平成30年春 続続続

H30/4/11
石井ト
昨日(4月10日)は小生の八十歳の誕生日だった。概ね日柄もよいようである。何故なら、佐賀でいえば、日峯さんの春祭りの日だからである。
昨日の関東は、概ね風強く、花粉飛びそうな日柄ではあったが、家で燻るのもよくないので、多摩湖自転車道をサイクリングし晩春の景色を狩り獲り、 HPに掲載しました。
よかったらご覧くだされば有難い。
多摩湖自転車道の「萩山駅」辺りで撮影した木蓮とチューリップです。(撮影13:20頃)
花も水仙、蝋梅、梅、河津桜、染井吉野、花桃と来て、今は、木蓮、チューリップが、そして山吹が花をつけました。牡丹もそろそろかな。
多摩湖自転車道の「花小金井駅」辺りの新緑の景色です。ほんの10日前には染井吉野がトンネルを作っていた情景が嘘のように若葉色で埋まっています。
これば牡丹です。青梅に地生えしていたものを、1年前鉢に移して井の頭宅に運んだもの。今回は、夏場の水遣りが十分ではなかったようで、 4本立ちしていたのが、2本枯れて2本立ちになってしまいましたが奇麗ですよね。風が吹くと倒れてしまうので、つっかい棒で支えています。
この花は、青梅ではあちこちで見かける花ですが、井の頭ではほとんど見ません。 だから、表通りから見えるところに移しておきました。ご近所さんへの八十歳のささやかなプレゼントのつもりで。
天気予報によると、日曜日には雨模様とのことなので、明日から土曜日までは、見れるはず。 でも、牡丹は雨に弱いから、日曜日で駄目になるでしょう。 でも、置いた日を含めて5日間は、前を通る人に、美しさをアッピールできるでしょう。
なお、青梅では牡丹は未だ咲いてません。蕾は相当膨らんでいますが、我が家では未だ。でも、咲いているのも中にはあるようです。 都心と青梅ではよく言いますが、気温差が3℃くらいあるということが、その原因でしょう。
隣家の解体現場です。塀の左側は我が家。
この工事は、2月5日に始まって4月23日までの予定で行われています。 2か月経ってやっと地面が見えてきました。
なお、今写真を撮るために立っているのは、防火用水の上に立って撮っています。 その中では、10日ほど前に入れたメダカが泳いでいます。 10尾買って今は7尾います。メダカは初めてなのですが、業者の話では、金魚より強いとのこと。 それで、メダカにしました。試験的なものです。主な目的は、ボウフラ対策です。 餌はやりません。毎日やれないからです。自活してくれるかどうかというのも試している点です。
今日(4月12日)行ってメダカの数をしらべました。メダカは、私が覗き込むと、深みに隠れてしまうし、うまく出てきても、動きが速くてなかなか数を数えられませんでしたが、 一瞬ですが10尾いたのを数えたようでした。多分大丈夫でしょう。1尾も失われてないようです。ということは、なんとか自活できてるということですから、 朗報でした。
この写真では明らかにメダカの7尾が認められます。
メダカの群をみていると、動きが素早くて、あっち行ったりこっち行ったりと予測不能なのが、バッハのピアノ曲みたいで面白い。 グレン・グールドのにリンク張っておきますので、良かったら聴いてみてください。 ここをクリックして下さい
井の頭公園の井の頭池の今日(4月12日)の姿です。もう緑だらけって感じですよね。俳句ではこのようなのを「青嵐」というそうです。
今日は4月15日、井の頭の牡丹は、一昨日の13日で萎れましったが、青梅の牡丹はこれからです。今朝撮った青梅の自宅に咲いた牡丹です。
昨夜は、明け方まで雨だったが、牡丹は雨に当たると萎れてしまうので、昨日は雨避けの作業に追われた。ブルーシートを掛けるため、 棕櫚縄で、アチコチ引っ張って、斜め状の屋根を作ったのだ。そのお陰で今朝は奇麗に開いてくれた。・・・愛情物語だよよね、まるで。
今年の春は、私の齢が七十代から八十代へ切り替わった節目の春でした。遂に八十路かと信じられないほどです。 思うに、私って老成してないよね。だからテレビ見てても付いて行けない事象が増えているのだと思う。 例えば、雑談会のようなニュース番組。初めて見る歌手の面々。変な作り声の解説が入る旅番組。深刻そうだがワンパターのドラマ。 場違いの装いで早口でまくしたてる女性キャスター。浅薄でワンパターンのミステリーもの。ねねねで逃げるスポーツ解説者。反知性的な政治家。 何年も続く同じ番組の繰り返し。スポーツ番組の喧騒と退屈。 ・・・どうやらストレスばかりが溜まっててそれをクリアする知恵のレベルに達してないようだ。頑張らなくちゃ!
かくて今年の春も終わり近くになりました。あと何回、春の景色を撮ることができるやら?神のみぞ知る命の水の残り嵩、だな。
八十路に入った心境を書いてみる。題して「八十路の宣言」。
今年も桜が咲いたのに
あっという間に
若葉が芽吹き
花から葉っぱへ
舞台が変わった
私はそれを見ていただけ
なすすべもなく
せめてもう少し
見ていたかったのに
・・・
来年を期そう
失くしたものを思はずに
暑さ寒さを乗り越えて
八十路の道を行くとしよう
仮令悪路であろうとも
ノーギブアップで頑張るぞ!
美しい花をみるためだ
と爺が宣い皆が頷いた
深く深く
・・・
神は言うだろう
健気でひたむきだと

最近よくお袋のことを思い出す
この歳になって母の苦労が分かるのだ
昔お袋に言ったことがある
あまり苦労してないと
お袋はものすごく怒った
滅多に怒らない人だったのに
今にして分かる我が浅慮である
お袋に報いたい
方法は長男ミッションにコミットすること
家と累代の墓を護るのだ
死すとも已まずである

だが死んだあとは分からない
それが解決する方法のない問題である。
思うに原因は今の相続法にある
菩提寺の制度を考慮していないから
菩提寺を維持するには檀家が要る
檀家を維持するには恒産が要る
なのに相続法は切り刻むだけ
相続法に檀家制度を加味すべきである
と思うのは私だけだろうか?
仏教界は檀家制度が崩れるのを座視せず
相続法改正を目指すべきであろう
このままでは地方では後継者が不足し
都会では恒産を欠き檀家が消え
菩提寺は無くなっていく
私はサステナブルな菩提寺制度を願っている
安心して死ねるようにするために

私は樹木葬や散骨葬には反対だ
子がいなければいいが
子が居れば墓を残す義務があると思う
我亡き後を生きる子への義務である
さすれば子は父母や祖父母や先祖に恥じない人生を生きることができるだろう
So my son will be able to live a life not to be ashamed of his parents, grandparents and ancestors.
(日本語には未来の事象を語る未来時制が存在しないので未来時制のある英文で捕逸しておいた。この英文は予測ではなく断定を述べている。 それがこの捕逸の目的であり意味である。
和文中のアンダーライン部の「〜だろう」という表現は時制を表してはいない。「希望」とか「予測」を表しているだけだ。 それに反し、英語などでは、言わんとする事柄の時間的舞台を過去のことなのか、現在のことなのか、それとも未来のことなのかを、 文章形態として峻別して表現できるようなのだ。 我々が習った限りでは、日本語には「過去」、「現在」を表す文章形態はあるが、「未来」を表す文章形態はない。 だから、日本語では、時間的舞台が未来の場合、文章形態だけでは表現できないので、 「将来は何々」とか「未来においては何々」というように、単語の助けが必要になる。・・・何故そうなのか疑問だよね。 同じ人類でも、未来形を持つ言語と持たない言語が存在するなんて・・・と思うのだ。 それは多分、日本人の生活が未来を語らねばならないほど切迫した環境下にはなかったという歴史にあるのだと思う。 恵まれていたのだろうが、グローバル化する現代に於いては、仇となる可能性もある。髪結いの亭主とか、長男の甚六とか、格言を思えば可能性を否定できないだろう。 ・・・この場合の「だろう」(太字で表している)は予測のそれで「未来」文型ではない。 「予測」なら外れも期待できるが、「未来」文型では断定するのであるから外れはない。厳しさが違うのだ!)
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