し終には発散してしまう。 諸兄諸姉や如何?(この段、追加:2014/12/27)
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  • アップデート:26/12/26    [Return]