h29_花見

H29/3/30
石井ト
大江戸線「築地市場駅」で降り、数分のところにある商店街の賑わいです。
今日は、市場はお休みなので、お店によっては閉まってるところと開いてるところとありました。
だから、観光客も少ないはずなのに、結構賑わっていました。
我々が昼食をとった店です。
少し外れたところにありますので、空いてると思って選びました。 そうでないと、とても予約はできません。
清澄通りから石川島公園に入って直ぐ撮りました。背景に写ってる橋が「永代橋」です。
同じく石川島公園にて写しました。
桜がほころびかけたかな、というとこです。
石川島公園の終端でお茶しました。「上海ダイニング」というレストランでとりました。
ランチタイム最中でしたが、「コーヒーだけでもいいか?」訊いて、何とかOKもらいました。 でも、「今回限りですよ!」との限定でした。お代は380円。スタバ並みだったけど、熱くはなかったです。それが残念でした。 コーヒーなんて、熱さが命だろうに!
写真はそこを出て、「中央大橋」の上で撮ったものです。
両国橋の橋上にて。
大横川沿いの桜です。
この後、門仲を歩き、「由はら」という昭和レトロな喫茶店でお茶しました。 13名が分散でしたが座れてよかったです。座れなければ、近くの別の喫茶店に行くつもりでした。
あんみつとかしることか大の大人がですよ、楽しみました。 一番愉快だったのは、おしゃべりできたことです。 私のとこは、山下と永渕の3人でしたが、愉快でしたよ。漢の話がね。 故槙原君が麻雀に強かったとの話、初耳でしたが、意外でもあり、さもありなむ!と合点もしたことでした。
そこは甘味処でしたので、酒は無かったのですが、上海ダイニングの休憩時はお茶にワインなどを楽しみました。
締めくくりに短歌を一首
花見来て 命を延ばす 一時は
四方山話 お茶に酒
一番延ばしたのは桑原だったようです。命の水とやらを楽しまれていたから。
おまけに懐メロの「隅田川」にリンク張っておきます。 一葉の世界を思わせる歌詞が素晴らしい。昭和12年発売、作詞は佐藤惣之助。 ですが、原作は永井荷風の戯曲集からのものらしい。 佐藤惣之助と言えば、高峰三枝子のヒット曲「湖畔の宿」を書いた人でもあります。 相当、抒情的な感性の人ですよね。
「隅田川」はここをクリックしてください。 この曲の難しい箇所は、出だしの「銀杏返しに黒繻子かけて」の黒繻子のところだろう。島倉千代子は下手、東海林太郎は上手い。なお、 黒繻子は繻子織りにした黒い布、すなわち黒いサテンのこと。黒繻子かけてというのだから、多分、黒繻子の羽織をかけてということだろう。 そんな着物が大正から昭和にかけて流行ったようだ。 誰か、黒繻子の羽織着てくれないかな〜、写真撮りたい。隅田川は浜町河岸辺りで。
画面の芸者は、島田髷に引摺りを着ている。歌では「銀杏返し」と歌ってるが画像では島田髷らしい。 東京深川の辰巳芸者は「粋」をむねとし、足袋をはかず素足で桐の下駄を履き、羽織をはおることをもってその心意気としたそうだ。 画面では、羽織は着ていないが、足袋をはかず素足の様子。 それに、芸者は、花魁や花嫁のように右手ではなく、左手で着物の褄(つま)を取るので、「左褄(ひだりづま)」と呼ばれることもある通り、 画面では左褄を取っている。・・・どうやらこの地域の伝統を継ぐ辰巳芸者の装いのようである。 なお、引摺りとは、裾を引摺るほど長くした着物のこと。従って、恰好つけるだけではなく、左右どちらかの手で褄をとらざるをえ得ないのだ。
舞妓・芸妓が京の「華」なら、辰巳芸者は江戸の「いき」の象徴とたたえられた。・・・一度見てみたい。真っ黒なっかもだな!
そんなわけで深川と言えば芸者が浮かぶ。別に遊び回ったわけではないが、子供の頃から慣れ親しんだ野村胡堂の「銭形平次捕物帳」や映画や流行歌の影響で、 私の頭の中には一種の憧れとしての江戸下町の風情が住んでいる。 そして、芸者と言えば、神楽坂はん子の「芸者ワルツ」を思い出すのだ。最後にそれ聴いて終わりにしよう。 ここをクリックしてください
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