八月の川柳連歌
八月の川柳連歌、次のようになりました。
なお、「*」は、発句に複数の後句が付いて場合を表しています。記載の順序は投句の到着順です。
また、「#」は、575に対する形式的な調整の提案を表しています。
77が先の場合は、77を先に書き、後句の575は、後に書くこととします。
なお、括弧書きは短い解説文です。
八月は せんべい布団に 網戸で寝(石井ト)
新盆の 空家に残る 夏木立(石井ト)
留守を守るや蝉しぐれ (石井浩四郎)
この年の 思いがけずは 幾度ぞ(石井ト)
どの店も夏物セール秋隣 (亀川さん)
ふりそうでふらない罪な驟雨かな(石井ト)
(昭和20年8月5日:前橋市も空襲で7-8割焼失、犠牲者数500人以上)(8月5日―6日)
敵機だ逃げろ 思わず放棄 救急箱* (さがん)
逃げ惑う 振り返る目に 紅蓮の炎*2 (さがん)
どっち行く 運命分けた 右左(みぎひだり)*3
地下室で 耳に焼きつく 焼夷弾*4 (さがん)
焼け跡の 無残に黒こげ 蝉哀し*5 (さがん)
一夜明け 校庭変じ 安置所に*6 (さがん)
(8月15日)
玉音の 意味も分からず 立ちつくす*7 (さがん)
(昭和20−21年)
晩ご飯 重湯の中に いもの茎 (さがん)
天高く 赤城を仰いで いなご捕り (さがん)
(食糧難が続き、21年6月に佐賀神埼親戚を頼り転居)
あんたがた どっから来んさった? 童問う*8 (さがん)
(昭和22年、佐賀市に転居)
誰のもの? 写真の我は 戦闘帽*9 (さがん)
70年前には道に茶まんじゅう (石井ト)
甲子園 終われば秋も すぐそこに (さがん)
雨戸閉じ あれ松虫が 鳴いている (石井ト)
(昭和21年、前橋から神埼仁比山の親戚農家を頼って移転)
間借りする 肩身の狭さ いかばかり*10(さがん)
目が覚めて 今朝も腹痛(はらいた)ずる休み*11 (さがん)
(とは言え、当時の田畑や山川は、まさに”国破れて山河あり”、戦争で人手不足、自然は手つかずのまま。
子供にとっては、至るところ遊びのパラダイス。生き物も多彩、呼び名方言も豊富。田園生活は楽しかった。)
ふるさとは ”朧月夜”が よく似合う*12 (さがん)
方言増えた くちなわ・びっき ひゅうたんご*13 (さがん)
日が沈み 田植えも過ぎて 蛍狩り*14 (さがん)
初体験 スカンポ・桑の実 ぐみの味*15 (さがん)
気息奄々 木炭バスが 今日も行く*16 (さがん)
(田舎暮らしの日常は、町の生活テンポとは異なったが貴重な体験。その後の成長過程に影響大。)
農繁期 子供も鶏(とり)も 放し飼い (さがん)
風呂の日は つるべ落として 五右衛門に*17 (さがん)
目に沁みる かまど火おこし 火吹き竹*18 (さがん)
おできには 火箸で膏薬 延ばし貼り*19 (さがん)
虚しくも 孫に連敗 秋を知る*20 (石井ト)
コメント
(*)空襲で家から逃げ出す時の、私の担当は救急箱携行
(*2)我が住まい
(*3)(家から飛び出し逃げる道の先が丁字路で、左に行けば田園地帯、右を取れば市街地だが鉄筋の校舎。
出くわした人々の間で交わした会話。結果田園方面に犠牲者が出た)
(*4)逃げ込んだ校舎の地下室で聞く投下音・振動
(*5)一番の関心事は、前日捕まえた蝉の安否だったが
(*6)夏休みの校庭の片隅が、空襲による焼死体の仮置き場となった
(*7)誰も声を発せず、蝉の声のみ
(*8)神埼駅を降り、初めて聞いた方言は忘れられない
(*9)転校直後の校庭でのクラス写真:戦後の色強し
(*10)農家の屋根裏部屋に家族6人転がりこんだ一年、今想う、両親それぞれの心労、受け容れ側の複雑な気遣い
(*11)記憶にはないが、親父によると、仁比山に転校して暫くはよく登校拒否したようだ
(*12)母の生まれ故郷でもある仁比山は、まさに唱歌そのまま
(*13)ナマズの幼魚、その形状が瓢箪に似ている
(*14)蚊帳の中でしばし愉しんで叱られた。蚊帳の匂いが忘れられない
(*15)柿、スイカ、まくわ瓜など 人の目を盗んで食した
(*16)馬力不足で余りスピードは出なかった。木炭バス頑張れ―!
(*17)料理・飲み水も風呂も全てつるべ汲み上げの井戸水
(*18)家の風通しは良かったが、温度管理は自然体
(*19)当時、栄養不足のせいかおでき・いぼの類が年中。膏薬には世話になった
(*20)力戦虚しく、トランプで孫に負けたのが神経衰弱です。あれは記憶力がモロに出るから深刻。