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多摩湖自転車道の萩山駅前辺りに咲く木蓮です。今年も咲いてくれました。
去年も同じ木を撮りましたが、あれからもう1年経ったのかと、時の過ぎる速さを実感します。
右の道路が多摩湖自転車道です。先へ行くと三鷹の境浄水場へ出ます。
その先には井の頭通りが繋がっていて、吉祥寺、井の頭公園に至るのです。
ここから約40分ほどです。距離にして8kmほどでしょうか。
今日は、西風が強く吹いていて楽でした。行きはよいよいですが、帰りは向かい風なので、怖いです。
因みに帰りの話をすると、井の頭を5時40分ころ出て、ここに至ったのは6時20分でした。日没は6時5分ころ。
未だ薄暮の明かりが残ってました。向かい風も思ったほどではなく、スイスイと進めました。何しろアシスト車だから楽です。
思えば日も延びたことでした。一番短かったのは冬至のころで、
日没が4時15分でしたから、約2時間近く日暮れが遅くなったことになります。
チャリに乗ってると大変ありがたいと思うのです。暗いと孤独感が湧いてきますから。
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井の頭公園の井の頭池です。前回、桜咲く写真を撮ったのが3月27日でしたから、あれから18日、もう葉っぱだらけとなってました。
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使ってるカメラがスマホカメラだから、上の写真を撮ったあと、スマホを持つ手が勝手にシャッターに触ったと見えて、思わぬ映像が撮れてました。
上の写真の数秒後の撮影です。何か意図的ではない面白みがあるのかなと思い掲載してみます。
おまけにエンヤの曲をリンクしておきます。この写真のイメージから選んでみました。
わけわからいところが似てるかな、ってところです。
ここをクリックして下さい。
エンヤの音楽、昨日、BS−TBS 夜11時から「SONGS TO SOUL:オリノコ・フロー」でエンヤをやってましたので、
丁度イメージもあうと思い、張り付けてみました。
エンヤの音楽、和音を多用してますよね。日本の音楽と圧倒的に違うのは和音の有無です。
日本音楽は基本的に単音だけで出来ていますから。
和音はあるが脇役もいいとこです。
多分、単音のメエロディーができたら、編曲で伴奏を入れるとき結果として和音が入るという順番で曲ができるのでしょう。
それに対し、ビートルズはじめ西洋音楽は、作曲のはじめから和音を考慮して創るようです。専門家ではないから想像だけど。
エンヤの音楽は、多重録音と電子操作を多用して和声を創り出してるようです。大本の音源はエンヤ一人なのに。
昨日の番組では、今までに8千万枚のアルバムを売ったそうです。
アルバム1枚から仮令ば1000円の印税が獲れたとしたら、800億円のインカムがあった勘定になります。
エンヤの偉大さを人類共通の尺度が如実に語るものでしょう。
単音の音楽と和音の音楽では、後者が圧倒的な表現力を持ってるはずですよね。だから、何故、日本では和音の役割が弱いのか興味のあるテーマとなるわけです。
多分、ハードの問題が大きいのではないかと思いますが、未だ誰もそのテーマに対し答えを出していません。
彼の中華文明も和音は発見しませんでした。どうして西洋人だけが和音を発見し使いこなしてきたか、知りたいものです。
頭蓋骨の形が違う所為かも知れないが、そも言語の持つ音階が関係してるのかも知れない。
或いは、喉の形状かも知れないし、耳の構造かも知れない。・・・解らないままなのはイラつきますよね。直し様がないから。
ついでに書くと、人間の感じ方というのは人夫々。あなたの感じたことを人も同じに感じるとは限りません。
従って、和音についてもその可能性は否定できないとなります。
問題は、複数の人間としてどのような統計的傾向を持つかとなります。
例えば、西洋人と日本人、黒人対西洋人、中国人対日本人、などです。
小生は、そのようなことを加味しても、日本人は和音に鈍感だと思う。
邦楽に和音無く、念仏にも、和太鼓にも、謡曲や民謡にも・・・和音無く、反面、単音の連なりについては極めて敏感。
その単音の微妙な変化には特別な識別能力があるのかなと感じます。例えば、喉を使って音を微妙にくねらすところ。
尺八しかり。琴、鼓、笛などなど。・・・どうして2音を重ねるという発想がなされなかったのだろう。不思議でしようがない。
単音を長く持続するだけの体力が無かった所為かも、何しろ倭と呼ばれた民族だから。
もう一つの可能性は、宗教界の音痴性。キリスト教会が西洋音楽に及ぼした影響を考えると、そう言わざるをえない。
更に、もう一つの可能性は、機械化能力の低さがある。金属加工技術と言ってもいい。建築物や刃物、農器具における器用さは、
相当なものだったが、インスツルーメンタルの製作という発想には至らなかった。
その結果とし、パイプオルガンという発想に至らなかったのかも。パイプオルガンと和音感性、どちらが卵で雛かは知らないが、
パイプオルガンを生み出せなかった文明では、仕方なかったと言わざるを得ない。
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話変わりますが、今朝、4月16日ですが、青梅宅の牡丹が開花しました。後数日、楽しませてもらえます。
だが、大変。雨に弱い花だから、明日辺りから天気予報では雨マークもちらほらしてるから、濡らさないように傘さしてやるなど、ケアが必要になります。
近所の人も関心を以てワッチしてるようなので、濡らそうものなら何言われるかわかったものではないし・・・気を遣う数日となります。
ところで、牡丹にはカイガラムシが着きます。数日前発見し、1匹づつ駆除してきました。
奇麗の裏には代償ありというわけです。
喜んで払いますがね。
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青梅宅の牡丹の切り花です。
仏壇にお供えし、今朝、新しいのと取り換えたので、下げたのをテレビの脇に飾りました。
まだ、奇麗だよね。大年増だけど。
花瓶が素敵でしょう!
「剛」と刻印があるので小生の叔父の若い時の作だと思う。お袋が無くなったとき実家から引き取りました。
中々味があると思う。手に持った感じも佳い。絵柄は、西洋の有名な画家のコピーではないかと思うが、その名を忘れてしまった。
若しかしてモンドリアンかと思ったが、ネットでしらべても確認とれてない。今度、従弟に会ったら訊いてみるつもり。
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井の頭公園の井の頭池です。撮影は4月24日。緑一色の中、池の向こうに咲くただ一つの赤。いいですね・・・つつじでしょう。
つつじは群生するより、このくらい独りなのがいい。可愛くてつましいから。
今日の井の頭公園は殆ど人なく清浄でした。つつじはそれを邪魔しないどころか、強調してるようでした。・・・孤独もいいよって。
実はね、この日は歯医者に行ったのです。抜いた後、結局、ブリッジすることになったのですが、行ったら、
先生曰く「このコロナが静まってからやりましょう。それでいいですか?」と訊かれて、小生、「いいですよ。」と二つ返事でOKしたのでした。
ちょっと噛みにくいが、コロナに罹ったら怖いし、良かったと思っています。次回は5月8日、今度こそやってもらう積りです。
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青梅宅の牡丹の様子です。
今日(4月26日)は好天で、太陽が照り付けています。昨日もでしたが、今日もです。
牡丹は日差しにも弱いから、
昨日は、日除けに引っ越し用の梱包シート1枚を掛けましたが、今朝の日差しを見て、その上に大きなゴミ袋を乗せました。
其れしか、材料が無くてね。重いと駄目だし、そんなものしか思いつかなくて。
みっともないが、永く見れたほうがいいし、横からみるのだからいいか!という感じです。応急手当ってとこです。
少しでも花の命を永くするために、気をもんでます。
牡丹咲いて 気の落ち着かぬ 爺かな
です。
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