後期高齢者アメリカ東海岸一人旅(3)

2015年7月30日 魚住秀男
期間 2015年4月16日〜28日*
  1. 4月22日(水)
    今朝はワシントン行なので早朝、空港へ。
    例により、機械で登場手続き。しかし、行先のワシントンのWを入力したところでエラー表示。何度やってもエラー。
    若い女性係員に入力してもらうが、何度やっても同じ表示。ついに係員はベテランに相談。戻って彼女はDCIと入力。ちゃんと搭乗券が出てきた。「何?」ワシントンはDCIと言うの?初めてワシントンに行く外国人には分かる筈がない。
    DCはDistrict of Columbiaで、コロンビア特別区で分かるが、Iは何を表すのか分からない。兎に角搭乗。
    約一時間でワシントン上空。ロナルド・レーガン空港に着陸する寸前にワシントンモニュメント、リンカーン記念館などのあるグリーンベルトが機上から美しく見えた。いよいよワシントンだ。
    正午前に到着。空から見えたワシントンモニュメントを見学にすぐに行きたかったが、スーツケースや手荷物があっては動けないのでタクシーでホテルに向う。車に乗った途端に運ちゃんが「あれは日本人か?」と聞いてきた。「えっ?」と思って車外を見ると、チベット人の坊さんが歩いていた。
    「あれはチベットの坊さんだよ」と言うと納得したようだった。運ちゃんを良く見ると頭の上に丸い白色のキャップを付けている(ユダヤ教)。なるほど宗教に関心があるのかなと感じる。暫くして閑静な地域にあるホテルに到着。荷物を預けて、地図を見ながら、モニュメントへ行くための交通手段を聞いたら、「そこの大通りに出て、南に歩いて行けば簡単にわかるよ」とのことで、歩きはじめる。大きな官庁のビルなどを眺めながら30分ほど南下。もうそろそろあの大きなオベリスクみたいなモニュメントが見える頃だと思ったがビルなどに邪魔されてか見えない。もう少し行ってみようと南下を継続。
    見えた、見えた塔の先端だ。敷地内に入り、じっくり全体を見る。単なる石で造られた大建造物である。高さ約170M。アメリカ建国の父、George Washingtonの偉業を称える記念塔。1848年7月4日独立記念日に着工。1884年12月完成。塔の上には展望階があるので上りたかったが閉鎖中と聞いていたので周りを見物。しかし良く見ると十人づつくらいが中に入っていく。以前にジェームス・ロリングの小説“ジェファーソンの密約”でアメリカ合衆国の国章の基となった絵がこの塔の中にあると読んでいたので是非見たい。しめたと思い、どうやったら入場できるか観察。すると十人ずつ、入口近くのベンチに座って順番を待っている。そのあとに続こうと最後らしき人の後に座って待つ。良く見ると皆チケットを持っている。隣のオジサンに何処で手に入るかを聞いてみた。曰く「入口の事務所だよ。しかし本日分は終了した。明日なら9時に事務所が開くので並べば良い。但し競争が激しいので一時間前には来ないと入手できないだろう」と。残念無念!!!明日は別の所を予定しているので諦める。
    もう一度、塔の周りを回ってから西側のリンカーン・メモリアルを眺める。かなり遠くに見える。歩くのみ。芝生の中を歩いているとシニアーの人達がフリスビーで遊んでおり、危ないから遠回りしろと忠告される。リンカーン・メモリアルまでの途中に第二次大戦戦勝記念碑がある。戦争で亡くなった多くの将兵を慰霊するものらしい。
    やっとのことでリンカーン・メモリアルに到着。長い階段を上がり、本堂に入る。中は人で一杯。リンカーン像を見ているより、それを背景に写真を撮る人が大勢。縦19フィート、横19フィートの大理石でできた像は迫力がある。左の壁には有名な1863年のゲティスバーグ演説が大きな字で記されている。南北戦争で亡くなった人々を讃え、彼らの死は無駄ではなかった。これから神の下で新しい自由の国が生まれる。そして人民の、人民による、人民のための政府は決してこの地球上から消滅することはないだろう。**何度読んでも胸に来る。
    もう少し居たかったが雨がポツリポツリきたので、歩いてホテルに向う。ホテルでチェックインし、荷物を部屋に入れ、半日歩き詰の疲れを取るため一休み。今日は良く眠れるだろう。
  2. 4月23日(木)
    ワシントンを見学するのは今日一日しかないので、出来るだけ多くのものを見ようと思い、先ずホワイトハウスに向う。官庁街の大きな建造物の間を進む。大きな建造物と言っても、ワシントンモニュメントの高さ170M以下に法律で高さが制限されているので圧迫感は無い。二十分ほどで正門前広場(公園)に到着。ホワイトハウスの良い写真を撮ろうと近づいたが、正門前には柵が巡らされ、お巡りさんが監視しているので5M以内には近づけない。仕方なく公園まで戻り、何枚か撮る。その近く(官邸の真正面)で核兵器反対、中国の抑圧策(ウイグル等)反対などを表示して、中国系らしい人が座り込みをしている。こんな所でと思ったが、別にお巡りさんの取り締まりは無く、随分永い間やってる感がした。アメリカは自由の国である。
    暫くすると三十人ほどの団体がやって来た。若い人は喜んで走ってホワイトハウスを見に行くが、結局皆で記念写真を撮っておしまい。お上りさんは何処も同じ?。
    ホワイトハウス内部を直に見学したかったが、代わりにすぐ近くのヴィジターズセンターに向う。ここでは内部の紹介ばかりでなく、歴史が展示されている。現在の形になるまでには歴代の大統領が自分の好みに合わせて改造してきたことが良く分かる。1814年8月イギリス軍の攻撃で焼かれたとは知らなかった。出口近くに大きなスクリーンがあり、オバマ、ブッシュ、クリントン大統領が良くいらっしゃいましたと挨拶してくれた。
    大統領らと別れ、今回の旅の目的の一つであるSmithsonian Museum(スミソニアン博物館)方面に向う。スミソニアン博物館とはDC(コロンビア特別区)内の十六の博物館、美術館などの総称であり、これらを全部見学するのは短期間では無理である。半日強の時間しか無いので自分の好みで選ぶしかない。先ず、National Museum of Natural History(自然史博物館)に向う。ここは映画“ナイトミュージアム2”で有名になった所。キリン、アフリカ象等動物たちの剥製はかなりリアルである。又恐竜の化石のディノサウルスやトリプラトプスなどはかなりの迫力。馬の祖先の骨格もあり、現在の馬との違いにびっくり。海のホールではダイオウイカが展示されており、最近日本で取れたものの方が大きく感じられたが私の勘違いか?
    その他人間の起源など多くの展示物があり、貴重な資料が多い。
    外に出て、国会議事堂のある東方面に向う。議事堂が見えてきたので良く見ると尖塔部分に足場が組まれ、何か修理中。あの美しい姿が見られないので近く迄行くのを止め、途中で南下し、National Museum of the American Indian に行く。原住民であるアメリカインディアンの白人が来る前の生活や芸術、また白人に追われ、困難な生活を強いられた歴史などが分かると期待して入場。建物はコンクリート造りのモダーンなものであるが見学者はほとんどいない。4階まであるが、上に行くほど照明を落としてあり、活気を感じられない。1階の動画を見て退散。非常に残念。インディアンの地位が低いとは思わないが、もっと先祖に対し誇りを持つべきだ。私一人の感じかなあ。
    次にNational Air and Space Museumに入る。ここはデトロイトの航空博物館に有った飛行機類は当然あるが、宇宙関係の展示が凄い。ここも一日では全部を見ることは出来ない。最初のスペースシップ、アメリカのアポロとソ連のソユーズがドッキングした宇宙船、アポロ11号司令船コロンビア等多数。コロンビア内部は意外と狭く、また帰還時の大気圏との摩擦で生じた焼け焦げた外皮板を見ると3人の宇宙士は大変だったろうと想像できる。又月面探査機もある。見ていると月面をポンポン飛んでいた光景を思いだした。兎に角多くを見たいと思い館内を歩き回りながらロケットや宇宙船の操縦室等を見る。時間がもっと欲しい。しかし明日の予定もあるので 西側のSmithsonian Castle に寄って帰路に付く。ここはスミソニアングループの情報センターで情報が全て分かるようになっている。展示物はスミソニアン氏が収集したトーマスジェファーソンの机や円筒の録音盤の昔の蓄音機等があるが多くはない。
    ワシントンモニュメントを左に見ながらホテルへ。明日はニューヨークだ。
*この期間の旅行計画については、 「2015米国東海岸旅行計画」を参照ください。(HP管理者)
**この部分の原文は次の通り。( 米国大使館サイトより引用)(HP管理者)
It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us―that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion―that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain―that this nation, under God, shall have a new birth of freedom―and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.
邦訳は次の通り。(米国大使館サイト(同上)より引用)
ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、 むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、 むしろわれわれ自身なのである。―それは、名誉ある戦死者たちが、 最後の全力を尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、 われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、 この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、 人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、 われわれがここで固く決意することである。
"vain":無駄、
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