2022年春

2022/3/24 石井ト
皆さん今日は。今日は、朝から眩しい太陽の光が差し込み、生きる勇気を齎してくれてるように感じます。
さて、昨日、井の頭宅に掃除と鉢植えの面倒見に行きましたが、思いもよらず、忘れていた草花が顔を出しているのを見付けました。
面倒みないのに可憐な感じす。自然は凄いな〜っと感じます。
思いがけず見つけた花の写真を撮ったので良かったらご覧ください。
 
01
ヒヤシンスです。覆い被されるように生えてるのは「斑入り(ふいり)ヤブラン」です。 この植物は、個々の地味に合ってるのか凄く栄えてます。その陰からひょっこり顔を出したヒヤシンス、改めて春を感じます。
小生、秋ごろ、球根を取り出し、ナデシコに植え替えたりしたとき、掘り出した球根をアチコチに無計画にばらまいて植えましたが、 無計画なので、その後は自然の成り行き任せにしてきました。
その結果がこの花です。・・・忘れられても逞しく生きる姿に感動と自責の念に駆られたことでした。 花に関しては大雑把は駄目ですね。咲いたとき思い知らされます。
ところで今頃になって気付いたのですが、この植物、小生「班入り」と理解し、「班入りヤブラン」と呼んでましたが、 今回のこの記事のことで「班入り(はん入り)」ではなく「斑入り(ふいり)」と云うのが正しいと分かり吃驚。 思えば、昭和42年、この地に住み始めたとき、自生していたこの花を初めて目にし、その呼び名を間違って憶えたようです。 55年の歴史ある誤解でした。でも、「ふいり」って音、変だよね。当分馴れそうにない。・・・生きてる内に慣れるだろうか? 残念ながら疑問符がつく。
 
02
少しアップで撮りました。
ウイキペディアに拠ると、
ヒヤシンスの名は、ギリシャ神話の美青年ヒュアキントスに由来する。同性愛者であった彼は、 愛する医学の神アポロン(彼は両性愛者であった)と一緒に円盤投げに興じていた(古代ギリシャでは同性愛は普通に行われ、 むしろ美徳とされていた)。 しかし、その楽しそうな様子を見ていた西風の神ゼピュロス(彼もヒュアキントスを愛していた)は、やきもちを焼いて、意地悪な風を起こした。 その風によってアポロンが投げた円盤の軌道が変わり、ヒュアキントスの額を直撃してしまった。 アポロンは医学の神の力をもって懸命に治療するが、その甲斐なくヒュアキントスは大量の血を流して死んでしまった。 ヒヤシンスはこの時に流れた大量の血から生まれたとされる。このエピソードから、花言葉は「悲しみを超えた愛」となっている。
だそうです。
 
03
ラッパスイセンです。可憐な花ですね。
こんな花、何時植えたか憶えてないのにひょこっり顔を出しました。日当たりが悪いのに頑張ってます。こんなの大歓迎!
日当たりの悪いところに咲く花って凄く奇麗。日当たりのいいところに咲く花はのびのびと育って早々と散っていくが、 日当たりの悪いところのに咲く花は、皆が散ったころにひょっこりと咲いて可憐な彩を添えてくれる。 例えば水仙。メインはもう殆ど萎んでしまったが、日陰のは今が旬かのように咲いている。遅咲きの花、その控え目な風情が素晴らしい。
 
04
ナデシコです。この花は万葉花で、私の大好きな花の一つ。もう一つは桔梗。これも万葉花です。 小生の中には縄文人の血が流れているみたい。色濃くね。
手前に立ってる棒状のものは、南側を示す目印。鉢植えは置く方向がくるくる変わると、花が困るのではないかと思って立てたものです。 優しいね、無計画・大雑把が嘘みたい。若しかして緻密なのかもしれません。 ・・・なんて自慢するために撮ったアングルのものではありません。他より益しだからが正解。
左上に写ってるもやもやした赤味の見える鉢植えは「牡丹」です。もう一月ほどで咲きます。いや、咲くはずです。 何輪咲くか、昨年は一輪、小さいのが咲きました。 今年はどうかな?・・・日当たりが問題なのです。家が建て込んでるから。
 
昔、私が餓鬼の頃流行っていた「春の歌」を思い出す。聴いてみますか、ここをクリックのこと
この曲、調べたら昭和12年7月発売の国民歌謡だった。我々が生まれたのはその1年後の昭和13年だから、餓鬼の頃、身近な曲だったと思われる。 作詞は喜志邦三、作曲は内田 元。詩もいいし曲も春らしくていい。特にメロディは陽気で明るくていい。 日本歌謡の中で、野放図に明るい曲として、極めて珍しい存在ではないだろうか。それとも当時の国勢の盛んな様を反映したのかも知れない。
私がこの曲を聴いたのは戦時中の昭和17〜8年のことで、佐賀劇場であった10歳ほども年長の叔母の学芸会?のようなものの中で、 数人の女学生が花一杯のリヤカーを押しながら歌ったのがこの歌だった。その時、この曲に感激したのを憶えている。
それまでは、小生、祖母に育てられていたが、その祖母の趣味が謡曲で、流派は宝生流だった。 家で仲間と謡の会を開きその声は家中に広がり延々と聴かされたものだ。意味も分からない念仏のようなのを。 そんな中で聴くこの春の唄、変化もあって華やかでもあり、小生の耳にしみ込んだのだと思う。 それまでは、蓄音機で聴くヨーデルのような曲と、ラベルのボレロを時々聴いたものだ。だが、春の唄には生の迫力があり頭脳を揺すったのであろう。
・・・あの幼いころのことが懐かしい。何も知らないが母がいて先があったあの頃が・・・俺も歳だな、幼時還りの兆候かも。
 
 
 

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