能登・金沢の旅

三日目

石井俊雄
小生、喜寿記念の旅、その3日目(4月23日)の写真です。
行程は、路線バスで市内観光:兼六園・金沢城公園→金沢駅→リムジンバスで小松空港→羽田(帰宅) です。
この日も朝から快晴。楽しい旅をすることができました。
昨夜泊まった「ホテルドーミーイン金沢」です。 温泉があるので息子が選んでくれました。 撮影時刻は、09:40:38秒。
兼六園の桂坂口にて。ここから兼六園の見物です。
兼六園の八重桜の下で
有名な琴柱灯篭です。 撮影時刻は、11:03:44秒。
松と家内。撮影時刻は11:10:56秒。
芭蕉の句碑です。
「あかあかと 日は難面も 秋の風」
「難面も」は「つれなくも」と読みます。意味は、さりげなくとかそ知らぬさまの意。 語源的には、「連れ無し」の転じたもののよう。
本歌は、もとより、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」『古今集』(藤原敏行)です。
いい俳句ですね。感心しました。 特にいいのは「難面も」という言葉。 小生が知っていたのは、「つれない」という言葉。無情だとか薄情だとかの意味です。 裕次郎の歌で、そんなのがありますよね。 「つれない素振りしたけれど・・・」というのが。 それも同根の言葉です。そんなのが新発見。この歳での。
撮影時刻は、11:27:04秒です。
幼稚園の遠足と外人さん、です。
兼六園 子供も笑顔 外人も
です。
金沢で目立ったのは外人さん。白人も見かけたが特に多かったのはアジア人だ。 中でも中国人は団体さんが多かったように思う。 大声で話しているから直ぐわかったが、総じて、大人しい感じだった。 私も観光客だが、金沢のいい所、見てくれて有難かった。
 
 
 
 
兼六園を出て、愈々、金沢城の見物となります。
場内に入ると「金沢城の歴史」と記した説明板が掲げられていて、次のように書いてありました。
金沢城の地が歴史の舞台に登場するのは金沢御堂が最初です。金沢御堂は、天文12年(1546)、 加賀一向一揆の拠点として城内に創建され、本山である本願寺から僧侶が下向し、 寺内町が形成されました。寺内町金沢に多くの人が集まり、北陸門徒の振興の中心地となり、 経済的にも政治的にも本願寺を支える一大勢力となりました。
天正年間に入ると、本願寺と一向一揆は全国各地で織田信長の軍勢と凄惨な戦いを繰り広げました。加賀へは信長の命を受けた柴田勝家らが進攻し、天正8年(1580)勝家とその甥の佐久間盛政によって金沢御堂は占領されました。 金沢城の最初の城主となった佐久間盛政は、一向一揆の反撃に備えて堀や土塁の整備を急ぎました。
天正10年(1582)本能寺の変で織田信長が没し、その後の覇権をかけた柴田勝家と羽柴秀吉の争いは、翌年(1583年)賤ヶ岳の戦いで秀吉の勝利に終わりました。この時、佐久間盛政も伯父勝家とともに敗れ去り、秀吉に服従した前田利家が石川・河北の加賀二郡を与えられ、能登七尾から金沢城に入りました。 利家は大掛かりな城の整備に取り掛かりました。天守閣の創建や、本丸周辺の石垣構築、大手口の付け替えなど、いずれも城の根幹に関わる工事を行いました。信長時代からの技術を引き継いだ職人集団が、金沢でもその技を発揮したと考えられています。
金沢城の石川門石垣
立札に次のコメントが記されていました。
この石垣は、右と左で積み方が違います。右側は「切石積み」、左側は「粗加工石積み」となっています。 同じ場所で違うつみ方をした珍しい例で、明和2年(1765)の改修時のものと考えられています。
「菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓」の全容です。
向かって右側の櫓が「菱櫓」(ひしやぐら)、中程の長いのが「五十間長屋」、 左側の櫓が「橋爪門続櫓」です。
ちなみに、左端に写っている門が「橋爪門一の門」で、その奥に大きな「橋爪門二の門」があります。
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の役割、として説明盤が掲げてありましたが、それによると、
加賀藩の政治の中心で、藩主の住居でもあった「二の丸御殿」を守る役割をもっていました。
長屋の用途は、長屋とは、石垣や土塁の上に建てられた長大な建造物で、 防壁と倉庫などの役割を兼ねていました。
櫓の用途は、櫓は「矢倉」とも書かれ、武器などの倉庫に使われ、見張りの役目も持っていました。
などと書かれていました。
橋爪門(正確には、「橋爪門二の門」です)
文化5年(1808)に焼失した後、文化6年(1809)に再建された姿を復元しています。
撮影時刻は12:18:36秒。
復元工事のあらましとして、次の説明盤が掲げてありましたが、それによると、
復元されたもの:菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓、石垣、内堀、橋爪橋、橋爪門、土塀、
工事期間:平成10年3月〜13年7月(3年4ヶ月)
総工費:約46億円
面積:建物延べ床面積:約1900平米
復元方法:日本古来の木造軸組工法で復元しました。江戸時代の絵図、 明治時代初期の写真をもとに、史実を尊重して復元しました。
材木の種類は、柱:ヒノキ、床・壁・小さな梁:のとヒバ、 二階丸太梁:マツ、二階梁上の小屋組み:スギ、大断面の梁:米ヒバ
などと書かれていました。
菱櫓の内部。コーナーの角度が普通は90度ですが、菱櫓では、100度、80度、100度、80度、 で合計360度になっているのです。 写真では、その100度のコーナーが写っています。 見慣れた90度の場合に比べ少し開いているのがわかりますよね。 そこが菱櫓の変わったところ。 この変な形の施工には、大工の苦労が偲ばれます。 何しろ、全ての部材の加工が手慣れた90度角から10度だけずれているのだから。 何故そうしたかは、幾つかの仮説があるそうですが、ちょっと凝り過ぎの感を免れませんね。 撮影時刻は12:43:52秒。
橋爪門続櫓から東の方角を見た映像。写ってる山は「医王山」です。
この景色を見て思うことは、どこか京風という。 この写真の長屋の屋根の形や、前に掲げた菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の姿など、どことなく京風、 というか寺院風。 この他、加賀友禅とか含めると、金沢は京都文化圏の一翼にあると言えるのではあるまいか。
撮影時刻は13:03:14秒。
鉛瓦です。
工法は、屋根の下地に木で瓦の形をつくり、その上に鉛板(厚さ:約1.8mm)を張ります。
鉛瓦を使った理由には諸説があります。 「荷重の軽減」、「美しく見せる」、「加賀藩で鉛が余った」など。「戦の時に鉛を溶かして銃弾に加工した」という説も・・・。 撮影時刻は13:06:36秒。
「三十間長屋」です。
これは、昔のまま残っているものです。
撮影時刻は13:25:38秒。
石垣です。これも昔のままのものです。
再建された建物ほどは客光を浴びることもなく、ここ4〜500年は、 黙って建っていたのでした。逞しいこと!
駄句を一句。
石垣や 4、500年も なんのその
撮影時刻は13:27:54秒。
金沢駅東口の陶板です。
愈々、帰る時がきました。
撮影時刻は16:03:28秒。
金沢駅東口を飾るオブジェです。
強そうで弱そうな印象ですね。そんなオブジェで何を表したかったのでしょう?
小松空港行きのリムジンバスから撮りました。
撮影時刻は16:16:22秒。
小松空港にて撮影です。機内より撮りました。
撮影時刻は17:43:14秒。
以上で、小生の喜寿記念の旅の3日間、終わりました。
次は傘寿かな。それまで、頑張らなくちゃ!
金沢って、初めて来ましたが吃驚するほどいいところでした。
何処がって?!、・・・何と言っても、健康的かな。それと自立性。
前にも書きましたが、この辺りは戦国時代、百姓の持ちたる国と言われたように、自主独立の地でした。 だから民衆一人一人が自主性を持ち、その総意としての政治・文化体制を実現していたはず。 その経験は、今も脈々と受け継がれ、今日の金沢を生んだと思われます。
そこのとこが凄く面白い。今後も色々な難題に直面しても、この自立精神で乗り切ることでしょう。 関数的に言えば増加関数が期待できそう。そうですサチらない世界というのが期待できるというのが面白い。 別の言葉で言えば、安定と言うことだ。
「安定」という言葉は「不変」と解されるかもしれないが、現実を生きる人間にとっての「安定」とは、 「不変」ではなくて「進化」ではないだろうか。 「不変」は「停滞」をもたらし滅亡に至り、「進化」は「生存」をもたらすから。
その進化において決定的な役割を果たすのが自立ということだと思う。 だから、この金沢の辺り、進化し生き残る可能性が大きい。
私はと言えば、関数的に言えば、「減衰関数」だ。 減衰関数の特徴は、よくてフラット(現状維持)、普通以下では減衰だ。
かくなる上はその勾配の小ならんことをと祈るのみ。・・・即ち、停滞願望ということだ。
また、石川県を旅して思ったことは、小奇麗ということと観光に注力してるということ。 小奇麗とは、道行く人にしろ町並みにしろ清潔ということだ。 例えば、食物屋の中は綺麗でも外周りがスッキリしてないと、観光客にとってはがっかりだ。
また、他県の観光スポットでは、商店名の入った安手のボンボリを見かけるが、 石川ではそのようなものは見かけなかった。 この安手のボンボリ、観光スポットを安っぽくするだけのものだと思う。
小生の限られた経験から言うと、小諸の懐古園、ここではそれを見てがっかりしたことを憶えている。 更に、それ以上だったのも見たことがある。 ここはせっかくの由緒を無駄にするようなボンボリで一杯だった。
清潔感を演出する気配り、観光地には欠かせないポイントではないだろうか。 要はセンスの問題だと思う。
(3日目の写真は以上です。これで、全て掲載しました。ご高覧感謝です。)
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