- 4月19日(日)
フィラデルフィアは1776年7月4日にイギリスの植民地からの独立宣言をし、自由の鐘を打ち鳴らした地である。
先ず、自由の鐘を見にインディペンデンス歴史公園に向かう。リバティーベルセンターに入ると、すでにかなりの人が歴史展示物を見ており、今日は日曜日なので先生や両親に連れられた小学生が多い。子供の時から自国の歴史を直に学ぶことはよいことだ。展示物を一通り見終わると、出口近くの一角に自由の鐘が吊るされている。日本の火の見櫓の鐘位の大きさかと想像してたが、かなりの大きさにはびっくり。日本のお寺にある鐘楼の鐘の大きさとほぼ同じである。
本体には大きなひび割れがはいっているので、今は美しい音色は聞けないが、1846年まではかなり遠くまで青銅製の鐘の音が届いて居たのだろう。
鐘の音を想像しながら、独立記念館に向かう。入口近くで、館内ツアーを待っている列に加わる。20人ほどになった所でガイドが現れ、内部に案内して、皆を椅子に座らせて、15分ほどの歴史の説明。話の中で、「独立宣言文を起草したのは誰」とか、質問する。小学生が直ぐに手を挙げて、「トーマス・ゼファーソン」と回答。正解。このようにして、勉強会が終了後、独立記念館へ。内部は当時のままの机やいすが配置され、閣僚と13州の知事が出席し、喧々・諤々やった場所。
見たところ、普通の場所だが、その後のアメリカの発展、現在の強さを考えると、その出発点がここかと思うと、胸が熱くなるものがある。
その後、時間節約のため、市内観光ツアーバスで市内見学。
美術館前になぜかロッキーの像がある。両手を上に突き上げたガッツポーズ。ここが写真撮影のスポットになっているそうで、小生には理解できない。
明日は朝早く、シンシナティに出掛けるので、早めに倉庫(宿)に戻り、一泊旅行分の準備をし、スーツケースを宿に預ける。
- 4月20日(月)
朝6時に起床し、手荷物を持って出掛けようと外に出ると外は土砂降りの雨。折畳傘を預けたスーツケースから取り出し、タクシーを拾いに大通りへ。タクシーはたくさん来るが皆営業中で空車は見つからない。じっと待つしかないが、段々体が濡れてくる。寒気を感じだした。30分以上経ったとき、反対方向から来た一台が止まってくれた。有難い。運ちゃんが「方向を変えてくるからここで待て」と言うのを強引に乗り込む。これで空港に行ける。
空港で、手続きを済ませ、機上の人となる。
シンシナティは以前、工作機械メーカー訪問で来たことがあるが、今回はケンタッキーのトヨタの工場訪問が目的である。
現役時代、海外のプレス型製作工場建設計画を担当しており、ケンタッキー工場が立ち上がったので、現地に出掛け、当時の張社長に、「当初は小規模からはじめ、現地の従業員のレベル向上を図り、順次能力増強をして行く」と型工場計画を説明し、承認を頂いた。しかし、実施段階に入る前に、職場を変わったので、後輩に仕事を託した。計画の進捗状況は順次後輩から聞いており、順調に進んでることを嬉しく思っていた。しかし、今迄現地を見る機会に恵まれなかった。初めての訪問に胸が躍った。
シンシナティは快晴。空港ではT君(元同僚)が迎えてくれた。T君はケンタッキー工場の駐在員で彼の職場に近い当地に住んでいる。工場へは車で一時間掛かる。昼近かったので昼食を取りに日本食レストランに向う。かつフライ定食。周りは日本人が殆どで、海外に居てもやはり日本人は日本食が一番。ハンバーガーやピザでは腹に合わないか。
T君の車で工場へ。車はレクサス2ドアスポーツクーペ。
工場では駐在員のOH君が工場案内をしてくれた。工場の入り口で現地の職長が迎えてくれ、「型工場のお父さんが来た」と言ってくれたので嬉しかった。工場は整然としており、製作中の型を見ても日本と同じ出来具合に見えた。
もう一つ嬉しかったのは、約30年前、現場課長時代に新入社員として入社してきたOK君が現場指導員として駐在しており、活躍しているのが嬉しかった。昔を思い出して、楽しい時間が過ごせた。
工場を出て、宿泊予定のシンシナティのモーテルに向う。
- 4月21日(火)
朝食をとりに食堂へ。例によりブッフェスタイルで、多くの人で賑わっていた。何気なく食べてる人を見ていると中年の男女だが、皆さん太っている人が多い。他の地ではあまり見ない光景だ。T君の話では、オハイオ川周辺はファットベルト(肥満地域)と呼ばれてるようで、土地の肥えたこの地域では美味しいものが沢山取れるのだろう。
本日はT君の車でデイトン航空博物館へ向う。途中は勿論フリーウェイ。道路は多少起伏はあっても、周囲には 山は全く見えない。広大な平野があるのみである。そのほんの一部が使用されてるだけで、うらやましい限りである。
走っていて気付いたが、車のサイドミラーに時々黄色い点滅がつく。これは隣りのレーンを走ってる車が自車の10M前後を走っている間点滅する。点滅してる間はレーン変更は危険だと知らせている。日本のサイドミラーは凸面鏡で、広い範囲をカバーしているがアメリカは平面鏡で範囲が狭いのでこの機能が有効なのだろう。しかし日本の一部でも使用されてるようだ。
全車に広がると良いと思う。
扨て、航空博物館。ライト兄弟の飛行機からステルス戦闘機まで何でもある。広大なスペースに所狭しと各時代に活躍した飛行機が並べられている。ここを見てると飛行機は戦争に依って開発がなされてきたのが良く分かる。現在はジェット及びロケットの時代だが、第二次大戦末期に登場し、アメリカ空軍を悩ましたドイツのジェット戦闘機、戦車でも運んだのかバカデカイ輸送機、爆撃機などが目を引いた。ステルス戦闘機はどこかの宇宙から来たのかと思われ、宇宙飛行船のモデルになったとも思えた。兎に角広いので全部を見るのは体力がいるが、駆け足みたいにして見学終了。
夕刻、T君に空港に送ってもらい、フィラデルフィアに戻る。
明日は早朝、ワシントンへ出発なので、荷物を纏め、早々に就寝。
サイドミラーのこと
石井俊雄
「日本のサイドミラーは凸面鏡で、広い範囲をカバーしているがアメリカは平面鏡で範囲が狭い」との書き込みがあるが、
小生、サイドミラーは凸面鏡であることに必然性があるからそうしているのだと思っていた。
だが、アメリカでは平面鏡であるとのことを知って驚いた。凸面鏡にする必然性はないのだ!と。
小生思うに、凸面鏡は広範囲をカバーできる反面、距離感が掴み難い。
一方、平面鏡であれば、裸眼での視え方と同じの言わばストレートだから、距離感が掴み易いと思われる。
だから、そうなら、小生の好みから言えば、ストレートのがいい。加工された見え方では、頭が着いて行かないからだ。
更に、このことから、人の常識が、単なる思い込みに過ぎない場合があることも分る。
更に更に、この日米の違いから、アメリカ人は外部から受ける情報について、
加工されないというか、ストレートな生情報を好む傾向がある、ということも分かる。
一方、日本人は、生情報でなくとも、機能性の増加という理屈が付けば、
気にしないで受け入れる、と言えるかもだ。その場合、加工された見え方を補正して理解するという作業が増えるが、
そんなのは気にしないのだ。その点、小回りが利くと言えるのかもということも分かる。
常識というか思い込みというか、そのような既存の知見を疑う姿勢、必要だと改めて思った。
でも、この常識を疑うって、とても難しいのだ。
科学史を紐解くとき、それが、常識を打ち破る歴史であったことからも分かるというものだ。
兎に角、旅ゆけば、思いもよらぬ知見をうることがある。
松尾芭蕉は、伊達に旅したのではなく、それを期待して旅したのであろう。
魚住君の旅から、そんな知見を得て、有難いと思う。
彼が旅しないと、今も凸面鏡の常識を固く信じて疑うこともなかっただろう。
(2015/7/30 12:30)