2023年正月

2023/1/2 石井ト
佐高八期会の皆さん、附中同窓会の皆さん、明けましておめでとうございます。
今年も、元気に新春を迎えることが出来、共々のお慶びを申し上げます。 概ね、84歳の迎春でしょう。私は既にというよりとっくに84歳でした。4月10日生まれだから。
ところで新春の写真を掲げようとしましたが、奮闘努力の甲斐もなくいいのが撮れなかったので、まあまあの写真を掲げます。 後は、初詣の写真など追加しようと思ってます。撮れればですが。皆さんも送ってくだされば有難い。
 
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宅内の塀際に咲く椿です。 椿は、本来、首が落ちるように花がいきなりぽろっと落ちるので、武家社会では縁起が悪いとされました。 でも、冬の寒さの中で人知れず凛と咲く椿は、気品に満ちた美を齎します。だから採りました。
椿と言えばイタリアの作曲家ヴェルディの歌劇「La Traviata:椿姫」が浮かぶ。 だが、題名の「ラ・トラヴィアータ」の意味は「道を踏み外した女」、主人公のヴィオレッタは「すみれ」の意味とのこと。
では何故「椿姫」という題名がついたかと言えば、歌劇の原作になった小説の題が"La Dame aux camelias!"。直訳すると「椿の花の貴婦人」だったからで、 日本ではオペラの題名が「椿姫」となったようだ。「道を踏み外した女」では、日本人には馴染めなかったことだろう。
だが、原作の題名にある「椿」は、凛とした気品に満ちた美人を表す題名として相応しかったことが分かる。洋の東西を問わずにだね。 ここでも、それにあやかって椿の写真を掲げたという次第。
同じものを、イタリアンが「道を踏み外した女」で表現し、日本が「椿姫」というイタリアンとは異なる表現をしたのが面白い。多分、思考の嗜好が異なるからだろう。 その思考の差の原因を知りたいものだ。イタリアンは現実主義に慣れ親しみ、日本人は逃避的かも。問題の本質を直視しないという癖だ。何を恐れているのやら。
日本の場合、現実を直視するのと逃避するのとの相反するものに折り合いをつけるのが義理という思想。女系図のお蔦は、固い契りを義理故に水に流すという手法を使って折り合いをつけた。 江戸っ子の現実逃避法だ。かくて現実は無視された。・・・思えば、江戸っ子は狭い世界に閉じ込められ、精一杯生きなければならなかったという現実を考えると同情に値する。 だが、現実を直視しなければ発展はない。直視とは上から目線で捉えること。上から目線とはメタ視線ということ。メタとは超越したという意味の言葉。 くわしくはここをクリックのこと
上から目線と云うと、偉い人専用の目線かと思うだろうが、 そうではなく対人関係を超越した目線をいう。・・・この言葉は古代ギリシャにあるが、その視線が現代文明を築いたと言えるだろう。 我々というか東洋世界では対人目線、即ち水平視線を専らとして現代に至った。 メタに対する的確な日本語の言葉が無いことからそれは明らかで、急いで形而上(形のないもの)という言葉を作ったが一般化してない。
だがメタ視線、即ち立体視線に換えて行かなければならない。 そうしたら、歌劇「椿姫」は、「道を踏み外した女」でも、流行り続けるだろう。だが言葉的には問題なしとはしない。 ロマン(憧れ)がないから。・・・さあどうする?・・・ ここで、目線が試される。君はどちら?
 
 
 

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  • アップデート:2023/1/2  [Return]