唐豆食べて 遠い昔を 思い出し (石井ト)
(家内が鞘入りの唐豆を買ってきたので、今朝、久振りに食べてみた。戦後73年だが、当時の食糧難の時代を思い出してしまった。
私の記憶では、唐豆は小豆の代用食品的扱いだったと思う。小豆餡は珍重され、唐豆の餡は下等と見なされた記憶である。
今でも、唐豆を噛むと、その記憶が昨日のことのように蘇ってきて、食いたくないな!という気持ちが沸き上がった。
今でも好んで食べようとは思わない。でも、栄養面からは食すべしという。鉄分の補給にはよさそうだから。
10日ほど前のNHKの「試して合点」では、鉄分が失われると貧血・疲労・倦怠となると言っていた。
何故なら、人体は、全身の細胞に酸素を供給する方法として、血液中のヘモグロビンの鉄分子に酸素を担わせて、酸素を供給する仕掛けだから、
鉄分不足は、細胞レベルで酸欠となり元気がなくなるわけである。
面白いのは、倦怠感を精神力の問題として解決しようとし、治らないことからうつ病などと誤解する可能性を秘めてること。
矢張り、人体とは細胞などのミクロな要素から成る構造体であることに思いをはすべきだと思う。
ハードウエアが機能してこそのソフトウエアである。人体とはハード、ソフト、ネットワークの総合体である。
鬱とはソフトだけ、即ち脳神経系だけの問題ではないのであろう。
参考までに、鉄分の含有量を書いた記事にリンク張っておく。
ここをクリックだ。
そら豆(唐豆のこと)は90位に出ている。)