花見、お台場から船に乗って(続続)

石井俊雄
終着駅に着く直前、右舷方向に、アサヒビールの建物(向かって右)と、その隣に「東京スカイツリー」、 更にその左にあるガラス窓のが「墨田区役所」のビルです。
アサフビールの泡の広告塔も有名だし、「東京スカイツリー」も有名。 その左の「墨田区役所」のビルも総ガラス窓で有名だそうです。
これだけ揃えば、浅草のイメージ、変わっちゃいますよね。
下船する直前に撮りました。記念撮影のつもりです。
陸に上がって直ぐ撮りました。
ここは、桜の名所、墨田公園です。 この後ずーっと隅田川沿いの上流に向かって言問橋、更に上流の桜橋辺りまで続いています。 今日は、金曜日なので、隙間もありましたが、土・日なら無いでしょう。
隅田公園の桜の木に猫が登っていました。
猫好きだから思わずパチリ。
浅草乗船場で下りの客を乗せた「HIMIKO」号が、台場へ向けて出発していきます。
この後、Uターンして川下へと向かいました。
桜の木の下に立つ仲間たち。
皆、若くなったみたいに見えます。矢張り、来てよかった。
この場に来て花をみていると、 滝廉太郎の「花」が浮かびます。 それを聴いてみましょう。
同じく集合写真です。背景に桜と「東京スカイツリー」を入れてみました。
言問橋の袂で撮りました。
言問橋上で撮りました。
長命寺桜餅の店「山本や」です。結構並んでいるでしょう。
帰宅後、土産に買った桜餅、食したら結構な味でした。
その中に、店主の白し書きが入ってました。 少しだけ紹介します。
当店の創業者山本新六が享保二年(1717年)に土手の桜の葉を樽の中に塩漬けにして試みに 桜もちというものを考案し、向島の名跡長命寺の門前にて売り始めました。
その頃より桜の名所でありました隅田堤は花見時には多くの人々が集い、桜もちが大いに喜ばれました。 ・・・
記録によりますと、文政七年(1824年)には、一年間の桜の葉の漬け込みが三十一樽、 葉の数にして約七七万五千枚、葉二枚で持ち一ヶを包みますから、三十八万五千個の桜もちが江戸及び、 周辺の人々に賞味されたことになります。
また、「江戸名物誌」という古本には、次のような狂詩が載っております。
幟高長命寺辺家
下戸争買三月頃
此間業平吾妻遊
不吟都鳥吟桜餅
幟は高し長命寺辺の家
下戸争い買む三月の頃
此の間業平卿吾妻に遊べば
都鳥とは吟ぜず桜餅と吟ずべし
漢文で書かれた最初の詩を原詩と呼び、それを日本語に訳したものを訳詩と呼ぶとしよう。 そうすると、この両者を比較して気がつくことは、 訳詩の方には、”てにをは”があるが、原詩の方には無いように見える。 ということ。
そして、次なる疑問は、漢文に”てにをは”はあるのか、ないのか?という疑問となる。
そこで、以前に読んだ、陳瞬臣さんの「日本語と中国語」から、次の記述が思い出された。
中国語は、イエスかノーかを、先に言う点にかけては、はっきりしているのですが、 言語そのものは大そうハバがあります。 ありすぎるといってよいでしょう。 中国語は、活用しませんし、”てにをは”も時相(テンス)もほとんどありません。
『我念書』
この中国文は、
『私は本を読む』
と日本語に訳せます。念は読むことです。しかし、これを、
『私は本を読んだ』
と過去に訳しても間違いとはいえません。
『私は(これから)本を読もう』
と未来に解してもかまわないのです。
現在であるか過去であるか、それとも未来であるかは、前後の関係で決めるほかありません。
いや!吃驚した。こんなこと学校の先生は教えてくれなかったので、75歳の手習いだった。
活用が無いのだから、第三句を『此の間業平卿吾妻に遊べば』と仮定の句として訳しても、 『此の間業平卿吾妻に遊ぶ』と断定の句と訳しても、文法上の誤りはない、となる。
また、陳瞬臣さんは、『中国語は一語一語が独立しているのがたてまえ』とも記されているので、 問題も生じる。 例えば、固有名詞。『吾妻』は一語一語が独立しているとしたら、この第三句は、 夫婦間でひと悶着ありそうにも解せるが、 固有名詞と分かっていれば問題にはならない。だから、最近では、固有名詞には傍線を引くそうだ。
以上、長々と書いたが、ポイントは、『中国語は、活用しませんし、”てにをは”も時相(テンス)もほとんどない』 ということ。そのため書き足したのだ。
私もお節介だよね。自分が知らないことと他人様が知らないこととはイクオールではないのに、 あたかも、同じであるかのように振舞うところが、それを証明している。 でも、イクオールではないにしてもゼロではないだろうと考えると、少しは、参考になったのかもと思えるのだ。 だから、勘弁してね。
でも、気になることもある。それは、こんなハバの広い言語で、自然界を支配する原理が記述できるのか、 ということ。
人間界の取決めは、これは相当アバウトだからいいとしても、自然界の原理はアバウトでは記述できない。 それどころか、解明することができないだろう。 何故なら、細部の違いを言葉で表現できないからだ。 細部の違いの発見が自然科学に大きなブレークをもたらしたことは科学史の示すところである。 そんな細部の表現が出来なければ、ブレークの端緒となる事象と単なるジャンク事象を区分(アイソレート)出来ない。 その結果、いい加減なところで妥協することになる。 妥協していては、その先の究明の道が閉ざされてしまう。
・・・だから、中国文明は実用品は発見できても、中国文明由来の原理は無い、と言われるのだ。 やはり、言語レベル、即ち思考レベルで西欧文明とは決定的な違いがある、と言えると思う。
だから、中国的思考が覇権を握るとしたら、世界は停滞する可能性が大きい。それが、心配だ。
そも話は、長命寺桜餅の店「山本や」が、商品の中に差し込んだ白し書きにある狂詩に始まる。 この狂詩、実に下手だと思う。でも、陳瞬臣さんという碩学と出会うとき、 中国文明の将来にまで、我々の見る地平線が広がった。よかったね!だから旅は好きだよ。 何故って、遠くまで見えるから。
昼食を食べる「深川宿」です。 ここでは、所謂「深川めし」を食べました。
店主の話では、本当の「深川めし」は、あさりのむき身を具にした味噌汁をご飯にかけたものが本来のものだそうだ。 地元の漁師が急いで漁に出るとき、そんな急場の食い物が始まりとのこと。 だから、我々が学生か独身のころ食った、味噌汁かけご飯のことなのだ。 それを、彼らは、江戸っ子らしく「ぶっ掛け」と呼ぶそうだ。
それで始まった深川めしだが、時代と共に変化して、今では、 あさりのむき身を具にした「炊き込みご飯」へと進化したとのこと。
当店では、前者を「深川めしどんぶり」、と称し、後者を「浜松風」と名付けていた。 小生は、炊き込みご飯の方を食べた。あさりは佃沖で獲れた前海もので柔らかく、砂も吐いていて美味だった。 健康食品という印象が心よかった。
「深川江戸資料館」のイラストです。
ここは、時間があれば見ようというくらいの気持ちでしたが、 入ってみると、結構面白かった。 何がといえば、江戸時代の民家がよく再現されていたから。
特徴は、無垢の木材が体を違和感なく包み込んでくれたこと。 今の建材は、なかなかそうは行かないように思うから、とても羨ましかった。 そうだね、何かやさしく包み込まれている感じ、と言っておきましょう。
江戸庶民は幸せだったのではないだろうか。 そりゃ色々あっただろうけど、無垢と漆喰で出来た家、そこは天国のようだった。
(以上で終わりです。ご覧頂きありがとうございます。)
今回の旅は、急に思い立ちました。
具体的には、3月30日です。その日の朝思いついて、早速、行けそうな方にメールしました。 参加か不参加かの回答期限が今日中という乱暴な内容でしたが。
何故そうなったかと言えば、急に暖かくなり、それにつれて急に花も咲き出したので、 花の散らぬ間にという要請と、水上バスの予約が不可欠と考えたのでその予約の方からの要請、 この2つの要請を満たすには、今日中という縛りを付けざるを得なかったのでした。
かなり乱暴ではありましたが、天気にも恵まれ、事故もなく、ほぼオンスケジュールをキープできてようございました。
このコースは、江戸下町情緒(深川めし)、花、団子(長命寺桜餅)、クルージング、が狙いでした。 何とかうまく組み合わせることが出来たと思います。
皆さん、また、計画しましょうね。 狙いを決めるのが最初かな、と思います。 狙いさえ決まれば、実行計画はそんな難しいことはありません。 だから、狙いをプロポーズして頂きたくお願いして、終わりとします。
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