DIY Final
H29/6/14
石井ト
4月下旬からから始めたフローリング付け替え工事も昨日(6月13日)ファイナル(最終)となった。
その工事結果を写真でレポートする。
部屋が使えないと、落ち着いた平常の活動が滞る。例えば、手紙類の整理。引退後のフリーな身でも、世間から切れてしまったわけではなく、
色々なセッションが残っている。切れたいのは請求書との縁だが中々切れてくれない。切れたくないのはちかっとだが、残っている。
だから、書斎の机は今でも大事なのだ。
それが昨日、復旧したので、ほっとしている。
無駄口はそれくらいにして、結果を写真でレポートします。よかったらご覧ください。
何れも13日夕方の撮影です。この日は梅雨空の下、一日中はっきりしない天気でした。
|
|
部屋は6畳間で、南北に長い造りの間だ。
その部屋の北西の隅のショットだ。写真の上方向が北。
6月11日までに50列まで済んでいたものに、昨日までに4列を加えました。全部で54列となっています。
54列目のは、幅が1cm長い板を使っています。それでも端に2cmほどの隙間ができたので、55列目として2cm幅のものを付けています。
この列は置いただけ。その内、接着剤で接着するかもしれませんが、当分、様子を見てみます。
この2cm幅の55列目で部屋の北端にある押入れに達しました。・・・工事完了、やれやれです!
|
|
|
南西の隅のショット。写真の上方向が西。写真の左端が1列目で、後、右へ行くほど列数が増えていきます。
フロアと壁の接点部分に黒い板が見えますが、それは、「巾木」という呼び名のもの。
ホームセンターに行けば売ってますが、普通、部屋一辺の分は切れないで通しの巾木が普通のようなので、ホームセンターで買っても運ぶのが大変。
小生は、元のものを再利用しました。
|
|
|
北東の角にある出入り口のショット。写真の上方向が東。私の足先が写っていたので採りました。想定外で面白いかな、と思って。
履いてるのは布切れで編んだ草履。これ凄く気に入っているものだ。・・・靴下履くとうまく歩けないという欠点もあるが、履き心地はそのデメリットを遥かに凌いでいる。
入り口のところは巾木でフロア材の終端を隠せないので、剥きだしで見えてます。
本当は、何か方法があるのでしょうが、このままでも段々熟れてくるのではないかと思っています。
|
|
|
南東の隅のショット。写真の上方向が南。
|
|
|
フロア中央のショット。まあまあの出来でしょう。素人にしては上出来だよね。
ところどころにある黒点は、昔、旧宅で墨の滴が落ちたもの。
そのころは、いくつかの板に広がって落ちてましたが、ばらして付け替えたので、墨蹟もあちこちにばらけています。
|
|
|
入り口の外からのショット。奥にベランダが少しだけ写ってますが、梅雨の日の夕暮れ時だけに明るさはありません。
4月下旬から始めて2か月でフローリング張り替えDIYが終了しました。
素人にしては大冒険でした。途中で投げ出すわけにも行かないので緊張して作業しましたが、何とかやり終えてよかったです。
やり終えた感想は、矢張り無垢のフローリングはいいということ。いままでの部屋の印象とは全然違います。
部屋は床が大事なのかなと思います。
壁は、合板でも気になりませんが、床は無垢材に限るのではないかと思いました。
後、何年生きられるか分かりませんが、この部屋でなら頑張れそう。・・・退屈しなければですが。
なお、旧宅の後にも、老後の部屋を用意した。2DKの間取りで狭いが、無垢のフローリングを施しておいたので、行く行くはそことここと掛け持ちで住むつもりである。
そこの方のフローリングは、無垢の新品だが堅そう。木は新しければいいというものでもないだろうから馴染めるか心配ではある。・・・無垢のフローリングが好きなのは、
小生のささやかな贅沢かも知れない。
なお、そちらの方に住むときは、お披露目のパーティをするつもり。・・・アルコールは、柘榴のブランデー漬けだな。ブランデーはVSOだがお試し済の美味しさだ。
仄かなピンク色の香りと甘味が呑む人を魅了するだろう。
最後に書いておこう、フローリング敷き替えDIYの難しさとメリットを。
(1)それは、部屋を工事可能な状態にすること。即ち、部屋の中の家財道具を一時的にどこかへ移すことの難しさだ。本とか重いからね。老夫婦にはそれだけでもこたえるのに十分だ。
更に、一時的にそれらを置く場所を確保する難しさがある。
(2)経験不足なこと。普通、犬小屋程度をDIYすることはあっても、フローリングを対象にすることはない。合板のならまだしも無垢の場合は失敗するには損が大きすぎる。
なのにやるとして開始したらそれこそやり終えないといけない。その点、面白いがハイリスクだ。失敗して家族に慰められるなんて嫌。
でも、暇つぶしと完成後のユートピア的環境は、余生を豊かにしてくれるだろうから挑戦する価値はある。
やる人いたらアドバイスするよ。・・兎に角ね、こればかりは設計段階でファイナルまで読みきらないとだめ。読み切り雑誌でないとね、続きものは駄目。
|
最後に音楽のおまけを一つ。それは田端義夫の「かえり船」です。
この歌の2番、自分の旧宅への未練と重なっているので、リンク張ることにしました。
捨てた未練が 未練となって
今も昔の せつなさよ
瞼(まぶた)あわせりゃ 瞼ににじむ
霧の波止場の 銅鑼(ドラ)の音
この歌、今も聴けば涙がでます。未練がましいのが好きなのかもしれません。
そういえば、昔、我々がまだ子供だったころ、ラジオ放送で「尋ね人」というのをやっていたのを思い出す。
調べると、昭和37年までやってたそうだから、我々には馴染みの音だったわけだ。
私なども、「あ、またやってるな!」という程度の認識で、何となく永遠に続くものだと感じていた。
・・・だけど、それも途絶えてはや半世紀、いつの間にか忘れ去られてしまっている。
それを、この曲が思い出させてくれた。
久し振りに、餓鬼の頃の日常的な音、聴いてみますか。ここをクリックして三角のスタートマークをクリックしてください。
この音を聴くと、戦後の混乱期の記憶が鮮明に思い出されてくる。
今の人、お笑い番組やワイワイガヤガヤのトーク番組や料理番組など、当時のことも知らぬ気に平和ボケしてしまっている。
また、政治家も浮かれているように見え、チャラチャラと言葉数は多いが中身が無い。
そんな中、当時を知ることは大事な事だと思う。言葉で説明しても説明できないことが、映像であれば五感に沁みて理解されるというものだ。
我々はある人の写真を見たとき、その人の名前が思い出せないことがある。それが誰かは分かっているが、名前が浮かばないのだ。
この状態は、人間は視覚による記憶力が、文字などのテキスト情報記憶力より、数段優れていることを示している。
「百聞は一見に如かず」の格言がこのことを如実に看破している。
だから、言葉で言うより映像を見せた方がいい。・・・孫にも見せないといけない。あのような馬鹿なことを繰り返さないために。
田端義夫の「かえり船」とNHKの「尋ね人」の組み合わせ、効果的に歴史を語るだろう。
映像の持つ可能性は、ナチスが使った国民啓蒙の手法で証明済みだ。誰かが、それに気付いて実行して欲しいものである。
ナチスと言えば、その要人ゲッペルスの肩書は、国民啓蒙・宣伝大臣で、そのものズバリのストレートさで、
国民を第二次世界大戦へ誘った。言わば確信犯である。これだけストレートにやられたら、俺は騙されたなんて言い訳は言わないし、言っても通らない事を承知できるだろう。
そこへ行くと我が国のは、確信犯ではなく中途半端である。目標も不明。ただナチスドイツの快進撃に乗り遅れまいとして突っ走ったというのが真相だろう。
切っ掛けはそうでも原動力は指導層の出世欲と国民の保身欲だ。保身欲とは言うべきときに言わないことで、哲学者三木清流に言えば、偽善者だらけだったことになる。
偽善者なら言うだろう、俺は騙されたと。臆面もなく。・・・こう云うのって蛙の顔に小便、というのだよね。それくらい鈍感ということだ。
自分のしたことを知らないのだ。
しかし、言うは易く行うは難しの格言にもあるように、これを実践するのは大変な努力と決心が要る。
小生、終戦時は、小学校1年生だったが、当時の猛々しい雰囲気は今でも憶えている。
近所の写真館のご主人の出征に際し家の前で行われた近所の人による壮行会の場面を憶えているが、本人は国民服にたすき掛けして日の丸と家の前の置かれた一段高い台に乗り、
何かしゃべっていたし、日頃知ってる好々爺的風貌は無く威厳に満ちた知らない人のような人だった。
それを取り巻くご近所さんは、日の丸の小旗を一斉に振って、歓呼の声を挙げていた。そこにあったのは、疑いもなく歓喜であった。
大衆に、あの雰囲気に逆らう勇気を期待すること能わずであった。それが当時の雰囲気、空気だったのだ。
言うは易く行うは難し、英語では "Easy to say, hard to do." である。・・・今、当時のような場面にあるとしてあなたならどうする?・・・私なら、多分、流されるだろう。
言い訳はしない覚悟だけは持つというのが精々だと思う。自覚的偽善者である。
一つ付け加えよう、当時の雰囲気を雄弁に語る映像を。それは、昭和19年12月に封切られた松竹映画「陸軍」だ。
この映像を見ると、当時の空気がよく分かると思う。百の言葉よりよく分かると思う。この映画の原作は火野葦平、監督は木下恵介、脚本は池田忠雄という方だ。
撮影は武富善男となっている。この映像、すごい迫力だ。陸軍省の依頼により制作されたというだけあって、陸軍部隊の行進のシーンが圧巻だ。
舞台は博多、行進する陸軍部隊は、実際の陸軍部隊である。実に堂堂としている。流石帝国陸軍である。
兵装は三八式歩兵銃(九九式かもだが覆いがしてあるから詳細不明)だけだが、それを担ぐ兵の姿がいかにも板についてるし、馬上の士官の姿勢、態様が堂堂たる武人の様になっておさまっている。
それに、熱狂する市民の姿、かつての自信に満ちた人たちが映し出されている。
真に、映画のロケ以上のシーンである。
それを映像化した監督は流石である。ま、グダグダ説明するより、映像でみた方が手っ取り早いだろう。
映画のラストシーンの映像だ。ここをクリックしてください。
母が息子の出征行進を見送る姿が我々の涙を誘うだろう。
それにしても、歩兵だけの行進で、機械化がなされてない。これではまるで明治維新の頃の兵装と同じで、哀れだ。
戦場に征くでもこれじゃ死に切れないというものだ。・・・貧弱だよね、日本陸軍って。
「背伸びして最後にこける三代目」だ。
維新の貢献者を初代とすれば、昭和の頃は三代目が軍の主流を占めていた。商家で言えば大概の商家が三代目で潰れていく。それと同じだったことが我が国に不幸をもたらした。
司馬遼太郎はこのようなことを「徹底したリアリズムの喪失」と呼んだ。三代目は現実を無視し精神論、今で言うバーチャルリアリティに逃げ込んだのだ。
がり勉で世に出た人材の行きつくところである。
・・・そう言えば、今の政治家、三代目ではないのかな。三代目は苦労してないお坊ちゃんだ。怖い。
がり勉を悪者のように書いたが、がり勉が悪いのではない。がり勉するほどの集中力は尊敬に値するし、結果、色んな知識を持てるというのも事実であるからだ。
悪いのは、その知識が現実と乖離していることである。ままごと遊びで核武装を語るようなもの。現実と仮想との違いを知るべきである。若いのは特に。
ちなみに、かつての名門企業「東芝」凋落の原因は、リアリズム喪失にあるのではないかと思う。石坂泰三を初代とすればがり勉で三代目の特徴だ。
リアリズム喪失に出会ったら喧嘩するくらいのがわんさといないとこけてくるだろう。長老と言われた人の存在理由でもあるのだが。
リアリズム喪失の世の中で、浮かんでくるのは百人一首の古歌。
あはれとも いふべき人は 思ほえで
身のいたづらに なりぬべきかな
もう少し、リアリズムとその反対、理想主義の話を列挙してみよう。
- カジノ法案
カジノの合法化が理想なら、カジノ法案反対がリアリズムの発露だと思う。
- 創価学会と公明党
創価学会と公明党の関係において、創価学会が理想なら、公明党はリアリズムの発露だろう。
- 宗教
世俗派がリアリズムの発露なら教権派は理想。
- AlphaGo
AlphaGoがリアリズムの発露ならプロ棋士は理想。
- 政治体制
民主主義がリアリズムの発露なら独裁は理想。
- 老い
無為が現実なら労働は理想
人類の未来は、リアリズムの方ににあると思うのだが、如何だろう。
コメントはこちらへメールして下さい。その際、文中冒頭に「HPコメント」と記して下さい。
メールはHP管理者へメールしてください。
<コメント欄> 当欄は上記のメールをコメントとして掲示するものです。
- アップデート:29/6/22 [「陸軍」を追加]
- アップデート:29/6/14 [Return]