h29 花景色 写真募集

H29/4/4
石井ト
先月29日は、有志で隅田川ウオーターフロントの花見をしました。
だが、花は蕾で、花見ではなく川見となってしまい、聊か残念ではあったのです。
その後、ぐったりしてましたが、数日経った昨日3日は、元気を回復し、いつもの多摩湖自転車道をサイクリングしました。 その時拾った花の写真、よかったらご覧ください。
皆様の春の写真、お寄せくだされば有難いです。 僭越ながら募集させていただきますので、よろしくお願いします。 掲載の仕方は、このページに積み上げて掲載していきます。
お馴染みかと思いますが「多摩湖自転車道」で撮った桜です。
この日は写真機は持たず、スマホだけでしたので、スマホの写真です。
スマホの画面が日中は周りの明るさに紛れてよく見えないので、撮影には四苦八苦しました。
木蓮です。綺麗でしょう!
同じくスマホの写真です。
撮影時刻は4月3日の13時30分ころです。
青空が写ってますが、これが曲者でした。3時ころ井の頭に達し、掃除などして5時ころ帰途につきましたが、   
30分ほど走ると、一転俄かに掻き曇り春雷と俄雨と向かい風に見舞われました。
予報では、天気の急変を告げてましたので、不幸にして当たりでした。・・・ついてない!
本当は、井の頭公園の桜の景色、チェックするつもりでしたが、時間切れでした。
昨夜、このページを書き終わって、寝む前にもう一度テレビを点けてみた。
丁度、音楽番組で、変な外人のおばさんがインタビューにでも応えるように自分のことを語っていた。 背景に流れる音楽は素敵だし、今、夜の12時ころ、チャンネルはBs106なので、新聞のテレビ欄で調べると、"SONG TO SOUL"とあった。
暫くして、その曲が初めから流された。初めは聞き流すつもりだったが、少し聞き覚えもある素敵な曲だったので、曲名を急いでメモ。 録画するには遅すぎたのだ。
翌朝、今だが、ネットでその曲名で検索をかけ、ゲットしたのが、この曲、「愛はかげろうのように」だ。
調べると、
シャーリーンは、1976年に「愛はかげろうのように」を録音した。同曲はシングルとして1977年9月にリリースされたが、ビルボードの最高順位で97位と、低い順位に終わった。 1982年、フロリダ州タンパのラジオ局で放送されたことから人気が急上昇、アメリカのヒットチャートで3位、イギリスで1位、 1983年にはオーストラリアで6週連続1位を獲得するなど世界的大ヒットとなった。
とあった。(ウイキペディアから抜粋)
この曲聴いてみますか。ここをクリックしてください
原曲の曲名は、"I've Never Been To Me"。 意訳すると、 「(パラダイスを追い求めたが)私の居場所はなかった」だろう。
日本でも、多くの歌手によりカバーされている。中でも有名なのが、椎名恵の「 椎名恵 LOVE IS ALL」だろうか。 だが、メロディは同じだが歌意は大きく違っている。シャーリーンのがパラダイスへの挑戦なら、椎名恵のは愛がすべてというもの。 また、思想的に言えば、前者が哲学的なら、後者は情緒的、である。そして更に年齢層的に言えば、前者が大人向けなら、後者は子供向け。 聴いてみますか。ここをクリックしてください
我が国の詩に欠けているのは、物事を上から目線で抽象化した視点での作詞ということだろう。 西洋人は、何故かしらないが、物事を第三者的に見る目があるようだ。 この場合、例えば「パラダイス」という表現は対象を上から目線で一般化している。だから詩文の登場者は、自分、対象、その二つを見る上から目線、の三者となる。 その所為で結果としてできるものも哲学的となるのだろう。 日本人は、ものの見方が自己の視点からに限られるようだ。従って、詩文の登場者も自分と対象の二者だけとなる。結果としてできるものは自分と対象との関係を記したもの、即ち、人情もののようになる。 どちらがいいかという話ではないが、大人になればなるほど、人情ものだけでは飽き足らなくなるように思うが、皆さんはどうだろう。
この椎名恵という方、北海道出身の57歳シンガソングライターだ。 この曲には英語歌詞も入るが発音がいいようだ。別に留学経験もないようだから、国内で習得したものと思われる。
小生、最近思うことは、英語の発音は、持って生まれた身体的特徴に由来するものではなく、赤ん坊のころから周りの人の話す声や顔や素振りをみながら、 脳に刷り込まれるものということだ。何が刷り込まれるかと言えば、口、喉、呼吸器官を動かす数十もの筋肉を制御する制御情報である。
我々が、中学校で英語に接し、思うように発音できないことで陥るコンプレックスは、その刷り込み体験がないところに、 いきなり英語発言という難題を突き付けられるからである。 例えば笛、その発する音はほんの少しの指孔の位置のズレで大きく音が違ってくる。 ましていわんや人体の発声おや、だよね。いきなりでうまく発音できるわけがない。ほんの少しの口の開け方、舌の位置、喉の径、肺から噴き出す空気の加減、 これらのコラボの結果が音声なのだから。
最近特に思うのは、以上記したように言葉というのは、脳への刷り込みの結果であるとい事実である。 小生、学校の英語教師から、そのような話を聴いたことがない。・・・先生って、相当いい加減だよね。言葉と刷り込みの関係に言及しないのは。 その重要性を教えないまま、単語を数個教えたところで多寡が知れてるだろうに。基本を教えないで末梢を教えている。・・・今の学校、どうなってるやら!
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