東京見物記

2019/9/19 石井ト
私の家内は5人兄弟の末っ子だが、その5人が久し振りに東京で揃ったので、東京見物に付き合うことになりました。 9月14日から2泊3日のイベントです。
その時の印象を写真に撮ったので、良かったらご覧ください。
01
市ヶ谷駅近くにある「私学会館」に泊まったので、その10階の部屋から北側の足元を撮った写真です。
写っている濠は「新見附濠」。昔の江戸城の外堀の一つです。 その濠の右側にある橋は、「新見附橋」。更にその先にある橋は「牛込橋」というそうです。 その橋際にはJR中央線の「飯田橋駅」があります。・・・何故「牛込橋駅」ではなく「飯田橋駅」だったのでしょうね?
濠の北側を走る道は「外堀通」。濠の手前にはJR中央線の線路が走ってます。中央線は東京の中央を東西に走る幹線で、その線に展開する駅は、 その周りの交通機関のターミナル駅として発達してきました。バスや私鉄、タクシーなど、都会の交通インフラの要と言えるでしょう。 私の住む青梅は、その西端辺りにあり、都心に比べればかなり長閑です。たまに都心に出ると戸惑うばかりです。 今回のイベントっでもそれを実感しました。
 
02
観光タクシーなるものを使って観光することになりました。 「私学会館」を9時に出発し、先ず行ったのは「靖国神社」。
写っているのは「大村益次郎像」です。
この人については司馬遼太郎の「花神」を読めば解るでしょう。 一言で言えば天才。それも飛びぬけた天才だと思います。 テレビではNHKの大河ドラマ「花神」で、中村梅之助が大村益次郎役を演じました。 頭に拳大の隙間が二つ入るようなかつらをつけて演じていましたよね。それって、それだけ頭脳が巨かったという証。 彼は45歳で暗殺されますが、彼が長生きしていれば、帝国陸軍も変わっていたかも知れませんね。惜しい人でした。 それに敬意を表する意味で写真にしました。
話変わるけど、中村梅之助と言えば、NHK総合テレビ9月16日(月)夜7時半からの「ファミリーヒストリー 中村梅雀」で、 梅雀の父中村梅之助にも触れてました。 それに拠ると、梅之助の母方の祖父「山崎景則」は佐賀藩士で、戊辰戦争などで海軍軍人として活躍し、明治に入っては海軍兵学校長、 横須賀軍港司令官などを歴任したそうです。
これ聴いて吃驚しました。中村梅雀が佐賀藩士の流れだったとはね!というわけです。 佐賀藩士と歌舞伎役者、月と鼈に思えたからです。 でも、考えると、それだけ幕末から明治の頃は、人が活き活きと動いていた時代だったと言うことでしょう。 今と大差だよね。
 
03
隅田川へとやってきました。駒形橋近くからのショットです。 家内の5兄弟から4名を撮ったものです。 このショットは、兄弟の一人が「うんこビル」を観たいとのことで訪れました。成程、うんこだ! 冬なら湯気が立つかも。
 
04
「迎賓館」に入りました。以前は入れなくて外から見るだけでしたが、今はだれでも入れます。但し入園料は1500円。 高いので吃驚しました。
館内では撮影禁止ですが外では自由なので、珍しいアングルから撮ったものです。
 
05
斜めから撮った写真です。このアングルのは見たことないので撮りました。
 
06
原宿は「竹下通り」へとやってきました。
「竹下通り」は明治通りの入口からJR原宿駅前まで訳400mほどの小道です。若者が集まるところですが、行ってみました。
写っているのは明治通りからの入口です。もう少し下まで撮ればよかったけど、スマホ写真だから思い通りには撮れませんでした。 それでも、混み様は分かるでしょう。
 
07
「竹下通り」出口のショットです。原宿駅を背にして撮りました。
兎に角混んでいて中々前へ進めず往生しました。・・・年寄には面白くはないところです。ただ、雰囲気は知りたいですよね。
 
08
「竹下通り」出口を背にして撮った原宿駅です。
この駅舎は昔のままですが、見て左側では何か工事してました。
 
以上、大まかな行程での写真を撮り、4時半ころ、新宿西口で観光タクシーを降りました。 総勢8名で9時から4時半までで、4万円ほど支払いました。 丁度、東京オリンピックの選手選考を兼ねたマラソン大会が開かれていたので、銀座通りは通れなかったのが残念ではありました。 でも、便利な方法だと思います。
この後は、「日本海庄や」で飲み会となり、10時ころまでいました。家内の系統は酒豪の系統で遊び上手なのが印象に残ったイベントでした。 ここでは書かなかったが、前日の夜は銀座のカラオケバーでこれも義兄の行きつけで楽しみました。 銀座で呑むなんて生まれて初めてでした。 義兄に相場を訊いたら、銀座は1万円、佐賀は3千円とのこと。一度行きますか?・・・それともカラオケボックス?
最後に、銀座のカラオケバーで歌った曲にリンク張っておきます。マヒナスターズと松尾和子の「銀座ブルース」です。 ここをクリックして下さい
この曲は、昭和41年に発表され、その年の紅白歌合戦(17回)でマヒナが歌いました。 マヒナ晩年のヒット曲ですが、マヒナの最高傑作ではないかと思います。 理由は、大人っぽくてコミカルで色っぽくて底抜けに明るく翳りがないムードミュージックだから。 ・・・哀愁よさらばって感じだよね。浮世の憂さが微塵もないところがいい。・・・浮世は辛いことばかりではないことに暫し間浸れるのもいい。
作曲 鈴木道明、作詞 相楽 武だ。作曲の鈴木道明は西田佐知子の「女の意地」を書いた人でもある。 この曲は女の深刻な悩みを歌っているので、正反対の曲でもいける人だということが分る。 なお、彼は我々より18年先輩で、戦時中は南方で陸軍の戦闘機乗りだったそうだ。 どの戦闘機に乗っていたかは分からないが、「隼」か「飛燕」辺りだろうか?・・・経歴が面白い。
思い出したから書いておくが、この「銀座ブルース」のドーナツ盤を買ったのを思い出した。 今でもレコード盤を入れた段ボールのどこかにしまってあるはず。 昔は買うしかなかったからな〜!懐かしいよ。