- 8月4日(八月の発句)
主なき 売り家に凛と 桔梗花 (石井ト)
(私の家の隣家に今朝幟が立った。西武住販のだ。この家の主は独り暮らしの花好きの婆様で、狭い庭ながら奇麗に整備された花壇を長く維持されていたが、
1年ほど前、施設に入られたと聞いている。だが、家にも終わりの時がきたようだ。・・・見たら、奇麗な桔梗が数輪咲いている。
桔梗の花言葉は気品。主なしとてその人柄の余韻を残して今もある。人間誰にでも訪れる夕暮れである。)
- 8月11日
うこん紫赤染も百ででき (江戸川柳より)
(息子が高校で使っていた「評解小倉百人一首」にこの江戸川柳が載っていた。いいできなので転載することにしました。
「うこん」は「右近」。「忘らるる 身をば思はず ちかいてし 人の命の 惜しくもあるかな」の「うこん」です。
「紫」はご存じ紫式部、「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」の「紫」。
「赤染」は「赤染衛門」。「やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月をみしかな」の「赤染」。
となると、当然「百」は「小倉百人一首」の「百」ですよね。
江戸時代は「小倉百人一首」が庶民レベルに普及し、半ば、常識化していたようです。
確かに、うこん紫赤染も百人一首では(和歌が)出来てますよね。
余談ながら、最初の「右近」のはストレッシブルだね。「紫式部」のは一番いい。のびやかでおおらか、だから。
「赤染衛門」のは聊か、恨み節的なのが気にかかる。
紫式部って、和歌はイマイチの評価だけど、この和歌は秀逸だね。見飽きない名画を見るの感あり、というところだろう。選者の定家の感性が偲ばれるというものだ。)
- 8月12日
我が友(同期生)に 女医さんいない わけ合点! (石井 ト)
(東京医大の入学試験での男女差別、吃驚しました。普通、大学と名が付けば、知性的かつ道義的と思うけど、やってることは、その反対の自学第一主義だ。)
- 8月16日
発作後の 祝杯NG 意味あるの? (さがん)
(80まで生き延びた、よしとするか)
- 8月17日
敗戦記念日。戦争(時代)体験者として深い反省に基づいた天皇の揺るがぬ平和祈念にあらためて感じ入る。
平和希求 ぶれない“お言葉” 平成晩年 (さがん)
(戦争体験を多少なりとも共有するものとして・・・)
敗戦記念日から73年、あの頃は7歳の餓鬼だった。
今はもう 海千山千の 爺様さ (石井ト)
- 8月21日
娑婆気や 昔収集 今放出 (石井ト)
(今昔を総括すれば、昔は、お金でも品物でも知識でも、集めることに執心したものだが、今、八十路に在っては、むしろ、放出に執心している。終活だ。
その際、お金は貯まってないから楽。品物は多いから大変。知識は放っとけばいい。)
- 8月23日
呆けテストに 使えそうだよ 督促状 (石井ト)
(小生、税金とか保険料とかの納付には銀行振込を使っている。自動引落としは、手続きが面倒なのと、ショートしないように心がけることが面倒なのと、
便利過ぎてとられた自覚が無くなるかも知れないとの恐れなどで使っていない。
従来はそれで、無事済んできたが、今年は、既に3通の督促状をゲットしてしまった。思ったことは、これ、呆け度を計るのに使えそうだということ。
矢張り呆けつつあるようだ。胡桃パンでも食べてみよう・・・。ささやかな抵抗だ。)
- 8月26日
認知症 誰もが歩む 迷い道 (さがん)
(いろいろテストを経験し、大丈夫とのお墨付きを得たつもりだが)