哀しみのソレアード

H24/2/1
石井俊雄
今朝起きたら家内が豆を煮ていた。
そう云えば今日は家内の町内仲間の集まりの日だ。「さつき会」という名前の。
もう、月一で40余年も続いている。
「よく飽きもせず!」と思うが、羨ましくもある。
私にはとても出来ないことだから。
送り出すしかない。
家内は今日 さつき会 豆を煮ている
そんな気分で覚悟していたが、用意でき次第早々に出掛けて行った。煮豆のお土産を持って。
私はそれで決心した。夕陽の写真を撮りに行こうと。
実は、昨日、夕方、綺麗な夕焼けを見たから。生憎カメラを持ってないときに。 それで、明日、天気が見込めそうなら撮りに行こうと思ったのだった。
 
それで、東青梅からチャリで出かけて、羽村から多摩川の土手沿いのサイクリング道を南下し、聖蹟桜ヶ丘までサイクリングした。 片道約30kほどのサイクリングだ。
昔2年ほど住んだ桜ヶ丘の旧宅も見たかったし、夕陽の写真も撮りたかったし、調度体力も自信あったし、 このサイクリング道、土手の上にあるので、見通しが利き、場所によっては富士山も見えたりして、夕焼けの写真を撮るには格好の場所だし。 色んな思惑が私を駆り立てたのだった。
それで、老体ながら残りの体力を信じて事に及んだのだ。
往きは調子良かった。川下に向けてのサイクリングだから下り勾配、すいすい行ける。行きながら思ったものだ。
「まだまだだな!」と。
だが、夕方の帰り道は大変。
登り勾配の上、多摩川沿いのサイクリング道からいつの間にか逸れてしまって、残堀川の側道に入ってしまい、タイムロスしてしまった。 その上、その側道の小さなベンチのある休息所でテーブルの上にちょこんと乗った猫を見つけ、暫し付き合って遊んだので更にロスが拡がった。
それでも何とか多摩川沿いのサイクリング道に戻ったとき、既に陽は落ち、微かな残照が残るだけ。 それでも気を取り直して撮ったのがこの写真。
どこか印象派の絵を思わすような写真だが、そんなものしか撮れなかった。残念だけど、この絵に合うようなBGMを付けるので、 何とか我慢してよければ見て欲しい。
それは、ネットで見つけた「哀しみのソレアード」という曲。
解説サイトに依ると、
この曲は、イタリアの音楽グループ「ダニエル・センタクルツ・アンサンブル(Daniel Sentacruz Ensemble)」によるインストルメンタル。 原題は「ソレアード(SOLEADO)」。「ソレアード」とはスペイン語で「日だまり、日当たりの良い場所」という意味。
とあった。
詳しくは、解説サイトを参照して欲しい。
更に、この曲は"When A Child Is Born"というクリスマスソングとして有名だとか。
この解説サイトの中程に試聴できる場所があるので、それも聴いてみるのもお勧めだ。 中ほどにYouTubeの画面があってそこの三角のマークをクリックすると聴ける。 歌手が誰かは解らない。 出だしはアカペラだが段々アンサンブルが深まって盛り上がる編曲が素晴しい!
この曲、「日だまり」が原題だが、残照にも当て嵌まるような気がする。何故なら残照は少し哀しいから。
だから標題の「哀しみのソレアード」とは残照のこと。
帰りの途は険しかった。 写真の中のとんびのように私も早々にチャリを走らせたが、途が少しの登り勾配の上、強い向かい風。 そんな中を喘ぎ喘ぎ帰途につきました。・・・ガス欠の心配な車に乗ってるような気分でした。正直に云うけど。
 
 
 
 
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