平成31年皇居一般参賀

2019/1/5 石井ト
平成最後の一般参賀、はじめは行くつもりはなかったが、平成最後か!と思うと、気が変わり、 老骨の身も顧みず行ってきました。
皇居は、江戸城の姿がそっくり残っているのが魅力だが、中は中々観る機会がないので、 一般参賀はチャンスでもあるのです。
天皇皇后両陛下をはじめ、皇太子ご一家や、宮家の方々を、直接、目視できるのも魅力です。
天皇の赤子どもの中にもまれまみれるのも、心が安らぐ感じがします。
その情景、写真に撮りました。 良かったらご覧ください。
なお、写真の右下に表示される日付は間違ってます。カメラの設定ミスで、実際は2019/1/2ですのでご注意ください。
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青梅を6時起きして都心へとやってきました。
ここは御幸通りの和田倉門交差点の角。奥には東京駅丸の内側の駅舎が見えてます。
撮影時刻は、9:40頃。
 
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皇居前広場にて手荷物検査所に入るのを待っているところです。見えている白いテントが手荷物検査所です。
ここまでで、もう3時間ほど待たされてます。かなりくたくた。 撮影時刻は、12:20頃。
 
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手荷物検査と身体検査(スキャナーでの金属探知検査)を済んで、二重橋近くまでやって来ました。
撮影時刻は、12:40ころ。
 
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やっと正門石橋を渡るところです。歩いてる方向は写真の右側向きです。
橋を渡り終えると直ぐ皇居正門です。
 
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皇居正門を潜って後を振り返って撮った写真です。皆さんが続続続くので、立ち止まって写真を撮るのも、難儀なことでした。
 
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一般参賀が行われる皇居新宮殿の手前にある「伏見櫓」を、新宮殿入口の門の手前で撮った写真です。 余り見慣れないアングルですよね。
 
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新宮殿に天皇皇后陛下はじめ皇族方がお出ましになり、天皇陛下からお言葉がありました。
皆、一斉に日の丸の小旗を振ってお言葉に応えています。
予定では、お出ましは、この日、午前に3回、午後に2回の計5回とアナウンスされてましたが、 この日のあまりにも多数の参賀者のため、午前午後とも1回づつ増やして、計7回お出ましになられたそうです。 この写真は、午前の最後のお出ましのシーンです。 撮影時刻は、13:10ころ。
 
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同じくお出ましのシーンです。
 
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お出ましは10分余で終わり、坂下門へと出てまいりました。
坂下門を出て直ぐの写真です。こうしてみると俗世間も頑張ってるなと、その頼もしさに打たれました。
左寄りの茶色のビルが「東京海上ビル」です。その奥は東京駅となります。
 
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和田倉橋の手前で、記念写真を撮りました。
大手町や丸の内界隈では、ビルの工事がアチコチ進んでいます。 写っているキリンのようなクレーンの下は、「東京銀行協会ビル」の跡地に新しいビルを建てているようだ。
 
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同じところで私も。
 
少し無駄話をかきます。
それは、皇居一般参賀への参列者が、翌日の新聞報道では、15万5千人と報じていたことに関してです。
私と家内は、行列で待ちながら、あまりに大勢の人達を見て、どれほどの人出かを推測してみた。 私は、多分10万人と予測し、家内は20万人と予測した。 結果は、15万5千人だったのだから、家内の勝ちとなった。
予測の仕方は、私の方が積み上げ式の根拠あるものだったが、家内のは単なる山勘のようであった。
因みに私の積み上げ方式を説明すると、新宮殿の広場の面積を2000坪と見当をつけ、1坪辺り10人入ると仮定した。 結果は、1回2万人であるから、5回の合計は10万人となったのである。
だが実際はお出ましが7回あったし、参賀者は合計15万5千人となったのだから、何処が違っていたかと言えば、 1坪辺りの収容人数を10人としたのが甘かったようで実際は11人だったのか、 もう一つの可能性は敷地の広さが2200坪だったか、どちらかだろう。
そんな妄想を逞しくしながら3時間近くを堪え、参賀できたことは良かったと思う。
この後、東京駅八重洲口から直ぐのそば屋で昼食をとり、日本橋まで歩いて三越へと回った。 概ね、毎年かわらぬコースをリピートしたのだった。 三越と言ったって買うのは榮太樓の福袋と泉屋の福袋程度。 あれば木村屋のあんきりも買うのだが遠に売り切れてしまっていた。 榮太樓はお袋も知っていた老舗だからそこのは母へのお土産って感じでいます。 ・・・そこまでして帰途に着きましたが、天気もよくていい新春を過ごせたと思います。