母の法要に帰るの記

2019/6/26 石井ト
例年、佐賀には墓参のため年一で帰佐してますが、今年は、亡母の17回忌の年なので、身内だけの簡素な法要ということで帰佐して参りました。
不破(八期生にして従弟)も亡くなって、私的な旅行でしたが、佐賀の景色も撮ったので、ご報告させて頂きます。
良かったらご覧ください。
01
出発は6月22日(土)。梅雨入りで羽田は曇ってましたが、定刻13:15分に出発して間もなく、雲の上に出た時の写真です。 下界の鬱陶しさが嘘のような晴天です。(撮影:6月22日 13:51:54)
飛行機はボーイング737−800。定員は166名の機体でこの日は混んでてほぼ満席でした。 佐賀空港も人気が出てきたそうです。佐賀−羽田便は昔は4便でしたが今は5便だし。
 
02
本庄町飯盛の常照院にある我が家の先祖累代の墓です。(撮影:6月23日 11:23:24)
法要はこの寺の本堂でお経上げてもらうことで行います。墓掃除が10:45に始まり、お経、写真撮影などして終わったのは13:10頃でした。 参列者は身内11名で、シンプルな法事でした。
嘗てこの地、佐嘉郡与賀郷飯盛村中心部には本善寺(永享元年(1429年)、石井忠國によって建立)があったが、 付近に、大宰府守護少弐満貞の嫡男資嗣によって城が築かれ、佐嘉飯盛城と言った。
その後、石井氏は佐賀平野のさらに南部の河副郷に転封となり、当地を去ったことから、当城も廃城となり、城域にあった本善寺も衰退した。 元和元年(1615年)、佐賀藩初代藩主鍋島勝茂が、 外祖父石井常延(忠清の嫡男)の追善供養のため、本善寺を再興し、常延の法名に因んで常照院と改称し以降、 現在に至っている。詳しくは、ここをクリック下さい
 
03
身内の再会を機会に親睦を深めるため、昼食会を設けました。(撮影:6月23日 13:50:06)
場所は、亡母の実家「楊柳亭」という料亭でしました。
料理は伝統的な日本料理で美味でした。・・・口に合ってるのかも知れないが。 でも、2014年のミシュランの評価で2つ星だったから、私の口が変というわけではなさそう。
特によかったのは刺身の造り。鯛と烏賊とひらす。 鯛はこりこりした歯ざわりでいい味だった。ひらすは初めて聞く言葉だが、鯛より高級なものらしい。
亭主(私の従弟)の話では又近くミシュランの評定があるとのことだった。・・・三つ星なら行こうと思ってる。
母は昔、喫茶店をやっていたが、その頃流行っていた曲のナンバーワンが「湖畔の宿」。 妹がそれをBGMで流してくれというので、スマホに収めた音源と、それを再生するスピーカーを用意して行った。 妹に聞くと、ラジカセがあると云っていたが、ラジカセではアナログインの差し込み口があるのかないのかの確認がとれなかったので、 念のため東京からスピーカーを持参した。Bostonの20cm立方ほどの小型スピーカーだ。 これ、結構いい音だった。
流した曲は、「湖畔の宿」、「別れのブルース」、「流浪の民」、「Whispering Hope」、「Kき瞳」、「花言葉の唄」、 「上海ブルース」、「愛国の花」、「懐かしのブルース」、「純情二重奏」、「暁に祈る」など・・・出来るだけオリジナルなので流した。
母から見たら曾孫に当たる中学2年と小4の孫にはどう聴こえただろうか?・・・今は音楽の曲調が変わってきているから、 雑音だったかも知れないと思わないではない。 でも、亡き人を実感できる曲を聴かせることができたので良かったと思う。
洋楽では、ラベルの「ボレロ」、楽団の分からない「セントルイスブルース」、タンゴの定盤「コンパルシータ」、 そして「ラモナ」など記憶にあるがこれは流さなかった。「ボレロ」は長いし、他のは当時の音源が見つからなかったから。 音楽って、編曲次第でまるで印象が違ってくるから他の音源では意味がない。
それにしても思うことは、1937年リリースの「別れのブルース」、聴きなおしてなお、そのモダンさに驚いた。 八期生関係でいえば、亡くなられた桝山了子さんのお母上がお好きであった曲と、了子さんから聞いたことを思い出す。 ・・・改めてこの曲を聴いて、桝山さんのお母上の耳、流石だったと思った。
その他にも、例えば「上海ブルース」など、素晴らしいセンスの作品がある。この曲の作曲は大久保徳二郎だが、 別れのブルースを書いた服部良一もこの大久保徳二郎も、元はと言えばジャズ界の出身。モダニズムはジャズ由来だったようである。 だが、それを我がものとしてしかも作曲するというのだから、大した才能だったと思う。
兎に角、音は講釈より聴く方が一番だから聴いてみよう。 「別れのブルース」はここをクリック下さい。 「上海ブルース」はここをクリック下さい。 それから、母が好きだったと妹が言った高峰三枝子のを聴こう。「純情二重奏」だ。 ここをクリック下さい
おまけに「ラモナ」を張り付けておきます。この曲、1928年のサイレント映画の主題歌で、当時、世界的に流行した映画音楽で、 日本でも、渡辺浜子などがカバーしている。戦後ではナット・キング・コールもカバーしていて、当時私が聴いた曲に近い感じだが戦後だから、止めておく。 その代わり、曲調で一番近いドロレス・デル・リオの女声盤をとりあげることにします。 ここをクリック下さい
ドロレスの英語、少し変な発音だが、彼女はメキシコの美人女優さん。 スペイン語のネイティブスピーカーだから、英語がスペイン語にバイアスしているのだろうと思う。 だから聴き取れない歌詞は、画面下の方に「もっと見る」と小さく書いてあるから、そこを見てほしい。
 
04
法事の翌日、宿泊先の佐賀駅前東横インから撮影した駅前の写真(撮影:6月24日 08:09:12)
向こう正面にあった「西友佐賀店」は取り壊され、新たに、JA農協の施設が建設中でした。
 
05
10:35分、佐賀バスセンターから佐賀空港行に乗り、途中の小々森辺りの田園情景です。(撮影:6月24日 09:48:56)
田植え間近で、水が満々と張ってあります。
聞けば、佐賀平野は空梅雨で、北山ダムの貯水量も30%とのことで、心配しましたが、今日、6月26日のニュースで、九州地方の梅雨入りを宣言していたので、 問題なさそう。梅雨入りは平年より21日遅れたそうだ。
 
06
10:15分、佐賀空港発の全日空に乗った。(撮影:6月24日 09:48:56)
出発して10分ほど行くと進行方向の右手に阿蘇山が見えた。煙が目印になる。
飛行機はエアバスA321。この後順調に飛行をつづけ、四国辺りから雲が出てそのままずーっと雲の上、地上は見えなかった。 一寸だが居眠りしていたら、着陸のショックで目が覚めた。定刻の11:45分着だった。
以上、法事旅行の顛末でした。
思ったことは、矢張り故郷はいい。帰省法要と大野君は表現してくれたが、矢張りまさに帰省だ。 年数からいうと、もう遥かに東京の方が永いが、心の底にあるのは何時も故郷の有り様だ。 いつまでも墓を守ることを通して、先祖伝来の家風を守りたいと思う。それは公正、寛容、自立、ということ。・・・
 
07 おまけ
話別だが、昨日井の頭宅へ水遣りに行った帰り、蛇を見つけた。(撮影:6月25日 18:33:40)
井の頭宅と青梅宅の中間辺りの空堀川の側道で、何か棒のようなものが左から右に伸びて、右方向にゆったり動くのが認められたので、蛇だと気がついた。 蛇を見るのは3〜4年ぶり。暫しぼーっと眺めていたが、写真撮ることを思い出し、急いで写真機を取り出し撮影した。
その間、蛇は右へ進んで頭が隠れてしまったが、胴体が半分ほど撮れた。それがこの写真だ。
 
08
尻尾が消えたので、近づいて塀の下の側道の則面の石垣を真下方向に撮ったもの。(撮影:6月25日 18:34:12)
目測だが1m50cmもありそうな青大将だ。則面の石垣はほぼ垂直だが、石の凸凹を頼りに、そろそろと降りて行って、葦原へ消えていった。
蛇を見ると縁起がいいそうだから、何かいいことがあるかもしれない。法事のご褒美に。
だとしたら、次は6年後の23回忌だが、ミシュランの三つ星の味と出会えるかもで期待したい。