帰郷
H26/3/19
石井俊雄
先日は、家内の母の法事と小生の方の墓参で帰郷した。3月12日〜13日だ。
その旅で撮った写真から数葉を掲載させていただきます。よかったらご覧ください。
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この写真は、羽田から佐賀空港への機上にて撮影したものです。
飛行機は、ANA453便、羽田発15:55です。
時刻は16:19。離陸後17分ほど経ったころの景色です。
その日は、霞がかってて、視界が利かない日でしたが、
写ってる山は、南アルプスの赤岳(3120m)辺りかと思います。
稜線が左にクランクしてますが、クランクの最初の角が赤岳かと思います。
そこから左(方向としては西の方角)へクランクし、暫くして南の方へ直角に方向を変えています。
なお、写真をクリックすれば、拡大された写真が表示されます。
ご参考まで、掲載しました。
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佐賀で一泊し、宿は駅前の東横インでしたが、翌朝、墓参りをし、妹一家と昼食を共にし、午後は家内の母の法事という段取りで、
スケジュールをこなしました。
4時半ころ激務から解放され、やれやれという気分で、帰りの飛行機まで聊か時間ができたので、佐賀の街を散歩しました。
家内は、向こうの方の従兄弟会のようなものに参加することになり、何しろ付き合い好きなものだから、小生は久しぶりに
自由行動となったのです。
ま、ルンルン気分とまでは行きませんが、たまにはいいものです。
散歩は、県立図書館の駐車場に車を停めて、佐賀の玉屋から、中の小路、白山、北島(丸ボーロの)を経て、元に戻りました。
そのときの写真2枚の一枚目です。
昔、小生の通った付属中学校か小学校の生徒が下校しているシーンです。
スカートの白線が懐かしい。
そんな伝統校の女学生と行政の中心地の風景、何処か地方都市の落ち着いきを漂わせていると思うので、掲載しました。
なお、写真をクリックすれば、拡大された写真が表示されます。
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佐賀県庁と楠の木、いかにも佐賀らしい様子です。
なお、写真をクリックすれば、拡大された写真が表示されます。
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この後、佐賀空港発18:40ので、帰京しました。
でも、その日は、羽田空港の天候が悪く、場合によっては、中部国際空港、または関空、に降りることもあり得るとのアナウンスで、
聊か心配でした。
でも、実際は羽田に21:00に到着し、モノレール、中央線と乗り換えて、家に着くことができました。
駅から家までは12分ほど歩きますが、暖かく、空には星も月も輝いていました。
家に帰ったら、何も無くて、冷や飯の茶漬けを食べて何とか飢えを凌ぎました。・・・やれやれ!
これほど茶漬けが作れてよかったと思ったことはありません。
翌日は、シリバーの仕事が待っています。何しろ朝早いので大変。何とか、遅刻せずに済ませましたが、
義務を果たせて満足でした。
機内では、「機内オーディオ番組」を聴いてました。
中でも気に入ったのは、ペドロ&カプリシャスの「五番街のマリーへ」という曲。
この曲は、先に掲載した「春、昼食会」でも触れましたが、機内で聴くとまた格別です。
この曲は1973年の作で、ペドロ&カプリシャスの代表作の一つだそうです。
機内では、発売当時のオリジナルの音源を使っていたと思うので、
YouTubeの中から、
1975年のライブのを聴いてみよう。比較的、オリジナルに近いだろうから。
高橋真梨子は、ペドロ&カプリシャスの2代目のヴォーカルで歌い大ヒットしたそうだ。だが相当若い。
今より、素朴かもしれないが、若いころの聊かこなれない歌声もいいのではないだろうか。
小生、それ以来、いまでも、この曲が頭の中を流れている。
曲もいいが歌詞もいい、男の優しさと弱さが出ていると思う。だから耳について離れないのかもしれない。
何しろ、ロマンチックな曲なのだ。小生には無いもの、憧れてはいてもだ。
そんなわけで、その日の夜は、従兄弟の正典君とカラオケに行った。
もちろん、この曲を歌ったが、その他にもたくさん歌った。
気がつけば午前様だった。
諸兄諸姉も同感であれば、カラオケ版にリンクを張っておくから頑張って欲しい。
それから、着いた日の夕食に従兄弟の正典君が招待してくれた。
場所は、「楊柳亭」という料亭。
ここは、母の実家で、今、従兄弟の正人君というのがやってるが、客で入るのは初めてのこと。
それで驚いたが、味は結構な味でした。
小生の感じでは、附中同窓会で行った湯布院の昼食以来という感じだった。
ランチメニューもあるそうなので、今度一緒に行きましょう。
ご馳走します。
酒も美味かったですよ。天山の冷酒でした。2合くらい飲んだかな?・・・いい気分でした。
それから、夜の十時ころ、そろそろ終わりかけた頃、家内の兄から家内の携帯に電話がかかり、
「アブサンで飲んでるから来い」とお呼びがかかりました。
「アブサン」は元近鉄で活躍した永渕選手がやってる酒場です。
そこでは、これも冷酒をグラスで一杯頂ました。これも美味かったです。流石に銘柄までは訊けませんでしたが、
いい酒でした。
それから、上記のカラオケに行ったのでした。楽しい一日でしたよ。
カラオケでは、色々歌いました。中でも気分よく歌えたのは、
スキータ・デービスの"The End Of The World"。
これも若い頃よく聴いた曲。声が締まっててて、音が外れないし、失恋の歌なのに泣き叫ばないし、
とても素敵です。歌いながらこんな女を捨てるなんて許せないと怒っておりました。
ところで、スキータ・デービスの晩年の写真、どこかPPMのマリー・トラバースの顔に似てると思いませんか?
小生、このサイトを見てる内、そう思いました。
素敵な女性ヴォーカルは顔も似るのかも知れないと思ったりして・・・妄想だろうけど。
それとも、終に、幻想を見るようになったのかも!
それから、もう一曲、そのときのカラオケで歌った曲を追加しよう。それは、昔の流行歌で、戦前に流行った曲。
小生が、カラオケするときは外せない一曲です。そう、松平晃の歌う「花言葉の唄」。
古過ぎると思うかもしれないが、音楽とは古いものでもいいものはいいので、貼り付けてみます。
松平晃のバージョンでです。
作曲の池田不二男も歌ってる松平晃も佐中の先輩。3拍子の軽快な曲調、素晴らしいと思う。
それから、もう一曲追加しよう。
曲は、「胸の振子」という曲。
これも、この夜、カラオケした曲のひとつだが、段々思い出してきたので追加する。
最近、忘れっぽくなっているのだ。
この曲には思い出があって、亡くなられた米光典子さんから、
10数年も前の八期会で突然「この曲、知ってる?」と訊かれて、「知ってるよ」と応え、
それじゃと言ってジュエットで歌ったのが、この曲だった。
小生、知ってはいたが、カラオケで歌ったのはこれが初めてだったので、聊かの不安はあったが、
何とかなるだろうと歌ったのだった。
彼女は、よく知っておられた。昭和22年の古い曲なので、本当にご存知なのか半信半疑だったが、
完璧にご存知だった。・・・思えば、音感のよい人だった。惜しまれるほどに。
多分、プロでもやっていけるだけの才能は持っておられたと思う。八期生の中でもダントツではなかっただろうか。
第一、この曲を選曲すること自体が才能の証だろう。昭和22年の懐メロで、知る人ぞ知る曲ではあっても、
忘れられた数多くの曲の中からこの一曲を選抜するのには才能が要るだろう。
小生は、彼女に教えられた気がしたことを憶えている。もう、遠くなっちゃったけど。
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