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9時45分羽田発佐賀空港行きに乗りました。
写ってる海は相模湾。その海岸端に鎌倉(中央より少し左の弓なりの海岸のところ)、少し右手に江の島が見えてます。
上部の陸地は三浦半島です。
撮影は機内の主翼上の席からです。写っている機体は左翼とメインエンジンです。(撮影時刻 2016/06/10 10:17:38)
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常照院(佐賀市本庄町鹿子)のお墓にて写しました。
妹と家内と甥と長男です。
背景の楠の大木が佐賀らしさを映しています。
常照院の前身は、「飯盛城」という城でした。
我が家のルーツは藤原氏で、京より建長2年(1250年)下総国猿島郡石井郷(茨城県坂東市岩井)
に下向し石井氏を名乗りました。
七代後、石井忠国は千葉氏の内紛に巻き込まれ、肥前国小城郡晴気城主千葉胤紹の下に身を寄せ、肥前国佐嘉郡与賀郷飯盛村を知行地として与えられたそうです。
永享元年(1429年)菩提寺「本善寺」を創建し、元和元年(1615年)常照院と改め現在に至っています。
・・・武士どもが夢の跡です。
我が家には、「藤原姓石井氏系図」と題する系図が伝わっています。
初代は、石井伊予守忠倍二男石井平左衛門忠教とあります。享年は不明だけど、その長子たる氏忠は、
「天正十年十二月三日従軍於筑後戸原戦死ス二十五歳法諡云々」とあります。
ここで「法諡(ほうし)」は、贈名(おくりな)、所謂戒名のことです。「云々」のところに具体的な戒名がきます。
天正十年は西暦1582年だから、
その父である平左衛門忠教は、西暦1500年代半ばを生きた戦国武将だったと思われます。
知行は石井平左衛門家として375石とあります(「肥前石井氏」というネット情報より)から、中級の武家ということでしょう。
余談ながら、従兄弟にして八期生の不破家は、福岡の黒田藩の家老だったという家柄。石高は聞きそこないました。
でも、375石ってことはないでしょう。負けてるみたいです。我が方が。
不破の名前が出たので、少し書き足しましょう。
「不破氏」をネットで調べると、「百済系帰化人多利須々の後胤で、
現・岐阜県不破郡垂井町宮代、現・不破郡関ケ原町野上、に生まれた宮勝木実(みやの すぐりの このみ)が、
壬申の乱の功によって、不破郡を賜り、不破と改姓したとされる」
とある。
また、「黒田孝高」(黒田 官兵衛、または、黒田如水のこと)をネットで調べると、
「黒田氏は、『寛永諸家系図伝』などによれば、賤ヶ岳山麓の近江国伊香郡黒田村(現在の滋賀県長浜市木之本町黒田)
の出身とされるが、定かではない。」
とある。
以上のネット情報から、不破家と黒田家の関わりについて推量すると、次の可能性が見えてくる。
不破家の発祥の地である岐阜県関ケ原と黒田家の在所である滋賀県長浜市は、
地図上の直線距離で凡そ20kmほどの距離にあることから、当時(戦国期以前)から地縁人縁の関係にあった。
このことから、いつのころからか黒田家に臣従し、福岡藩52万石創生への貢献が認められ、福岡藩家老職に列した。
正典君が生きていれば、もう少し聴けたかもしれないが、彼の寡黙な性格から推して、おそらく多弁しなかっただろう。
小生も、生前、このネット情報を掴んでいれば、寡黙な口をこじ開け得たかも知れない。・・・残念である。
だけど、ただ一度だけ、平成15年、私の母が亡くなったのを機に、小生が我が家の家系を知ろうと調査を始めた折、
正典にその話をしたら、彼も、自分の家系を調査するつもりだと話し、なんでも、直ぐにでも
関ケ原に行ってみるようなことを言っておった。
数年後、東京で会った際、あれはどうなった?と訊いたが捗々しい結果は聞けなかった。
だが、彼が、自分のルーツについて、岐阜県不破郡の関ケ原辺りを意識していたことは確実である。
不破家と岐阜県不破郡の関わり、間違いなく繋がっていると思う。
そこには今でも不破関
という史跡もあることだから。
話を本題に戻そう。今、墓石の周りは砂地ですが、夏ともなると草が生えて大変なので、
草が生えないように玉砂利を敷くとかコンクリーをかぶせるかとか、対策しようかと検討をはじめました。
私の祖母が生前、「墓をコンクリートで固めると中に入ってる人が息ができないからしない!」と言ってたので、
なんとか上手い方法はないかと知恵絞ってます。
私の願いは、この墓が未来永劫、この父祖の地で維持されること。
・・・その内、AIが代参、ということになるかも知れないが、そんなのは構わない。
でも、無縁墓になることだけは勘弁願いたい。
(撮影時刻 2016/06/11 11:07:16)
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昼食は片田江通りにある「春駒」でとりましたが、その脇にあるクリークの魚影です。
昔、魚を追っていたのが懐かしい。佐賀は今も水清き故郷です。(撮影時刻 2016/06/11 11:28:09)
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「春駒」です。昔の籾井塾の並びにあります。名物は「皿うどん」です。(撮影時刻 2016/06/11 11:28:52)
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眼下に見えるのは千葉港です。飛行機(A320)はここから左旋回して羽田空港へ進入して行きました。
なお、対岸のでっぱり(画面に向かって右端から横幅の3分の1ほどにある)は浦安のディズニーランドだと思われます。
更に右端より5分の4ほど進んだところに、羽田空港が見えています。
(撮影時刻 2016/06/11 17:16:37)
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定刻とおり夕日に染まる羽田空港に到着しました。
長男、家内も同乗していたので、正直、ほっとしました。(撮影時刻 2016/06/11 17:31:06)
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