皇居一般参賀(H26年)

H26/1/2
石井俊雄
佐高八期会の皆さん 明けましておめでとうございます。
今年も、よろしくお願い申しあげます。
 
 
一昨日、皇居一般参賀に行きました。
そのときの写真と動画を掲載します。 よかったらご覧ください。
 
 
1月2日 10時38分撮影の東京駅遠景です。
未だ何となく朝の雰囲気が残ってるかなというところ。
 
 
東京駅から皇居の方に歩いてきました。
向かいは皇居前広場。横たわるのは日比谷通り。背中の方向約800mほどのところは東京駅丸の内側です。
 
 
日比谷通りを越えて皇居前広場へ一歩近づきました。
でも、ここで暫く待たなければなりません。皇居前広場への道路の両側で、警察の指示を待っています。
 
 
こちらの側でも、警察の指示により待っています。
右側の人列は参賀を終わって東京駅方面へ帰る人の列です。
 
 
ふと見ると、パレスホテルとその右の工事中のビルが見えました。パレスホテルの新館のようです。
手前にケヤキが葉を落として立っていますが、そこは和田倉噴水公園。
この公園は、 昭和36年(1961)天皇陛下(当時皇太子殿下明仁親王)のご成婚を記念して造られ、面積は15,000uあります。 その後皇太子殿下のご成婚記念で平成7年(1995)6月噴水公園が再整備され、新しく水の流れ落ちる施設やモニュメントが造られました。 噴水の水は、お濠の水を濾過して循環使用しているとのことです。 園内には、レストランがあります。
 
 
右に横たわるのは内堀通りです。この道は、皇居前広場を突切って通っています。
いつもは自動車で一杯ですが、今日は通行禁止のようです。歩行者天国のとき、サイクリングするととてもいい気分ですよ。前、やりましたが。
 
 
騎馬警官です。「こっち向いて!」と言ったけど、騎乗の婦警さんは馬に気をとられて気づいてくれませんでした。
 
 
この先、荷物の検査があります。
 
 
二重橋の手前まで進んできました。別の方向からの参賀者も加わって混んでました。
 
 
いよいよ皇居正門です。石橋の上からの撮影です。
時刻は11時28分。東京駅前から50分掛ってここまで来たことになります。時間は掛るけど、全然疲れません。楽しいですよ。
 
 
二重橋の橋上からの風景です。宮殿東庭へと進んでいるところ。その進行右側には、遠く、丸の内のビル群が横たわっています。 日本経済の中枢というところでしょう。
 
 
お出ましになりました。でも、遠くてお姿まではよく分りませんでした。
参賀者の皆さん、神妙に、お言葉を聴いています。
若し、そのお言葉をお聞きになりたい方は、ここをクリックしてください
 
 
お言葉が終わったら、一斉に旗が振られました。
「天皇陛下万歳」を繰り返す人も何人かおられました。気持ちは嬉しいが、聊か耳障りの感、なきにしもあらずというところ。 ざわざわざわと旗の振られる音だけでも、不気味と言えば不気味なので、ま、いいか!というところです。 でも、一本調子で叫ばれるのも嫌です。神経に障るから。
 
 
お出ましが終わっての帰り道を行くと坂下門です。時刻は11時56分です。
 
 
帰り道、和田倉噴水公園で一休みしました。
コーヒーをのんだが、美味くなかった。ぬるくて。
 
 
東京駅の近くまできました。左側のビルは新丸ビル。昭和レトロが香るようなビルでしたが、今は建て直って、昔のよすがはありません。
昔、新丸ビルには日立の総務部門が入っていてOL譲も多数いたころ、あるOL譲に郊外の事業所への転勤を命じたところ、 そのOL譲は断固として、「私は、丸の内の日立に勤めたいのであって、他の日立は嫌です。」と言って転勤を断ったとか。 ・・・そんな気持ちが分るような気がする自立走行型サラリーマンの闊歩する街なのです。
 
 
東京駅を渡って、向こう側へと出ました。三越本店へ向かうところ、途中にある日本銀行本店です。その前で写しました。
小生は、ここいら辺には詳しいのです。何故なら、若いころ、 この写真の左後方にある日本ビルの7〜9階に日立のコンピュータ事業部があってそこに勤めていたから。 そういえば、その向かいのビルは新日鉄の本社ビルで、石井(浩)君もおられました。
今日も日本ビルの前を通って来ましたが、シャッターが閉じてひっそりしていました。 地下に食堂街があって、何とかいう喫茶店でよくサボったもの。 その店の名前は忘れてしまいましたが、一つだけ憶えているのは、コーヒーの値段がずーっと60円だったのに80円に上がったこと。 でも、全然こたえませんでしたね。何しろ残業が凄かったから。多いときは100時間はしました。 ・・・懐かしい思い出です。
今、そんなことしたら首でしょう。我々のころは、相当サボってもそんなことはありませんでした。 何しろ、基本的には、仕事してやる、という姿勢でしたから。 今から思うと冷や汗三斗ですが。
 
 
三越本店のライオンがいる正面入り口に掛けられた暖簾です。素敵ですね。昔の越後屋を彷彿とさせてくれます。
写っているのは小生の家内ですが、もう一人の青年は知らない人です。孫じゃありません。
それにしても、この暖簾、色が素敵です。紺は紺でもなんと言う紺だろう。 こんなのがさり気なく掛けてあるのがいい。 銀ブラとはちょっと違った老舗伝統の香、というとこでしょうか。
 
 
三越本店の地下一階にある地方名産品のコーナーです。「菓遊庵」と名前がついてます。
ここで、北島のマルボーロと鼓月の福袋をゲット。 また、別のコーナーでは、泉屋のクッキーの福袋と、山政の浜角煮をゲットしました。
それから丁度催事場で全国物産展をやってましたので、刃物をゲットしました。 出刃包丁ですが。越後の「清玄」と刻印がありました。 研ぎは只だとのこと。持ち手の根元に蝋を流すと鉄が腐らなくてよいとのことでした。 グリスでどうかと訊いたら「駄目」とのこと。もっての外とでもいうような顔でしたね。勉強になりました。
それから、爪きりも。最近、爪を研ぐのが中々厄介で困っていたので、ペンチ式のをゲットしました。 出刃包丁は、相当肉厚なのをゲットしたのですが、昨夜の料理で、家内が氷見産のブリを捌いたらよく切れたとのこと。良かったです。 捌いたと書きましたが、切ったという意味です。 捌いたとなると、一尾丸ごとの語感ですが、とんでもない、そんなことしたら一年分の予算が吹っ飛びます。 何しろ、氷見漁港で揚がったものだから、美味いけど高価のがね・・・。
 
 
三越を出て高島屋へと流れつきました。
高島屋の入り口正面に飾られた高島屋の振袖と袋帯。
振袖が、367万5千円、袋帯が126万円とのこと。
ウインドショッピング お代替わりに 出るはため息
だな。
 
 
ウインドショッピングのあとは、地下街での昼食です。「麦星」という洋食屋に入りました。 店の人に、これ何と読むのか?と訊いたら「むぎぼし」とのこと。本店は麻布十番だとか。
でも、味はイマイチでした。取った料理はハヤシライスですが、肉に味が無かったです。 付け合せのかぼちゃとれんこんの煮物も甘過ぎて駄目。がっくりでした。全部食べましたがね。
「麦星」と言うのは、よい語感だが、ウイキペディアによると、「麦星」とはアルクトゥルスのことで、 「アルクトゥルス(Arcturus)は、うしかい座α星、うしかい座で最も明るい恒星で全天21の1等星の1つである。 実視等級がマイナスとなる4つの恒星の1つ(太陽を除く)。 日本では、麦星、五月雨星、麦刈り星、麦熟れ星など多数の和名がある。 このうち、麦星などは、麦が熟れる頃になるとアルクトゥルスが昇ってくることから名付けられている。」 とのことだった。そこからのネーミングだろう。
名前はよいがもう少し味の方もよくして欲しいもの。・・・値段はそのままで。
 
 
銀座に行くのは止めて東京駅へと戻りました。東京駅のイルミネーションと皇居二重橋のライトアップを見ようというわけです。
その途中、昔の東京郵便局のリニューアル後に出来た新しいビル「KITTE」に行きつきました。 その玄関の映像です。
 
 
「KITTE」ビルの6階にある展望台から見た東京駅丸の内側の夜景です。
時刻は、17時14分。まだまだ大勢の若者であふれていました。
 
 
二重橋のライトアップです。時刻は、17時44分です。
はじめから計画していたわけではないので、三脚も無く、夜景の撮影テクニックも不勉強のまま、撮影本番となってしまいました。 矢張り、手ぶれが入ってます。でも、また来るのも大変なので、一期一会、無理して撮りました。 ま、イメージくらいはお分かりいただけるかな〜という感じです。
 
 
以上、小生の新春行事でした。皇居を見るのも好きだし、東京駅辺りで食事するのも、丸の内から日本橋、京橋、銀座辺りを散歩するのも、 ところどころでスイーツの買い物をするのも、喫茶店でコーヒーを飲むのも、いいものです。一年に一回くらいは、大都会のよいところを味わいたいから。
来年は、皆さんと行きましょう。計画しますから。2日の日、一日空けといてください。
 
 
最後に昔の歌をくっ付けよう。その曲は「小さな喫茶店」という曲。原曲は、"In einer Kleinen Konditorei"というコンチネンタル・タンゴの名曲だ。
1928年にドイツでつくられ1934年に日本に紹介された。曲名も原題通りの題名「小さな喫茶店」として日本でも大ヒットした。 この丸の内界隈、銀座、日本橋、京橋辺りの喫茶店でもよく見られた情景だろう。
原題通りの題名かどうか気になったので辞書で調べたら、"Konditorei"は「喫茶店」、"Kleinen"は「小さな」、"einer"は英語の"a"と同じ、 "In"は英語の"In"と同じ、と言うことまで分ったが、ここまで調べてヘトヘトだ。 辞書と言うのが大変な代物で、昭和27年発行の三省堂のコンサイス独和辞典で、字が小さい上に旧字のままなのだ。 例えば、付録にある「強変化及不規則変化動詞表」の漢字も「変」は旧字の「變」だし、「強」も「ム」のところが「口」。 と言うように年寄り向きではない。でも、何とか裏がとれたと思う。でもこれ以上は桑原君が頼りだな。
この曲を聴きたい向きは ここをクリックして呉れ給え。昭和の香りが周辺りを埋めるだろう。
 
 
YouTubeの画面からもう一曲貼り付けよう。昭和レトロを成した気丈な女性たちを歌った歌だ。 曲は、「愛国の花」
ウイキペディアで調べたら、
愛国の花(あいこくのはな)は、1937年(昭和12年)にラジオの国民歌謡として作られ、1938年(昭和13年)4月10日、 渡辺はま子の歌唱で日本コロムビアからレコード化された歌謡曲である。銃後を守る婦人の思いを桜、梅、椿などにたとえて歌う。 福田正夫作詞、古関裕而作曲。 歌のヒットを受けて、1942年(昭和17年)、木暮実千代、佐野周二主演で松竹により映画化された。
とあった。
歌詞的には聊か戦時色を湛えているが、音楽としては素晴らしい。歌詞もいいし古関裕而作曲なるメロディもいい。 でも、最高なのは、渡辺はま子の歌唱だろう。音が合ってるし、喉も絞まっている。 今の女性シンガーで、これほどの人はいない。何とか対抗できるとしたら五輪真弓くらいかな〜。
 
 
最後に追加だが、 "In einer Kleinen Konditorei"のオリジナルを付け加えよう。 当に、コンチネンタル・タンゴらしい編曲の曲だ。 「小さな喫茶店」は、このバージョンをコピーしたのではないだろうかというほど似ている。 聴いて見たら分るだろう。
 
 
 
 
 
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