能登・金沢の旅

二日目

石井俊雄
小生、喜寿記念の旅、その2日目(4月22日)の写真です。
行程は、和倉温泉→のと鉄道・JR七尾線で金沢→レンタサイクルで市内観光 :長町武家屋敷跡・にし茶屋街・近江市場・東茶屋街→ホテルで一泊 です。
この日は、朝から快晴。楽しい旅をすることができました。
七尾西湾です。背景は能登島です。撮影時刻は、08:50:28秒。
風もなく、暖か、凪でした。
俳句を一句。
風もなく 暖か春や 七尾湾
和倉温泉駅のホームに、のと鉄道の七尾行きの電車が入ってきました。
七尾駅にて、JR七尾線に乗り換えますが、その間、20分ほど時間があり、駅構内で待ってるところ。
背景は、「花嫁のれん」。この地の習わしで嫁入り道具だそうです。 綺麗ですね。いい習わしだと思いました。
七尾は、加賀百万石の藩祖、前田利家が織田信長から能登国を拝領し、七尾城主となったところだそうです。 天正9年(1581年)のことですが。
金沢駅西口の情景です。 金沢駅は、西口と東口がありますが、西口の方が繁華のようでした。 線路の反対側が東口です。撮影時刻は、11:30:52秒。
公共レンタサイクルを使って「長町武家屋敷跡」へとやってきましたが、 その中の「野村家」の屋敷の縁側での撮影です。撮影時刻は13:20:12秒。
入口には、由緒を記した立札があり、次のように記されてました。
藩祖前田利家が天正11年(1583)金沢城に入城し加賀百万石のいしずえを築く際、直臣として従った野村伝兵衛信貞は禄高千石、千二百石と累進してこの地に千有余坪の屋敷を拝領して御馬廻組組頭各奉行職として代々つづいた由緒高い家柄である。 明治4年廃藩に至り庭園、土塀の一部を残して一帯は菜園となったが大正に入って現在の住宅街と変遷したのである。しかし今だに一部に藩政時代の面影をとどめている。 当野村家もいくたびか住人をかえたが藩政時代北前船として樺太、蝦夷に通商し藩政を支えた加賀支藩の大聖寺藩下の傑商久保彦兵衛が藩主を招くのに造った豪邸の一部である上段の間、謁見の間を移築したものである。 今更に往時の文化栄華を知る数少ない貴重なる文化遺産でありたたずむ此処に歴史の重み加賀文化のふかさを感じられてならない。
犀川に架かる「犀川大橋」上にて。撮影時刻は、14:10:38秒です。
乗ってる自転車が、「まちのり」のレンタサイクル。
このシステム、とても便利でした。 使い方は、最初、クレジットカードで200円払います。 そうしたら、4桁の暗号をくれるので、それを使えば、すぐに自転車をゲットできます。 ゲットした自転車で目的地に近いポートへと向かいます。 そこで30分以内に返せば追加料金は発生しません。 自転車は、市内あちこちにある30箇所のポートに置いてありますので、出したり入れたりして、 ポート間を歩かないで済むというわけです。・・・使って見てとても便利でした。 特に、金沢のような観光スポットが狭い範囲に点在しているところでは最適でしょう。
西茶屋街にある茶屋の一室です。凄く艶やかですよね。女性の部屋って感じがしてお粉が匂うようです。
立札があって、「芸妓たちによって受け継がれてきた西茶屋街の風情」という表題で次のように記されてました。
踊りはもちろんのこと、三味線、太鼓、笛など、芸妓たちによて長く受け継がれてきたお座敷芸が、にし茶屋街の風情を華やかに彩っています。 かつての芸妓たちは、10歳の頃から一人前の芸妓を夢見て恵子に励んでいたといいます。彼女たちは「たあば」と呼ばれ、置屋の使い走りなどをしながら、行儀作法などを仕込まれていきました。当館隣の旧検番は、往時からの稽古場であり、今でも芸妓たちの熱のこもった稽古の様子を戸外に響かせています。 大正から昭和にかけて、検番の一室には仮の教室が設けられていました。近くの小学校からやってくる先生の授業があり、義務教育うを受けなければならない「たあば」たちは、夕方そこに集まったということです。そんな「たあば」たちも、正月のお座敷では客の前で踊りを披露することがありました。未熟ながらも、一生懸命に踊る姿は可愛らしくもあり、高額な祝儀を出す客もいたといいます。 こうして華やかな芸の文化を支えてきた芸妓たちはまた、金沢弁のやさしい響きを受け継ぐ語り部でもありました。今ではもう忘れられた言葉も、茶屋の芸妓たちによって生き生きと語られています。 芸の深さばかりでなく、このようなさり気ない風情こそが、茶屋街の魅力を深めていると言えるでしょう。
茶屋の外観です。
お茶屋というところは、藤沢周平の小説ではよく出てきます。 ・・・一度行ってみたいと思っていたところですのでよかったです。
有名な「近江町市場」の標識です。 この右側の奥に近江町市場が広がっています。 歩いてみましたが、鮮魚店が多かったですね。 肉屋は見かけませんでした。
出てる魚で目立ったのは、「のどぐろ」という魚。今が旬だとか。 でも、馴染みがないので食欲は湧きませんでした。 北陸や、東北・北海道の魚は、皆そうですね。馴染みがないので、どうも食べる気がしません、 ブリはを除いては。
金沢は矢張り海産物の町のようです。 街中でも、洋食店は見かけませんでした。 町は綺麗で、人々も小奇麗な出立でした。 健康で明るい町、という印象です。 息子の嫁が金沢出身なので満足でした。孫の嫁さんも、金沢でいいかも知れないとも思いました。 佐賀は勿論ですがね。同等かそれ以上かもしれません。 何しろ町が自立しているという感じだから。
街が自立しているということは人も自立精神が豊かということでもあるわけです。 だから、無駄のないスリムな感じが素晴らしい。 加賀は一向一揆の歴史を持ち「百姓の持ちたる国」と言われたところ。 その伝統が生きているのではないかと思えたことでした。
立て看板に次のようなコメントが書いてありました。
金沢の町家の平均的な間口は3〜4間で、 道路側から「ミセノマ」、「チャノマ」、「ナカノマ」、「ザシキ」と呼ばれる部屋が並びます。 「ザシキ」は「土縁(どえん)」を介してナカニワに面しており、 その奥に土蔵などが建てられている土間があります。
土間って言葉、私も普段に使っていましたが、土間も茶の間とか中の間とかと同列の家の中の一つの部屋、 というニュアンスがあるとは知らなんだ!と新発見でした。
撮影時刻は16:28:12秒。
これが「まちのり」の18番「東山ポート」です。 今、借りようとしているところ。撮影時刻は17:45:08秒。
「東山ポート」の脇を流れる「浅野川」の情景です。 滔々と流れているという感じですよね。
撮影時刻は17:45:42秒。
金沢駅西口へと帰ってきました。 今夜は、駅に近いホテルで一泊です。
撮影時刻は18:10:14秒。
(2日目の写真は以上です。3日目は、明日以降、追加掲載します。 ご期待のほどを!)
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  • アップデート:26/4/26    [Return]