鯉のぼり

H29/4/27
石井ト
一昨日の4月25日の火曜日、都立東村山中央公園で撮った鯉のぼりです。。
スマホしか持ち合わせてなくて、狙いもままならぬ状態で撮りました。よかったらご覧ください。
鯉のぼりを見ると、もうそんな季節なのだと、年月の過ぎる速さに気付かされます。
スマホで撮りましたが、ファインダーが無いのっで、アングルが決まりませんね。 大概こんなものだろうと見当をつけて撮りましたが、中々思うようには撮れませんでした。
それでも、フォトショップ・エレメントで、トリミングしたりして編集し、何とか1枚、掲載できるかな、という程のにして出しました。
左の木、糸杉のようにぽつねんと直立していました。名前が分からないので、明日、またサイクリングで通るので、調べてみます。
本当は、子育て中のママさん親子か、わんぱく小僧でも入れて撮りたいところですが、鯉のぼりの背がこんなに高いと、中々バランスが取れないように思います。 まして、スマホでは無理。何しろ画面がよく見えないから、目暗打ちするしかないからです。
とは言え、下手なのを一首。
風そよぐ 五月の空の 鯉のぼり
子育てし頃の 思い出ださる
昔、子育ての頃、当時、鯉のぼりは綿のが主だったと思いますが、それを買ってきて、屋根の上に長い物干し竿を立て、取り付けたことを思い出しました。 綿だと重いから、中々泳いでくれなかったりしましたが、それでも、隣に住んでおられたごお年寄りに、「あれはいい!懐かしい!」と、 褒めていただいたことがありました。そのお年寄りとは、長年住んでる間、その会話だけが唯一の機会で、その後、話す機会もありませんでした。 九産大の教授をされてたと記憶します。戦時中は、陸軍の一式戦、所謂、隼の設計に携わった方でした。 私も、この鯉のぼりを見て矢張り「あれはいい!懐かしい!」と思いました。
本物の 爺さまデビューの 気分かな
まだまだ爺さまには程遠いと思っていたが、そろそろかな?と観念しなくちゃいけないかも知れない。
さて、お約束の件、木の名前ですが、昨日(28日)公園の管理事務所で訊いたら、「ムサシノケヤキ」というそうです。 在来種の欅が、空に向かって大きく手を広げる箒型なら、このムサシノケヤキは、上に方が狭い竹箒状とのこと。 「看板も立ってますよ」とのことなので、行ってみたら確かに立ってました。その写真、以下に掲げます。
公園で「ケヤキ」と聞いたとき、第一勘は「えっ!」でした。こんな欅見たことないからです。
帰宅後、ネットで調べたら、以下のことが分かりました。
「埼玉県花と緑の振興センター」は、 昭和46年に当センターが在来のケヤキと異なり枝張りが狭く竹ボウキ状に生育するケヤキを日高市の農家屋敷林で発見し、 昭和48年から苗木の増殖を開始したものを「むさしの1号」と名付けました。 また、県内に同様のケヤキがないか調査したところ、むさしの1号と同様の枝張りのものを川口市で発見してこれを「むさしの2号」と名付けました。 このむさしの1号、2号が発見されたのをきっかけに、昭和58年から増殖が行われ、県内の生産者へ普及してきました。
最近では、むさしの1号が主流となり、枝張りの狭いケヤキのことを「ムサシノケヤキ」もしくは「ケヤキムサシノ」として流通されています。
公園を出て「多摩湖自転車道」を三鷹の方へ進むと、素敵な新緑の景色に出会い、思はず写真を撮りました。 西武新宿線「萩山駅」近くの情景です。
ほんの2週間ほど前は桜で埋め尽くされていたところです。今は、そんなこと想像もできないような緑が覆っていました。
井の頭宅の防火用水の金魚です。
昨日、底を浚えて水を入れ替えました。
このまましてると、底に溜まった落ち葉や、冬に私が与えたパン屑などが腐って、ヘドロになり、金魚が死んだりします。 金魚が死ぬとボウフラが湧くし。 だから、毎年、底を洗って水を替えて上げるのです。優しいよね!
水槽はこんな程度の作業で済みますが、これからは草むしりが大変。枝下しもです。 可憐な花をつけた草だろうが容赦はしません。そんな私はというと、
優しさも 都合次第で 変化かな
です。
昔はね、「終始一貫」という価値観が尊ばれましたが、今はそんなことしてれば、置いて行かれるかもしれません。 結果、クルクルと変わり身の早い器用な人が多くなったのかも。 正直、今時「終始一貫しろ!」なんて説教したら、「何ばいいよっさっですか!」と言われそう。
「終始一貫」という四字熟語を調べたら、出典は『漢書・王莽伝』に「公は其の終始を包ね、一以て之を貫く」とあるそうだ(大修館「新漢和辞典」)。 「包ね」は「かね」と読むらしい。・・・儒教由来ではないところが面白い。 だが、調べると、「国家の祭祀儀礼の改革や儒教国教化の完成などの大部分は王莽が大司馬であった平帝時代(前漢の第13代皇帝:紀元前11年〜5年) に完成し、王莽の政治には儒教主義がはじめてあらわれ、これは後世の中国王朝国家の性格を規律することになった。」という説もあることを付記しておく。 であれば、この四字熟語、儒教の影響が窺えるというものだ。・・・そうであれば、矢張り儒教は人間の生き方に指針を与えるものとして有意といえるだろう。
だが、王莽は天命に基づいて禅譲を受けたとして自ら皇帝に即位、新を建国した歴史上で初めての禅譲の当事者であり簒奪者であることも付記しておく。 「終始一貫」って難しいのだよね、昔から。おそらく不可能だろう。可能だとしたら早死にしないといけない、となる。・・・危険思想かもだな。
何故難しいか考えてみた。鍵は、熱力学第2法則にある。それはエントロピー増大の法則だ。 その人の脳の中にある思想を保持するニューロンネットワークのエントロピーが増大することにあるのではないかと思われるが、 少し調べたくらいでは確認に至らなかった。誰か助けて!
若し、このエントロピー犯人説が証明されたら、人間の固定観念がばらけてくるだろう。 特に影響があるのは、宗教かも。
  1. 原動力は「約束」である
    話飛ぶけど、この世を動かす原動力は何かを考えてみた。その話をしよう。
    私は、聊かロマンティスト的傾向があるから、世の中は、善意というエンジンの下、精密機械のように回るものと思ってきた。だが、間違いだと気付いた。 理由は、善は曖昧だからだ。解釈の個人差を計るメジャーが無い。だから今、それに代わるものを模索中だ。金、名誉、地位、などは普遍性がないから違うと思う。
    今では、約束(「契約」と言ってもいい)がその役目を果たしていると思うようになっている。 約束が守られることを善と云い、守られないことを悪というのではないだろうか。 ジャン・ジャック・ルソーの社会契約論とは違うと思う。何故ならルソーのは政治学の立場で記されているからだ。 私のは、もっと単純で普遍的な解を求めている。
    人生訓としては、人間は独りでは生きられないとか、共生しないといけないとか、礼節を正せとか、信用が大事だ、武士に二言は無い、などが語られるが、その上位概念としての根本は約束だと思う。 だから、「世の中は、約束というエンジンの下、精密機械のように回る」となる。・・・約束にとって、時間は主、言葉は友、というわけだ。
    この世の中から、約束というものが失われたら、多分、地獄が現れるだろう。生きていけないと思う。 そう考えると、・・・約束エンジン説、納得していただけると思うが、どうだろう。 そうであれば宗教とは、神との約束行為と言えるかもだ。
    昔の王様は、王権神授説に拠って自らの正当性を主張した。王様と神様の契約行為であるというわけだ。 我々も自らは意識しないまでも、神の庇護下にあると信じているのではないだろうか。 消極的だが、人権神授説、と言えるだろう。
    かくて、エントロピー犯人説が証明され宗教がピンチに立ったとしても、約束については、その普遍性に鑑み終始一貫を通したいものである。
    終始一貫、王莽は終を穢すと雖も、燕雀は老いて猶一以て之を貫く
    でありたい。なお燕雀とは大衆のことである。詳しはここをクリックしてください
  2. 自分との約束:コミットメント
    以上、この世を動かす原動力は何かを考えてみたが、私がいう原動力とは何かを記しておきます。
    例えば、蟻の世界での原動力とは何だろう? それは、以前見たテレビで、蟻は、1匹の蟻が餌を発見したとすると、その蟻は、 その餌のある場所から巣のある場所までの道筋にフェロモンをマーキングをし、 他の蟻はそれに引きつけられながらその途を辿り餌に達する。そして、その蟻も巣への途々マーキングをしながら巣に戻る。 多くの蟻がそれを繰り返すからますますマーキングが濃くなり、多くの蟻が採餌活動に参加することになると報じていた。
    だから、蟻の世界では、このマーキングが原動力の一つ、と言えることになる。 我々は「約束」に突き動かされ、蟻はマーキングに突き動かされて動くとなり、知性に依るか感性に依るかの違いはあるにしても、 それに突き動かされて動くという意味では同じである。
    思えば、我々は、約束に取り囲まれているよね。国の法律、家族とか親戚とかとの仲、仕事の関係者との仲、お隣さんとの仲、 電車の中での見知らぬ他人との関係、などなどみな、暗黙か明示かの違いはあっても「約束」がある。 その約束に身をゆだねないと行動できないという意味において、約束はエンジン(起動力)である。 特に強力なのは、コミットメントと呼ぶ自分との約束だ。 そこへ心理学上の「一貫性の原理」(人間は一度決めた事をやり通そうとする心理学上の法則のこと)が働くと、強力なフェロモンとなるのである。
  3. 人が一貫性を保とうとする理由
    心理学上の「一貫性の原理」は、人の行動を動機づける強力な力を持っている。では、何故、人は一貫性を保とうとするのだろうか? その理由は、次に2つが考えられる。
    1. 社会的に一貫性の価値が高いから。一貫性のある人は、論理的であり、誠実であり、信頼でき、知的であると考えられているからだ。 一方一貫性のない人は、気まぐれで、優柔不断で、不誠実な人とみなされる。
    2. わざわざ考えなくていいから効率的だ。少ない思考で事足りるように脳が習慣化された思考回路を自動的に使おうとする。 人間は、本能的に最小作用で事を済ませる術をわきまえているようである。
      物理学ではこれを「最小作用の原理」と言うが、 この法則おそらく自然界の根本原理だと思う。この外「対称性」という原理もある。すなわち、ある特定の変換の下での、系の様相の「不変性」である。 更に、「エネルギー保存則」がある。すなわち、孤立系のエネルギーの総量は変化しないのだ。 このような自然界の根本原理から、物理現象の全てが説明可能になる、というのが物理学者の長年の夢である。
      人間の心理現象の全てが導き出せる原理は何だろう?・・・物理学者の長年の夢もさることながら、こちらの方は解けても確率的な解だけだろう。 そういう意味では、物理学とも似ていると思う。・・・だがね、我々が原理と考えているそれ等の原理も、突き詰めれば経験法則に過ぎない。 果たしてその奥には何があるのだろう?物理学者ファンマンは、「量子世界は二重構造になっている。 我々が観測できる実数の世界とその裏に直接観測できない複素数の世界が隠れている。この奇妙な複素数が電子を記述する。」と云った。 我々が感じる事ができる物理量は実数が対応する。では、複素数が対応する物理量は何?となる。 果たして我々は、観測できない世界を確認できるのだろうか。悲観的に成らざるを得ない。
  4. 「終始一貫」のソース(源)
    漢書・王莽伝由来の四字熟語「終始一貫」と心理学上の「一貫性の原理」との関係は、心理学上の「一貫性の原理」が上位で、その露出形が「終始一貫」だろう。 更に、心理学上の「一貫性の原理」の上位にあるのが、「最小作用原理」だろう。 「最小作用原理」の上位?これは誰も知らない。今まではだが。・・・多分、ミクロな世界の空間構造への理解が必要かな?ミクロな世界の空間構造とは、次元数、 連続性、などなどだ。それが解ると、その構造から最小作用の必然性が導き出される、となるはずだ。 だが、10のマイナス50乗ものミクロな世界を、どうやって認識するの?・・・多分無理、精々数式を眺めるだけに止まるだろう。 そして、その世界が実世界か虚世界か、判然としないだろう。でも、その構造理解と我々が認識できる事象が全て一致したとき、実世界と断定することになる。
    以上から、世界認識があってその露出形として物理現象があり人間心理がある、となる。人間は世界認識次第ということだ。 「終始一貫」は心理学上の「一貫性の原理」の必然の結果に過ぎない。
  5. まとめ
    以上、「原動力とは何か?」について記してきたが、それを纏めることにしよう。 出発点は、草むしりで、情けをかけるか、かけないか、二つの選択の決定過程を知りたい、ということであった。 舞台は、庭の維持管理のために行う草むしりであり、登場人物は、(a)「一貫性の原理」、(b)「原動力」、(c)「コミットメント(約束)」である。 この舞台で、この三者が演じるドラマのシナリオは、次の通りだと思う。
    (c)→(b)→(a)→(d)「効率性/社会性を評価」→(e)「行動」
    この記号式を言葉に置き換えてみよう。
    (c):自分は、自分の庭の維持管理にコミットしている。
    (b):その約束に基づき、草むしりを発想する。
    (a):ご近所への配慮、作業歴を勘案し、草むしりが起動される。
    (d):作業量を見積もり、作業能力、周辺状況、等を勘案し、作業方法を決定する。
    (e):実行 ("execute")・・・(e)は"execute"の"e"と図らずも一致した。
    「庭の維持管理」舞台では、(c)(b)(a)の主役が演技し、(d)(e)の脇役が輪舞する。輪舞とは、リピート(繰り返す)されるという意味だ。
    情けを掛けるか掛けないかは、(d)の勘案で決まる。
  6. おまけ
    おまけに音楽を貼り付けておきます。 曲は、アルゼンチン・タンゴの名曲で、戦前の昭和10年ころ流行ったポエマ(スペイン語で「詩」という意味)という曲。 餓鬼の頃聴いた曲だが、歳と共に懐かしくなり、ネットで捜してみた。 聞き覚えの盤は見つからなかったが、似たものや素敵なものが見つかったので、リンクを張っておきます。
    一つは、ディックミネの「ポエマ」です。ここをクリックしてください。 この盤は、小生が聴いたものをそっくりコピーしてディックミネがカバーしたもののようです。違いは歌詞がスペイン語だったことくらいかな。 でも、ディック・ミネのを聴くと、最後に「二人の愛をまもるよ」とあるが、そのフレーズは記憶にある。 だから、スペイン語盤のとディックのとが混在してた可能性がある。今ではもう永遠の謎だが。・・・聊か釈然としないが、死にきれないというほどではない。
    もう一つは、今回発見した女性ヴォーカルのもの。"Imperio ARGENTINA"という名前の歌手のだ。変な名前だから戸惑ったけど、美人で歌が素晴らしい。 曲は、ここをクリックしてください
    彼女は"Pettit Imperio"という名前で歌手デビューし、スペインに移住後、名前を"Imperio ARGENTINA"に変えたようだ。 詳しくはここをクリックしてください。 1910年生まれで2003年死亡とある。
    この曲を聴いて思ったが、餓鬼の頃聴いた「ポエマ」は、スペイン語ではなく、フランス語だったかも知れない。端々の音声が記憶と合わないからだ。 或いは、ドイツ語だったかもである。当時、アルゼンチンタンゴの向こうを張って欧州で流行っていたのがコンチネンタルタンゴと称していたからだ。 でも、ドイツ語は分からない。愈々桑原の出番だな。
    "Imperio ARGENTINA"のヴォーカル、いいですね。今日(5月2日)も、サイクリングの行き帰り、数十回ほども聴いたけど、上手い! ・・・力まないし、音外さないし、飽きないし、適度に喉使ってるし、小気味よいし、最高! それにしても名前が面白いよね。直訳すると「アルゼンチン帝国」だろうか。
    最後に、歌詞を記しておこう。
    Poema
    Fue un ensueno de dulce amor,  (それは愛の甘い夢でした)
    horas de dicha y de querer,  (歓びと愛のとき)
    fue el poema de ayer,  (昨日は詩でした)
    que yo sone,  (私は夢を見ました)
    de dorado color,  (黄金色の)
    vanas quimeras del corazon,  (ハートの高鳴り)
    no lograra descifrar jamas,  (解けない謎)
    nido tan fugaz,  (束の間の温床)
    fue un ensueno de amor y adoracion.  (それは愛とあこがれの夢でした)

    De aquel poema embriagador,  (その酔の詩から)
    ya nada queda entre los dos,  (何も両者の間に残りません)
    doy mi triste adios,  (私は悲しく別れます)
    sentiras la emocion,  (あなたは感じます)
    de mi dolo... (私の痛みを)
    スペイン語だけ並べられても余り役に立たないと思うので、スペイン語辞典からの直訳を括弧書きで書いておきました。無いより益しというレベルです。
    最後のフレーズ「デ・ミ・ドロー」は、餓鬼の頃の記憶にありました。だとしたら、矢張りスペイン語の盤だっただろう。
    数日前、小石川図書館に行きました。家内が、その図書館はレコードのコレクションで有名というものだから、家内と共に行ってみました。 散策を兼ねてですが、青梅からだと1日仕事でした。
    館内には、名にし負うほどのコレクションがありましたが、LP、CD,カセット、楽譜、などで、小生が関心があったSPは無いとのことで、がっかりでした。 でも、楽譜は沢山ありましたよ。普通、図書館には楽譜は無く、有っても、僅かしかありません。 特にクラシックの楽譜は、お目にかかったことが無いくらい無いのです。 ですが、ここは、いっぱいありました。 また、自然科学の書架を念のため眺めたら、有りました、「ファインマン物理学」全5巻が。 ・・・あそこは、東大も近いから、借りにくるのかな!とその充実ぶりに納得した次第です。 「ファインマン物理学」全5巻が揃っていれば、図書館としては一流と云えるでしょう。
  7. おまけ(続)
    「一貫性を保とうとする理由」のところで、一貫性のない人のことを書いた。 それで思い出したが、昔、「どうせ拾った恋だもの」という流行歌が流行って、気まぐれ男は散々な目にあったものだ。 お忘れかも知れないから、念のため、その歌聴いてみよう。ここをクリックしてください
    この曲、いい曲ですね。作曲は去る2月17日に亡くなられた船村徹です。 音楽は、消耗品のように消えて行きますが、いい曲は、時間と共に磨かれて真に傑作と呼ばれるに値するものに成長するようです。 小生も、この曲が書かれた昭和31年は、丁度高校時代、その時は余りいい曲には思えなかった。 だが、最近、船村徹の曲、聴き直してその素晴らしさが身に沁みてくるようだ。・・・いい曲の証拠だろう。もちろん作曲家の力量もであるが。
    こんな名曲が生まれるなら、気まぐれ男、即ち、一貫性を欠いた人物の存在も捨てたものではない、というものである。 若しかして、この世が善人ばかりだと多分、つまらないのではないだろうか。 人間って、このように一通りではないところが面白い。表もあれば裏もあるのが人というもの。 今昔物語ではないが、尽きることのないドラマのネタを生み出し続けることだろう。 AI社会でもである。
コメントはこちらへメールして下さい。その際、文中冒頭に「HPコメント」と記して下さい。 メールはHP管理者へメールしてください。

<コメント欄>   当欄は上記のメールをコメントとして掲示するものです。