岩谷時子

石井俊雄
私は、岩谷時子という人については、加山雄三の歌曲に詩を提供した、という程度の認識で、特別な人という認識はなかった。
だが、数日前の10月5日(水)、BS朝日の「昭和偉人伝」という番組で、彼女を取り上げているのをたまたま見つけ、 途中からだが録画ボタンを押して最後まで見た。
そして、改めて大した人だったのだと感心し、真に昭和偉人伝に叶う人だと納得した。
  1. ウイキペディアから抜粋
    彼女について、ネットで調べてみたが、ウイキペディアから、その略歴の一部を抜粋する。
    1. 越路吹雪と歩んだ半生
      1916年、京城府(現在のソウル特別市)生まれ。先祖は幕末維新に「石見尊徳」と敬われた島根県大田市の篤農家・岩谷九十老。 祖父は京畿道の初代長官だったので、京城で生まれたのだが時子が生まれた日に退官した。 父親は東京高商(一橋大学)を出て貿易商社勤めで、母親は明治のモダンな女性だった。 5歳の頃に兵庫県西宮市に移住。西宮市立浜脇小学校、西宮市立安井小学校、 西宮市立西宮高等女学校(現・西宮市立西宮高等学校)を経て、神戸女学院大学部に進学。 1939年に神戸女学院大学部英文科を卒業後に、宝塚歌劇団出版部に就職。宝塚歌劇団の機関誌である『歌劇』の編集長を務めた。
      やってきた8歳下の当時タカラジェンヌで15歳の越路吹雪と出会う。 2人は意気投合し、越路の相談相手となる。越路が宝塚歌劇団を退団して歌手になりたいと相談したとき、岩谷も退職を決意。 小林一三が一人では不安だからと同行させて上京し、東宝文芸部所属になる。越路の付き人を務めた。 その後、自らが作詞家として成功しても自分の本業を聞かれるたび「越路吹雪のマネージャー」と答えていた。
      文芸部に所属。会社員として働く傍ら越路をサポートし、 越路が死亡するまでの約30年間、マネージャーとして強い信頼関係で支え続けていた。
    2. 作詞家として
      マネージャーとして活動する一方で、1952年に越路が出演していたシャンソンショー「巴里の唄」の劇中歌として 『愛の讃歌』で時子にとって自身初めてとなる訳詞・作詞をした。 以降、『愛の讃歌』をはじめとする越路が歌うシャンソンの訳詞を手がけたのをきっかけとして作詞家・訳詞家としても歩み始める。 ザ・ピーナッツ『恋のバカンス』、岸洋子『夜明けのうた』、弘田三枝子『夢見るシャンソン人形』、 沢たまき『ベッドで煙草を吸わないで』、園まり『逢いたくて逢いたくて』、加山雄三『君といつまでも』、 佐良直美『いいじゃないの幸せならば』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』など数多くのヒット曲を生み出してきた。
      一方、オリジナルの詞にとらわれず独自の解釈で詞を当てることもある。 例としては、エディット・ピアフが歌った『愛の讃歌』は元の歌詞が「愛のためなら盗みでもなんでもする」 という背徳的な内容であるのに対し、時子訳詞では一途な愛を貫くという讃歌になっている。
      モダニズム作詞家だった岩谷はヨーロッパに行ったことがなかった。ハワイに一度行ったきりだという。 「現地を体験していないからこそリアル」、というパラドクスがここにある。 しかし、それが『文学」の力だともいえる」。
  2. 「眠られぬ夜の長恨歌」
    テレビでは越路吹雪の百か日法要に綴られた「眠られぬ夜の長恨歌」が紹介されていたが、すごく印象にのこった。 ネットで紹介されているので、 リンク張っておきます。興味のある方はご覧ください。
  3. 「愛と哀しみのルフラン」より抜粋
    彼女の著作「愛と哀しみのルフラン」より抜粋です。 テレビで紹介されていましたので、抜萃します。
    作詞の仕事こそは、
    まぎれもなく宝塚という夢多い演劇と、
    音楽の土壌から生まれたもので、
    またいまもなお、華やかで虚しい芸能界から
    離れられずにいるのも、
    宝塚の甘美な思い出が、
    忘れられないためである。
    人生の一番美しい、
    ただ一度の季節に、
    宝塚とめぐりあうことができたのを、
    私はなによりも幸せに思っている。
  4. 田家 秀樹 著「歌に恋して評伝岩谷時子物語」より抜粋
    帝国ホテルに住み、作詞活動に励んだ晩年、言葉が浮かばないときは、夜中、日比谷公園を散歩してまで、 言葉を紡ぎだした彼女の心が綴られた詩だと思いますが、 テレビで紹介されていましたので、抜萃します。
    一行でも二行でも、もっと良い
    言葉に直せないかと思って
    毎日過ごしているわけですから、
    辛くても好きなことをしているわけで、
    やりたいことが出来る人間は
    幸せですよ。
    恋して泣くより全然良い。
    最後の「恋して泣くより全然良い」というところ、パンチが効いてますよね。 恋して泣かないのと比べても全然良かったのではないだろうか。
  5. 彼女の作品を聴こう
    彼女は、歌謡曲の作詞、訳詞、作詞(合唱曲、校歌)、著作、翻訳、などに活躍しているが、私がなんと言っても感心するのは、 言葉の豊かさ、自然さ、に感じるからだ。
    多くの作品の中から、「愛の讃歌」「旅人よ」「サン・トワ・マミー」にリンクを張っておく。
    越路吹雪って声はよくないよね。どう聴いたって、うっとりするような声ではない。 我が同期の枡山さんの方が、肉厚でシャンソン向きの声だと思う。 だけど、声は力強いし、歌唱力はある、と思う。 野球のピッチャーで言えば、球速は大したことないが配球力でカバーというところかな。
    そこへ行くと、加山雄三は声がいい。声帯がいいということだ。生まれながらの良い声の持ち主だと思う。 餓鬼の頃、肉食で育ったのかな、という感じだ。 歌唱力も良い。 作曲もしたのだから、その方の才能もある。 その才能が、一番発揮された曲がこの「旅人よ」だと思う。 途中で、変調するところなど、心憎いほど素晴らしい。 そのメロディに岩谷時子の歌詞がぴったし嵌って素敵な曲となっている。
    「旅人よ」の一番の中の次のフレーズが特に良い。
    ・・・
    お聞きはるかな 空に鐘が鳴る
    遠いふるさとにいる 母の歌に似て
    やがて冬が冷たい 雪を運ぶだろう
    ・・・
    「旅人よ」の二番では次のフレーズが特に良い。
    ・・・
    ごらんはるかな 空を鳥がゆく
    遠いふるさとに聞く 雲の歌に似て
    やがて深いしじまが 星を飾るだろう
    ・・・
    こんなフレーズをスーット紡ぎ出せるのが天与の才というものだろう。
    岩谷のルーツは島根県大田市の篤農家。島根県の出身者にはインテリジェントな気品がある。 不昧流茶道の影響だろうか。著名人では、森鴎外、錦織圭、竹内まりや、などが浮かぶ。
 
 
 
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