十月の川柳連歌

HP管理者
さて、十月も、先月同様、川柳連歌にトライしました。
その内容を、標記の題名にて掲載します。 良かったら、ご覧ください。 そして、今後、投句などしてくだされば、有難いです。
  1. 十月の川柳連歌
    十月の川柳連歌、次のようになりました。
    なお、「*」は、発句に複数の後句が付いて場合を表しています。記載の順序は投句の到着順です。
    また、「#」は、575に対する形式的な調整の提案を表しています。
    77が先の場合は、77を先に書き、後句の575は、後に書くこととします。
    コメント欄には短い解説文を付けました。
    月めくり 残り三枚の 命かな (石井ト)
    また次に来る12枚にも期待して (石井浩四郎)
    来年の 予定ぽつぽつ 鬼笑う (西本俊子)
    長くもがなと 思ひけるかな (石井ト)
    傘寿まで あと三枚の 年めくり (さがん)
    5枚めくれば 東京五輪 (さがん)
    三枚目 卒業したら 残る二枚目 (石井ト)
    店先に 柿栗ぶどう 目移りし (北島栄子)
    つい爆買の 大和撫子 (石井ト)
    徹底的に 妻に内緒の 掃除かな (石井ト)
    (思いつくままにーU、V)
    鮒釣りを教えし父は辛抱が大事と、動かぬウキをじっとみつめる (野中進 )
    所謂はなんと読むのか訊くわれに、即座に答えし母は高小卒 (野中進 )
    嘉瀬川が決壊したとき家は床下浸水、兄と二人で現場を見にゆく (野中進 )
    今は亡き友と二人で甲羅干した川上川のせせらぎ今は懐かし (野中進 )
    レンボイ01に前夕仕掛けたテンチクバリ02、暴れる雷魚に心オドレリ (野中進 )
    職員の子は無試験と言われても貧しさ故に行くとは言えない附属中学 (野中進)
    飼っていためんどりの卵をかすめ取り、たなごころのうえの微かな温もり (野中進)
    卵かけご飯の半分をわれに与えて我が父は兄を見やりて微かに微笑む03 (野中進 )
    (思いつくままにーW)
    女生徒と手を繋がされ並び歩き、鑑賞せし映画は鐘の鳴る丘 (野中進)
    父が吹く尺八の音はうるさけれど、今となっては懐かしきかな (野中進)
    遥か昔母と厘外の渡し越え野道をゆかば、赤いアケビの梢に残る04 (野中進)
    かえる鳴く田んぼのあぜ道たどりつつ、一家で行った平松温泉05 (野中進)
    裏庭の小川のせせらぎせき止めて、鮒やドンポを手掴みにする06 (野中進)
    幼き頃父に連れられ見し映画、画面はずーっと雨が降っていた07 (野中進)
    100メートル水泳リレーに優勝し、もらった褒美はアイスキャンディー08 (野中進)
    通学の多布施の川の土手に残りいた、一本松も今は消えたり (野中進)
    父が昔青年団で植えたと聞く、貫通道路の銀杏並木は今が酣か (野中進)
    夏休み虫かごに溢れるセミトンボ、ニガシンシャイと母は叱れり (野中進)
    (返歌)
    「どんぽ」ですか、覚えとっさい、なつかしか! (石井ト)
    ( 野中さんの「思いつくままに」私の思い出にダブル。遅れ馳せながら)
    老鶏は 務めを終えて 鳥鍋へ09 (さがん)
    置きバリの 釣果はウナギ ナマズなど 10(さがん)
    大水の 田んぼに潜む 魚捕り11 (さがん)
    (思いつくままにーX)
    大学のラグビーの試合観戦し、その激しさに圧倒される (野中進)
    佐賀北の満塁弾に興奮す、佐賀商と奇しくも同じ8月22日12 (野中進)
    いもうとと電話で話す会話には、佐賀弁混じりでことばにまごつく (野中進)
    (思いつくままにーY)
    わが父は病弱故に丙種合格、兵役免除で一家離散をまぬかる13 (野中進)
    広場に集合竹槍訓練したものの、新型爆弾2発で降参14 (野中進)
    敗戦をラヂオで聞いた父は、まだ防空班長と言い争っており15 (野中進)
    昨日まで鬼畜米英と叫びし班長は、今日から自由の国と宣もうており (野中進)
    大学受験に失敗せしわれに、ほっとしたと母はため息16 (野中進)
    音読みで出席を取る国語教師、ヤチュウシンとはわれのことなり (野中進)
    アヒルではありません、アビルですと先生に抗議せし阿比留君は今何処 (野中進)
    模型の家お前のはゆがんでいると教師笑い、我に工業高校の兄はいなくて17 (野中進)
    大会で手造りの模型飛行機飛ばせるも、3分20秒でお掘りに墜落18 (野中進)
    冬枯れのエゴの葦原かすみ網かけて葦きり捕まえにけり19 (野中進)
    今一度食べたいものは思い出す、ザルいっぱいに盛られていたシャッパ (野中進)
    売りにきしバケツの中のムツゴロウ、観念したか瞼閉じおり20 (野中進)
    上京しからかわれたる佐賀弁の、シェンシェー、シェンパイ、シェンの利休21 (野中進)
    (衣替え)
    衣替え 古着仕立てと いうつもり(石井ト)
    衣替え 馬子にも衣装と 言われたい (さがん)
    縋る思いで 通うユニクロ(石井ト)
    五郎丸 世界のスター さがんもん (さがん)
    (思いつくままに−Z)
    進駐の米兵ガムを撒きながら、砂ぼこりをあげてジープで立ち去る (野中進)
    早朝に我らがゾーキン掛けした廊下、進駐米兵土足で踏み込む (野中進)
    配給のズック当たりて嬉しきも、靴底二つに割れて悔しき22 (野中進)
    手作りのミットとグローブ木のバット、外野はみんな素手で守りぬ23 (野中進)
    登校も縦一列に整列し右向け右で、奉安殿に向かい東方遥拝す24 (野中進)
    白いおにぎり食べてから死にたいと、老婆が祈る防空壕の中で25 (野中進)
    母の目に入りし煤煙ハンカチで、父が拭っていた唐津の駅で26 (野中進)
    (ユニクロ考)
    ユニクロは 専ら部屋着で ご愛用27 (さがん)
    (定期検診)
    定検は 失せし臓腑の 確認日28 (さがん)
    (思いつくままにー[)
    十五ノーテからチヤノキデーをへて通学し、口ずさみし歌は東京ラプソディー29 (野中しん)
    予備校の授業をさぼってみた映画、村岡君は夭折したと聞く30 (野中しん)
    舞鶴の桟橋に立ち帰らぬ父を待つ、親子のその後知る由もなし31 (野中しん)
    (枯葉)
    秋には ブルースロックに 乗る枯葉32 (石井ト)
    「枯れ葉」聴く いつしか今年も この季節 (さがん)
    シャンソンよ あのときめきが 蘇る33 (さがん)
    (思いつくままにー\)
    改造の兵隊背のうランドセル、走れば背中でパタパタと鳴る34 (野中しん)
    終戦後教師の教え激変し、受ける生徒も戸惑い隠せず35 (野中しん)
    ケンカをし脳しんとうで養護室へ翌朝教師は校門で我が登校を待つ36 (野中しん)
    米兵が進駐した時、教科書の戦争用語を墨で塗り潰せと37 (野中しん)
    在校生総代で送辞を読めと言われしも、その殆どが教師の草稿38 (野中しん)
    (中秋10月の終わり)
    中秋と 別れ話か 虫の声 (石井ト)
    (スタッフ細胞)
    ひと時の 夢に酔いしれ 秋哀し
    スタッフ細胞 ついに往ぬめり (さがん)
  2. コメント
    (01)レンコン堀
    (02)短い竹竿に糸と針の先に餌ををつけた
    (03)兄はじんましんで卵は食せず
    (04)市の境の高橋に出てバスで佐賀市に行くほうが便利だった
    (05)それは西与賀村の高伝寺の近くにあった
    (06)この小川で泳ぎを覚えたが、ドンポのこと皆さんご存知だろうか
    (07)確かチャンバラ映画であったようだが今は記憶にない
    (08)学校帰りに学外で、たまたま先生に遭遇し、うまかった記憶が蘇る25メートルを4人で泳ぐクラス別対抗リレー
    (09)鶏の血抜き・羽抜き、さばき方など仁比山で学んだ
    (10)餌はドジョウの切り身などで、釣果?は肉食魚、ライギョなども
    (11)大水が退いた田んぼには、大物がいて夜寝ている獲物を捕った。”よぼい”と云っていた
    (12)佐高とは兄弟高とはいえ、まるで身内のような感覚で奇跡に興奮したものである
    (13)非国民扱いされたこともあるが、おかげで一家は救われました。将に人生塞翁が馬ですね
    (14)最初は原子爆弾とは知らず、新型爆弾と聞いていた
    (15)防空班長は日本は神国であり、負けるはずがないと怒鳴っていた
    (16)兄が大学3年、父は入院、下に3人弟妹がおり兄が卒業するまで1年待てと慰められた。来年は絶対受かる通学できるところへ行けと言われた
    (17)友はほとんど工業高校の兄が手伝っており友は金賞、我は選外
    (18)成章中学の運動場の北側に大きい溜池があった
    (19)エゴとは家の前を流れる多布施川の支流でたぶん江湖のことであろうと推測している。捕るまでが楽しみで、ヨシキリを食べた記憶はない
    (20)昔は魚屋が町に売りに来たが、今では直接料理屋へ行くと聞く。魚類で瞼を持つのはムツゴロウだけらしい
    (21)会社の近くに「紫水」という寿司屋があったが、どう聞いてもススイノオシシと聞こえるといって反論したが、多勢に無勢で判定負け
    (22)当時ゴムの成分少なく不良品で、舗装されていない砂利道を走るとすぐに壊れた
    (23)親達が縫ってくれたグローブとミットは、間もなく破けて綿が飛び出した。バットも木をけずった手製で、ボールも打つうちにしばしば砕け散った
    (24)漢字もこれで良いのか自信が無い。それも約3カ月で終戦に奉安殿の北側に鍋島藩が作った反射炉があった
    (25)老婆はいつもなんまいだート呪文を唱えていたがその方が怖かった
    (26)初めて一家で海水浴に行ったが、当時まだ汽車で8月の熱いさ中窓を開けると煤煙が入ってきて目に入る。海水浴の事は思い出せないがどう云うわけかこの情景だけは眼に焼き付いている
    (27)外出するには、どうも他人の目が気になる、何故だろう
    (28)失った臓腑の分だけ身軽になり、それが現在の健康保持に役だっている? 勿論失った臓器への哀惜は変わりない
    (29)ノーテはなわてと理解できたが、デェーは土手であることは分かったが、チヤノキは未だに不明である。誰かご存じであれば教えて下さい。藤山一郎が佐賀市の公会堂で公演するのを見に行った記憶がある
    (HP管理者加記)
    歌中の「東京ラプソディー」はここをクリック してください。
    このレコード、録音が昭和11年だから、我々がまだ生まれてないときのもの。
    初めて聴く音源です。特に、口笛の間奏部分、記憶にありません。 多分、もう一枚、78回転の音盤があるのではないだろうか。多分戦後版のが。
    (30)語るに足る友でありしが、やはり善人は若死にするか。合掌
    (31)去る10月17日の朝日新聞に掲載の写真を見て読める
    (32)「枯葉」というシャンソンがあるが、そのジャズアレンジの曲を発見した。
    エリック・クラプトンというギタリストのものです。
    この人70歳、薬物依存症や離婚などで波乱万丈な人だけど、音楽的にはとても素晴らしいと思う。
    よければエリック・クラプトンの「枯葉」、 聴いてみて欲しい。
    「枯葉」の中で最高だと思いませんか!
    特に、後半のエレキギターとオーケストラのコラボが素晴らしい。まるで、エレキギター協奏曲だ。
    (33)秋は物想う季節、若き日のあの感傷が懐かしい
    (HP管理者加記)
    確かに、若いころ、シャンソン流行ってました。
    「愛の讃歌」とか、「枯葉」、「聞かせてよ愛の言葉を」、などが浮かびます。
    最近では、スタジオ・ジブリの「紅の豚」で、加藤登紀子の歌う「さくらんぼの実る頃」が挿入歌として歌われ、素敵でした。
    この曲、一番馴染みは、コラ・ボケールではないかと思う。
    彼女は、1918年生まれ、我々より1世代早い年代のひと。今、聴くと、昔、聴いた歌声だと気づくでしょう。
    曲は1866年に書かれたというから、結構古い曲ですが、旧さは感じさせません。現役です。 我が国でいえば、小唄の「梅は咲いたか」が作られたころでしょうか。
    歌詞はタイトルの通りサクランボの実る頃の儚い恋と失恋の悲しみを歌った曲だそうです。
    桑原君もきっと聴いたことでしょう。
    コラ・ボケールの「さくらんぼの実る頃」、聴いてみましょう。
    このバージョンが「紅の豚」での挿入歌の下敷きだと思います。
    いかにも、我々が思うシャンソンらしいシャンソンだから。
    わけの分からないフランス語だし・・・。
    (34)2年生の頃と思うが、僕のあだ名はパタパタ君であった。素敵なランドセル背負っている今の子どもの新入生が羨ましい
    (35)戦後の教育として“日新会”なるものが出来、その歌が今でも脳裏に焼き付いている。♪生まれ変わった平和な日本、強く育てる我が務めー,サーサ行こうよ手を取り合って日新かーいの私だ僕だー。こんな歌が今でも時々浮かんでくる
    (36)5年生の時生意気だと言って6年生にケンカを売られ奮戦したが、壁に頭を打ちつけられた。翌朝私が登校してくるか教師は余ほど心配だったらしい。今ならいじめで大騒ぎとなるところで有ろうが、当時は何んという事もなかったように思う。親は今度は勝って来いと
    (37)例えば、弁慶が薙刀を持って・・・の場合、弁慶と薙刀を墨で消した。日に翳すと透けて見えると言って松脂を塗り込み漢字を塗り潰した。当時余りまともな勉強はせず、マンガ“のらくろ”ばかり読んでいた
    (38)他の教師及び父兄から大変良かったと褒められたが5年生の自分はどう表現したものか皆目分からず、先生が書いた草稿をただ棒読みしただけであった。その恩師は自分が必死に生きていた頃、若くして亡くなられたと風の便りに聞いた。返す返すも残念でならない・・・合掌
  3. 十一月の発句
    十一月の発句は、
    物置から 湯たんぽ出した 爺かな (石井ト)
    です。
    今日から11月、秋本番、寝間の寒さが身に沁みる季節です。だからいろいろ対策しなくちゃなりません。 それを発句にしてみました。
    皆さん、後句を付けるなどよろしくお願いします。
    この季節、音楽が身にしむ季節でもあります。秋の歌で私が思い出すのは、 「湖畔の乙女」という流行歌
    ・・・聴けばいい曲でしょ!
    昭和18年に作られました。戦時中ですが、こんな曲もあったのですね。
    出だしの「落ち葉散る散る山間の、遠い静かな湖恋し・・・」というのが秋らしい。 この季節になると必ず浮かんできます。 ・・・今年も浮かびましたよ。やれやれ、まだ呆けてないようです。
皆さん、575や77、お寄せください。
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