故郷佐賀の景色

2021/11/9 石井ト
小生、久し振りに佐賀に帰った。祖母の50回忌に列するためだ。コロナ禍の中、用心して家内を家に置いて小生だけの参列だったが、 法事は11月7日で済ませ、その夜は佐賀駅の北口にある「サンシティホテル1号館」に泊まり、 翌日、ホテルのレンタサイクル(無料)で、墓参りとさがん町の周遊に出かけた。
帰りの飛行機に乗るまでに許された時間は3時間ほど。その間に朝飯を済ませ、墓参りとセンチメンタルジャーに挑戦することとなったのだ。
その際の街の様子や小中学校の門前の様子などを写真に撮ったので、良かったらご覧ください。
法事の夜一泊したホテルは、佐賀駅の北口にあるので、出かけて直ぐ撮ったのがこの写真。まだ、朝早く静かだった。
 
県庁前の写真。横にある道路が貫通道路で、右にあるのが佐賀駅に向かう通りだ。
ここは、我々が子供のころは、佐賀市役所だったところ。その跡地にNHKが新しい建屋を建てて引っ越してくるそうだ。 見慣れない景色だから分からないかも知れないが、そこに昔あった市役所があると想像すると、どのようなポイントで撮ったか分かるだろう。
久し振りの佐賀、街は随分変わっていて分からないところも多々あるが、街行く学生さんの姿は多かった。 丁度登校時刻のようだからだろうが、自転車通学でどんどん追い抜かれたものだ。
だが思うのは、学生の雰囲気が清々しいという感じがしたこと。いまいる東京に比べてとなるだろうがそう思った。 体格もしっかりしてるし凛として姿勢もいい。・・・この雰囲気で大きくなって欲しい。そうすればきっと俺みたいにXXXかも。さてXXXは何?
 
昔、農業会館があった辺りから撮った写真です。佐高正門を出て北に100mほど来たポイントです。
写っているのは、佐賀郵便局。写ってる塔は何物かは知りません。電波塔のようですね。
左端のビルは佐賀県警。
 
附属中学校正門です。わが母校とはとても思えない情景です。昔は佐賀女子師範学校でした。戦後、附属中学校が新設となり、後を襲ったもののようです。
その建屋は木造で、女性的な姿のものでした。細身で尖った屋根を持つ。 ・・・それに反し、その西側に隣接する旧制佐高の建屋は横に頬の張った屋根と頑丈な顎の男性的なイメージで対照的でした。 そこのプールには小学生の頃からお世話になったものです。勿論もぐりでですが。
 
わが母校とはとても思えない情景の中、例外的にあったのが楠です。 校庭の東北の隅にあった楠ですが、今も健在でした。この木、図画の時間に書いたことがあるので憶えていました。
 
付属小学校の正門の写真です。これもわが母校とはとても思えない情景。
付属小学校と言えば、今度の市長選挙で佐賀市長になられた坂井英隆氏は附小卒で、我々の佐高同期の坂井隆昭君の甥と云うことが分った。 今度の法要の席でも話を聞いたが、我々が学生のころの県の教育長をされてた坂井のお父上のお子で坂井隆憲氏の息とのこと。 帰宅後調べたら、ウイキペディアに載っていて確認が取れた。 肝心の坂井とは連絡がつかないのは残念だが、この席でお祝いを申し上げたい。坂井君の甥子の佐賀市長就任おめでとう。
 
12:10の佐賀空港発の全日空便に乗り、帰京しましたが、途中、富士山が見えました。これは昔と変わらぬ姿で鎮座してました。
さて、この度の故郷での50回忌法要、思ったことはこの法要が親族の絆を強めるものだということ。 故人の業績への懐古だけではなく絆を再確認する機会となったことが愉快だった。 決して一人ではないと思えたのだ。それで、浮かんだのが平原綾香のジュピターだ。ここをクリックのこと。
 
最後に、祖母の50回忌の祭壇の写真を掲げます。佐賀のお菓子の素晴らしさを書くために。
私は、鶴屋の鶴マンというお菓子をお供えしました。 このお菓子、事前に佐賀在住の妹に頼んで買い置きしていたものですが、36個買ったら品切れとなったそうです。
帰りしな土産にしようと駅構内の土産物コーナーにある鶴屋の売店できいたら日持ちしないので本店にしかないとのことでした。
帰宅後、お供えの中の1個をおすそ分けで頂いたので食べてみたところ中々のものでした。 土産に買った鶴屋の丸ボーロもしっかりした食感でした。こんな昔ながらのお菓子やがあるのも帰郷の楽しみです。
今度は何時になるか分からないが帰る励みになる。そして帰ったら、ここでお菓子を買って土産にするつもりだ。故郷へのささやかな貢献となることを願って。 言い忘れたが、八頭司のも美味い。昔羊羹がお勧めだ。
 
 
 
 

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