01 |
お馴染みの多摩湖自転車道でのワンショットです。
写っているのは多摩湖自転車道ですが、木も葉を落とし大分赤や黄色が増えました。
でも、人々はそんな情景を楽しんで、そぞろそぞろにこの紅葉のトンネルを歩きます。
まるで、ファンタスティックを楽しむかのように。
|
02 |
欅の大木のアップです。
広間の賑わいと夜の静けさの対照が際立つのが秋だろう。だから寂しさも一入だ。冬は際立たない。一日中、白と黒の世界だから。
|
03 |
井の頭公園の西端の情景です。
|
04 |
11日の撮影ですが吉祥寺駅前に設置されている「ゾウのはな子」の像です。もう襟巻しています。
はな子(1947年 - 2016年5月26日)は、東京都武蔵野市の井の頭自然文化園で飼育されていたメスのアジアゾウです。
詳しくは
ここをクリックして下さい。
このはな子が飼育されていた井の頭自然文化園と言えば、昔、井上君が自分の娘(当時2〜3歳?)を連れて遊びに来たのを思い出した。
昭和48年頃のことだ。その時、私も息子(当時2歳ころ?)を連れて、一緒に文化園で象のはな子をみた記憶が思い出された。
当時、井上は張り切って輝いていた。懐かしい!
井上が逝ったのは平成25年4月のこと。もう5年半経った。早いものである。
|
05 |
写真は、11月17日の情景。
この日は秋晴れのいい天気だった。
それで、井の頭邸の梅の木をかなりの量で伐採するべく、チェーンソーを運ぶ道すがら撮った秋の情景だ。
丁度、前かごに載せて来たリョウビのチェーンソーが写っている。
この日は、樹齢60余年の梅の大木が元気ないので、一昨年来、小さくカットしてきたが、今年もカットすることにしたのだ。
本当は、切りたくないのだが、梅も寿命があるそうで、おまけにキノコも生えるてるから、やむを得ないことだと思っている。
結局、息子に手伝わせて、直径20〜30cmほどの幹を3本カットした。
その他に、防火用水の沈下設置もした。・・・これは息子二人の力が無ければ無理だった。
外注すれば楽ではあるが、息子との共同作業も有意だと思い、敢えて息子に声かけたのだ。
結果は、いい感じだった。こんなことでもないと、息子たちとは正月に会うだけの仲になるのだ。だからよかったよ。
結果の出来は、まあまあだしね。
本当は、カット後の梅の写真がほしいが、作業が終わったのが5時でもうほぼ真っ暗。
身支度して帰るのが精いっぱいで写真どころではなかった。明日、実は歯医者を予約しているので撮ってくるつもりだ。
上手いのが撮れれば掲載するつもりだ。
|
06 |
写真は、11月21日の梅の情景。
17日のカットの時は、夕方でもう暗くなっていたから、21日で直してカット後の梅を写真に収めました。
これだけではどこを切ったか分かりませんが、高さが1mほど低くなって、樹高が5m以下になりました。
|
07 |
21日の作業は、こちらがメインです。即ち、防火用水周りの石組の作業です。
21日の作業で、息子たちが概ねのセットはしてくれましたが、矢張り最後に微調整が残ります。
これが大変で、一人でやるのは骨の折れる作業でした。今日は、ここまで。これ以上やったら当分寝込みそうだから。3時で引き上げました。
また、閑を見てやります。
水面の上の方にメダカが5尾写っています。でも、もう1尾いて、全部で6尾、元気に泳いでました。・・・後は、冬越しをしてくれるのを願うだけ。
塀が低くなり、隙間もあるので、日差しも増えるので、以前より良い環境になったので、大丈夫だろうと思っています。
昨年は、金魚でしたが、2尾いたのが全滅でした。でも、金魚よりメダカが強いそうだから、期待しています。
|
08 |
11月22日17:17分撮影の吉祥寺駅北口の情景。
もう、クリスマスデコレーションが施されている。
華やかだが寂しい、冷たいが人恋しい季節の到来だ。・・・群衆の中の孤独が際立つ季節のような気もする。
吉祥寺が出たので、3日前の19日に行った歯医者の先生に聞いた話を書いておく。
その先生は、井の頭4丁目に住んでおられて、自宅の敷地の中に、診療室を設けておられる。
私はその先生の40年来の患者である。
その先生が言われたが、自分の住んで歯医者をしてるこの通りも最近外人が増えた。イギリス人夫婦が2所帯、カナダ人夫妻、中国人夫妻、オーストラリア人夫妻、などあって、
皆、一戸建てに住まいしてるそうだ。
眞に、国際通りだよね。
一昔前は、六本木のお屋敷街の自動車道を称してベンツ通りと言ったようだが、今は昔だね。もう、ベンツなんて珍しくないし。
世の中、生々流転しているよね。
今では、六本木からは15kmほども郊外の吉祥寺・井の頭辺りが、国際化してきたのだから。
青梅は、更に30kmも郊外、と言うよりド田舎だが、その内、インターナショナルになるかもだ。地価が上がるかも知れない。私が死んだころだが。・・・関係ないか!
なお、イギリスでは土地の所有は出来ないそうだ。土地は皆、女王陛下の所有するところだからだ。
近所に住むイギリス人の話で、日本で土地を所有して、喜んでいるそうだ。・・・本当なの?今時!って感じだよね。
わが国では、古来からそのような土地制度は存在しなかった。
だが、小生のか細い記憶を蘇らせたところ、そうでもないことがわかったのだ。
調べたら、次のようなことで、土地の所有権が無い歴史が刻まれていた。
班田収授法の本格的な成立は、701年の大宝律令制定による。班田収授制は、律令制の根幹をなす最重要の制度であった。
現存する養老律令によると、班田収授の手続きは次のとおりだったことが判っている。
原則は、まず、班田収授は6年に1度行われた。これを六年一班という。戸籍も同様に6年に1度作成されており、戸籍作成に併せて班田収授も実施されていた。
戸籍において、新たに受田資格を得た者に対して田が班給されるとともに、死亡者の田は収公された。
以上のことから分かることは、征服王朝と土地所有権との関連性は否定されたことになる。これが歴史的事実であり、次の推測も没である。
イギリスって、ノルマン人のブリテン征服と言う歴史が、そのような制度の源泉かもだ。
わが国は、外国に征服された歴史はないが、古代では、あったかも知れないよね。
・・・そこまで行くと有史以前の話だから、考えるだけ無駄だろう。
矢張り、人間が所有権という概念のものに気がついた後の歴史が、征服王朝の歴史を含むものでないと、歴史には記録されないのだろう。これ推測だが。
|
09 |
11月26日 多摩湖自転車道の萩山公園辺りで撮った秋の情景。
山茶花が道のりアチコチで咲いている。この時期、花が少ない季節の貴重な花である。
|
10 |
多摩湖自転車道の萩山公園辺りに散り落ちた枯葉の情景。
上も下も枯葉だらけである。
先の記述で、歴史的事実という概念のことを書いたが、その反対の概念は、体験的事実、ということだろう。
例えば、哲学者三木清は、その著書「人生論ノート」で、「死は観念である。」と書いている。
観念とは、体験的な事実ではなく頭が事実だと思ってる事実である。何故なら、自分の「死」は体験出来ない。だが、死ぬことは知っている。
それが観念ということだ。もっと解り易い言葉でいえば、「統計的事実」ということである。自分の「死」についての体験的事実は存在しない。
他人に起こった死が体験的事実、或は歴史的事実である。・・・斯くて「死」は観念であるとなる。面白いよね。・・・なんとなくだが。
|