羽村取水堰

H24/4/30
石井俊雄
連休に突入した途端、いい天気になって気分もよい。
それで、近くの羽村取水堰までサイクリングしてみた。 片道10kmほどの行程だ。
その写真を掲載します。よかったらご覧ください。
 
 
先ず目に付いたのは「多摩川の原水の流れ図」と書いた立看板。 左隅に説明書きがあるが細かくて読み難いだろうから書き出して見ると次の通りだ。
羽村取水堰
この堰は、多摩川をせき止め水道用の原水を多摩川上水路に引き入れるために造られたもので、 固定堰や投入(なげいれ)堰と呼ばれる珍しい構造の堰からできています。
*投入堰は、川に鉄の桁を渡し、これに松丸太、そだ(木の枝を束ねたもの)、砂利などを取り付けてつくります。
玉川上水
玉川上水は、羽村取水堰から新宿区の四谷大木戸に至る延長約43kmの上水路で、 1654年(承応3年)当時、江戸の飲料水供給のために造られたものです(現在は、 羽村取水堰から小平監視所までの約12kmが、上水路として利用されています。)。
この絵で面白いのは、多摩川水系から村山・山口貯水池への配水。小作・山口線や羽村線を通って水が村山・山口貯水池へ行ってること。 これって全然知らなかったですね。しかし考えて見ると羽村から村山・山口貯水池までの距離はざっと10kmほど、案外近いのですね。 聞きなれた言葉で言えば村山貯水池とは多摩湖のこと。更に、山口貯水池とは狭山湖のことですから。
もう一つ面白いのは、左上にある水源林の印。東京といえば「どちらを向いても屋根ばかり」と云う印象ですが、 そんなところばかりでは生きて行けないのですよね。人ばかりではなく街としても。 そう思うとき、東京都の東西に長細い地形、その西の方に水源を持つことの有り難さが解ったことでした。
更に面白いのは、桜の印が多いこと。今年は気が付かなかったが、来年は見てみたいものです。
 
 
 
写真は、上流から川下に向け撮ったもの。多摩川は写真の奥の方へと流れていきます。
上の「多摩川の原水の流れ図」から云えば「第1水門」が左端に写っています。
羽村取水堰は、右側中央に写ってる梯子を横にしたようなもののこと。この堰で堰きとめられた水が左の水門へと導かれる仕掛けです。
多摩川が増水した時は、玉川上水を守るため、この堰を切って水を多摩川本流に逃がしたそうです。 その堰を切る方法が、堰をとめている桁を外して堰自体を川下に向け投入ること。珍しい構造の堰とはそんな仕掛けというか発想にあるわけです。
 
 
 
上の「多摩川の原水の流れ図」から云えば「第2水門」の写真です。川上から撮っています。ここが当に玉川上水の出発点です。 川下へ向け、毎秒9トンの水が流れ込むそうです。
毎秒9トンと云えば、1リットルのペットボトルで毎秒9000本。凄い!
 
 
 
第1水門から1kmほど下った地点での玉川上水です。 この水路は今でも歴とした上水路とのこと。 360年の昔これを造った人や組織に感謝です。
この後、小平監視所までの約12kmは上水路として利用されていますが、その後は、農業用水などに利用され神田川と合流し、 柳橋から隅田川へと流れていきます。 途中、井の頭公園をとおりますが、そこでの水量は毎秒ペットボトル300本くらい(推定)でしょうか。 かなりか細くなっています。 それでも、沿線には緑が栄え、市民の憩いの場になっています。 太宰治が入水自殺したことで有名ですが、今は昔、ですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
コメントはこちらへメールして下さい。その際、文中冒頭に「HPコメント」と記して下さい。 Email

<コメント欄>   当欄は上記のメールをコメントとして掲示するものです。