井の頭公園の桜

石井俊雄
久しぶりに井の頭公園の桜を撮った。 4枚ほど掲載してみます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今、本を読んでいる。「集合知とは何か」(中公新書)だ。
図書館の新刊書棚から見付けたものだ。 新刊書棚という狭い棚、言わば限られた選択肢がなくてはとてもピックアップすることは無かっただろうと言うような本だ。
パラパラとめくっていると面白い記述がある。
 
近ごろ、「クオリア(qualia)」という言葉をよく耳にする。「感覚質」などと訳されることもあるが、そんな訳語を聞いても、どうも分ったようで分らない。 ・・・
 
として、
 
要するにクオリアとは、読者であるあなたの心の中に生じる、一回かぎりの「感じ」のことに他ならない。
 
とある。
 
私は昨日、歯医者に行った。もう40年近く診てもらってる馴染みの歯医者さんだ。 今では、月一で定期的に診てくれている。
そんな歯医者でも遠慮は無い。ガーガーと高圧水銃で歯と歯肉の間を洗い流すのだ。 痛いと思うが、医者は遠慮会釈なしに吹き付けることを止めない。
私は思うのだ、そんな時に、「痛みとは徹底して個人的なものである。いや、痛みだけではない。よく考えれば、我々の喜怒哀楽を伴う体験はみな、 取り替えのきかない個別の身体をベースにしたクオリアから成り立っている。 我々はよく、情報や知識を共有するとか、心を開いて共感すると言う。だが、それらはあくまでも、心が本当は閉じているという絶望的な事実を踏まえた上での、 一種の希望以上のものではない。 心とは徹底的に『閉じた存在』なのである。自分の痛みのようなクオリアは、他人には決して分ってもらえないことが、その証拠である。」 との筆者の言葉を。
更に思うのは、女医さんの方が冷酷ではないかということ。時々、シルバーの仲間のおばさんから聞く話の中にそんなのがある。 曰く、「娘より息子の方が優しいわよ。」と。 我が掛り付けの医者は紛れも無い女医さん。それも、典型的なと言うべきほどのだ。
 
歯医者に行く道すがら撮った写真を掲載する。 昨日は、うす曇で時々薄日も射す天気。花見客も大勢だった。 思うことは、花は素晴らしい。枯れてしまってとても元通りになるとは思えないような佇まいから、 想像もできないような、言わば非線形の自己組織力で以って、期待通りの結果を出してくれるから。
そんな結果を写真に撮ったので、ご覧くだされば有難い。
あなたのクオリアが、どう反応するか覗けるものなら覗いてみたい。 だが、無理だな。何故なら、心とは徹底的に『閉じた存在』なのだから。・・・でも、期待しよう。感動に打ち震えるあなたのクオリアを。
 
「孤独なクオリア」というテーゼを歌った古歌を書いておく。小倉百人一首から二条院讃岐だ。
 
わが袖は 潮干にみえぬ 沖の石の
人こそしらね かわくまもなし
 
歌意は、「わたしの着物の袖は、引き潮のときにも見えることのない沖の(海中の)石のように、あの人は気づかないけれど、悲しみの涙で乾くまもありません。」というもの。
片思いというのは、「孤独なクオリア」の典型例かもしれない。
 
最後に、ネットで見つけた曲をくっ付けてみる。 私のクオリアは感動しているが、あなたのはどうだろう?
 
 
昔の映画音楽にはいいものがある。 1928年の"Ramona"という映画の中の挿入歌だ。 以前にも使ったが、また、聴いてみたくなった。 そんな曲を聴くのも若かりし頃を思い出して元気が出るのではないだろうか。 あなたのクオリアが感動することを期待している。
 
 
 
「ラモナ」ってかなり色っぽい曲だよね。 この曲は1928年に公開された同名の無声映画の主題歌だ。 詳しくはここを見てくれ給え。 冒頭、次のように紹介されている。
Ramona is a 1928 silent drama film directed by Edwin Carewe, based on Helen Hunt Jackson's 1884 novel Ramona. It starred Dolores del Rio and Warner Baxter. A copy still survives in the Czech Film Archive.
 
色っぽいのはそれくらいにして、今度は趣を変えて厳粛なクラシックの方を眺めるとしよう。 ネットで見つけたのは The Best Of Bach" だ。 随分長いセットだが、お薦めは、最初からの経過時間で1:24:11から始まる「マタイ受難曲」だ。中でも1:39:10に始まる「マタイ受難曲 終曲」は圧巻。
それから、1:19:04から始まるBMV 1047 (1 st movement). 即ち、「ブランデンブルク協奏曲第2番第1楽章」もいい。
全部聴くと10時間くらいかかるので、忙しい向きは早送りで頭だしした方がいいだろう。
ところで、1:56:03から始まる曲、素晴らしいがなんと言う曲か知らない。ご存知なら教えて欲しい。
 
クラシックもいいですね。昔を思い出します。お袋が元気だった子供の頃を。
その頃、家にあったクラシックのレコードといえば、バッハの「ブランデンブルク協奏曲」とベートーベンの「ピアノ協奏曲第5番皇帝」だけ。 よく聴いたのは「ピアノ協奏曲第5番皇帝」だ。毎朝、起きがけに聴かされた。お袋に。小学生のころだ。
どんな心算だったかは知らないが、あの頃が懐かしい。そのレコード盤、今も家にある。長らく放ってあるが、中々聴けない。SPの再生機がいるからだ。 でも、私が死ぬときには、この曲を聴きながら旅立てればと思っている。
ネットで探したらいっぱいあるが、テンポやピアノのタッチの感じが近いものとして、 辻井伸行のがいいみたい。 第一楽章は途中までしか入ってないが、演奏の感じが似ているので選んでみた。
この曲、朝まだき朦朧とした寝覚め前の床の中で聴くのが一番だ。特に、第2楽章は。 聴くともなくまどろむ中で頭の中に深い朝霧の中から徐々に現れる得体の知れない影のようなものが見えてくるはず。 そして次の古歌が頭に浮かぶだろう。
 
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
あらはれわたる 瀬々(ぜぜ)の網代木(あじろぎ)
君は幸せな夢を見る。朝まだき夏の朝のことだ。
だが、第2楽章は実際聴くと、余りよくない。ピアノの音が硬いようだ。若さの所為かもしれない。もう少しメリハリ付けて歌って欲しいという感じがする。
第3楽章も同じだ。
 
 
 
 
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