|
青梅線小作駅前7:30出発のクラブ・ツーリズムの日帰りバスツアー開始です。写っているのは添乗員の女性。
運転手は二人付きましたので安心でした。
|
|
12:00頃、大正池で降りました。直ぐ大正池があり、天気にも恵まれ写真を撮りました。
バスは、終点が河童橋バスターミナルですが、小生は初めてなので、大正池で降りました。
そこは「景色がいいですよ!」とガイドされて降りてみました。
そこから河童橋まで、自然研究路を歩いて行きます。殆ど高低差はありません。
途中、上高地帝国ホテルで昼飯を喰い、河童橋まで行ったらその袂にある五千尺ホテルで休憩し、余った時間は河童橋で土産でも買うという行程です。
|
|
大正池から自然研究路を通って河童橋までの中程の地点から眺めた穂高連邦の写真です。
西穂高が2909m、奥穂高が3190m、前穂高が3090m、明神岳が2931mです。
|
|
上高地帝国ホテルの中にあるレストラン「アルペンローゼ」の前にて。
|
|
アルペンローゼのランチメニューです。
その中から、家内は「信州産地卵のオムライスとハッシュドビーフ」を、小生は、「帝国ホテル伝統のビーフカレー」を注文しました。
結果は、最悪でした。肉は味が無くてパサパサしてるし、塩は足りないし、醤油は無いし、ぬるいし、これが帝国ホテルのランチ?!かとがっくり。
オムライスは一口もらって喰ってみたげど、それもぬるくてね・・・。名物に美味いものなしとはよく言ったものです。
狂歌を一首。
名物や諺ごときに義理立てせずに
たまにゃ浮気もしやしゃんせ
つんつん!と。
|
|
これが、「信州産地卵のオムライスとハッシュドビーフ」です。
外観は見目麗しいですよね。
特にお皿が素敵です。薔薇をイメージしたお皿なのでしょうか。
そう言えば、お店の名前が「アルペンローゼ」(アルプスの薔薇)でした。
|
|
上高地帝国ホテルの正面玄関前にて。
逆光なのでフラッシュを焚きたかったのですが、やり方が分からずこうなりました。写っているのは小生です。
モデルさんではありません。
|
|
五千尺ホテルの5HORNのチーズケーキです。これは、噂に違わず美味でした。濃厚でしたね!
名物に美味いものあり旅の空
土産に欲しいと言ったのですが、「土産はない」とのすげない返事でした。「ない」とは存在しないの意味です。
存在するけど、品切れだという意味の「ない」ではなかったですね。
すげない話しです。
だけど、このケーキ皿、イマイチですよね。なんだか陰気。
・・・すげないこと言われたから言うわけではないけど。
|
|
河童橋から穂高連峰を見た写真です。川は梓川。川下から川上に向かって撮っています。
現在は3時過ぎの頃。4時に近くのバスターミナルから帰りがスタートします。
一日、天気もよくて、地元の人は「こんなに一日中青空が続くのは珍しい」と言ってました。
今回はそろそろ旅の終わりです。
上高地は、この河童橋から上流に1時間ほど歩いたところに、これも有名な明神池があります。
ここを往復すると2時間はかかります。
今回はこれくらいにしておきましょう、またという日もないじゃなし。
こんどは、秋の最中に来るのもいいかもしれません。
添乗員が言ってましたが、地元の人に訊いたら、紅葉は10月20日から11月上旬とのこと。
今は疲れているが、帰って数日もすると元気になること間違いないのだから、「その時、考えよう!」と言ってバスに乗りました。
現地4時間ほどの自由旅でした。
「バス・ツアーもいいですよ!」これが今回の感想。
特に上高地は車の乗り入れ規制がある上、松本駅からのアクセスがなかなかの難題で、よもや行っても帰りのバスとか電車とかの時刻のことを考えると、
のんびりトレッキングを楽しむのも難しい気がします。
そう言う意味で、バス・ツアーは、特に今回のようなアクセス型のバス旅はいいのではないかと思いました。
また、皆さんともご一緒しましょう。
最後に、川柳を一句。
上高地に4時間ばかり遊びけり
です。
もう一句。
極楽も地獄もありの名所かな
です。
最後に、流行歌を1曲。
信州と言えばやはり伊藤久男の「高原の旅愁」(昭和15年発売)ですよね。
この曲を聴くと餓鬼のころを思い出します。当時はSP盤しかなかったのでそのオリジナルのを聴くと尚更です。
同じころ聴いたのが、ルシエンヌ・ボワイエの「聞かせてよ愛の言葉を」
(1930年)
また、ダミアの「人の気も知らないで」(1931年)というのも懐かしい。
ルシエンヌ・ボワイエ、素敵ですよね。
この曲は多くの歌手によってカバーされましたが、小生の知り限り、このルシエンヌ・ボワイエのが最高です。
それもダントツという感じです。
リュシエンヌ・ボワイエ(Lucienne Boyer, 1903年8月18日 - 1983年12月6日)は、フランスのシャンソン歌手。
代表曲として「聞かせてよ愛の言葉を(Parlez-moi d'amour)」「私の心はバイオリン(Mon c?ur est un violon)」など。(ウイキペヂアより抜粋)
ダミアも素敵です。
この曲は、彼女の最高傑作だと思います。
日本では、この曲を、高峰三枝子が歌っています。これも素敵ですよ、負けないくらいです。
小生の知る限り、ダミアのシャンソンは深刻かつ個性的なので、ちょっときつい感じがします。
しかし、この「人の気も知らないで」は適当に深刻で、個性も抑え気味なので、聴きやすいという感じだと思います。
歌詞はかなり強烈ですが、高峰三枝子のは聴きやすく相当異訳していますがよいい訳だと思います。
ダミア(Damia, 1889年12月5日 - 1978年1月31日)は、フランスのシャンソン歌手であり、映画女優。
本名は、Marie-Louise Damien(マリー・ルイーズ・ダミアン)。(ウイキペヂアより抜粋)
ルシエンヌ・ドリールというシャンソン歌手がいますよね。
彼女は、ルシエンヌ・ボワイエの娘かと思っていたけど、違ったようです。
しかし、聴いてみると素敵な歌声でした。「古きパリの岸辺で」(1939年)という曲を聴いてみますか。
出てきた画面の左中程にある小画面の三角をクリックしてください。
ルシエンヌ・ボワイエ、ダミア、ルシエンヌ・ドリール、いずれも1930年代のシャンソンを聴いたが、この頃のシャンソンは素朴だよね。
今のは、作りすぎというか、兎に角、売れるように、売れるように、と作るから一言で言うと、いやらしい!。
それに比べ昔のは!・・・となるのだが、それは年のせいかもしれないのだ。何しろ74歳なのだから。
人間の音楽感性は何歳のころ作られるのだろう。多分、5、6歳〜7、8歳の頃だろう。 言葉を覚える年齢とそんなに違いはないだろうから、そんなにはずれてないはずだ。 となると、74歳のおっさんが、今の流行りの音楽を心から受け入れることは考えにくい。 従って、私は昔のシャンソンに親しみを覚えるのだと思う。 |